橙の息吹

第1話 橙

その日、私の元にある手紙が届いた。その差出人に心当たりはなかった。竜胆佐久良りんどうさくらと書いてあった。一体誰だろう?まさかストーカーと言うやつだろうか?と、私はちょっと怖い気分で、封筒を開けた。


『 拝啓、縞田しまだりえ様


  あなたの心に何があるか、僕は知っています。


  この手紙が届いた、一ヶ月後の日曜、16時にN海岸でお待ちしております。 』


「……誰?何?竜胆佐久良なんて知らないし、心知ってるって何?」


私は、一言呟いた。


その頃、私は昼から、夜遅くまでバイトに明け暮れる日々を送っていた。16時なんて、まだまだガンガン働いている時間だ。

そもそも、なんでこんな生活になったかと言うと、妹が病気になって、入院し、母も父も早くに亡くなっていたので、私が頑張るしかなかったのだ。

しかし、そんな事はどうでも良い。妹が元気になってくれるのなら、それでよかった。もし、妹を失えば、私には家族がいなくなる。

私がこうして仕事に明け暮れ、睡眠も削って、頑張れているのは、妹がいてくれるからだ。


……一人は嫌だ……。独りは嫌だ……。


妹は言う。


「お姉ちゃん、無理しないでね。絶対……無理しないでね」


と。


何を言う。私は無理なんてしていない。妹を助ける為なら、何を犠牲にしてもかまわない。


そう思っていた。


しかし――……、結末は突然訪れた。


妹が亡くなった。それは、手紙が届いた3日後だった。


私は絶望した。もう私は一人だ。独りだ……。


それでも、私は妹の葬儀や遺品の片づけに追われ、涙を流す事はなかった。実感が湧かなかった……と言うのが正直なところだろう。今でも、病院に行けば、妹が少し蒼白い顔で『お姉ちゃん』と笑いかける場面が想像できた。


その時は、竜胆佐久良と言う手紙の事はすっかり忘れていた。それどころではなかった。でも、何故だろう。指定された前の晩、私はふと、手紙を思い出したのだ。


「……竜胆佐久良……。一体、誰なんだろう?」


私は、急にその人に逢いたくなった。気持ち悪い。怖い。不気味。そんな風にしか最初は思っていなかったのに……。


妹の葬儀を終え、ふと落ち着いた日曜日の事。


「あ……今日って……もしかして……」


そう、だ。竜胆佐久良と言う人が私を呼び出した日。少し怖かったけれど、私はなんだか胸の鼓動を抑えることが出来ず、気が付くと電車に揺られていた。


陽が、まだ煌々と私の横顔を照らしていた。16時と言う時間に何の意味があるのか、全く解らなかったけれど、もう、私は一人なんだから、独りなんだから、例え殺されたってかまわないのだ。電車に揺られる事2時間。見知らぬ街に降り立った。


携帯の経路案内を見ながら、私はN海岸に向かった。少し方向音痴の私は、16時ギリギリにN海岸に着いた。しかし、そこに人の姿は見当たらない。


「……なんだ……只の悪戯か……。バカみたい……。こんな……さゆが死んで、何となく寂しかったからって、何期待してたんだろう?」


私は、その時、妹が亡くなって初めて涙が出た。


その時だった――……。






「この景色……、見せたかったです」


「?」


どこから現れたのだろう?私の左真横に一人の男の人が佇んでいた。


「僕は、この景色を、『橙の息吹』と呼んでいます」





その日は快晴。雲一つない空に、橙の夕焼けがギラギラ燃え盛っていた。


「覚えていませんか?僕、2年前に貴女の妹さんのクラスメイトだったものです」


「さゆの?」


「一度だけ、病院にお見舞いに行きました。その時、お医者様とお姉さんが話しているのを……なんて言っていいか……いわば、盗み聞きしてしまって……。さゆさんは、あと1年持たないと……」


「……そうだったっけ?さゆは……1年、持たないって言われたんだっけ?」


私は、そこをすっかりすっ飛ばして医師の話を聞いていた。治る見込みがない……と言う医師の言葉に動揺し、余命まで聴いている余裕がなかったのだろう。


「さゆさんが入院する3か月前、僕はこの景色をさゆさんと見たんです。その時、さゆさんに頼まれました。『いつか、この橙の息吹を、お姉ちゃんが一番辛い時に、見せてあげて』って……」


「……」


「この景色は、さゆさんが一番好きな景色でした。お姉ちゃんが自分のせいで大学も行かず、毎日何個もバイトを掛け持ちして私の世話をしてくれている、と、さゆさんはおっしゃってました。『この景色を、お姉ちゃんが辛い時、こんな燃え盛る命の息吹が存在する事を教えてあげて』さゆさんはそう繰り返しました。『毎日建物の中で、朝から夜まで何の色もない景色を見ているお姉ちゃんが可哀想……。全部、私のせいなのに……』って……」


私は、ようやく、涙が出た。


「そっか……。こんな景色を、さゆは見てたんだね……。私みたいに白黒の世界ばかりを見てたわけじゃないんだ……」


「……はい。さゆさんは、この景色を見るたびに、貴女の息吹を感じていたのだと思います。それは、貴女の心になかったものだろうと思い、今日、お呼びしたんです。なんでか……この日、晴れる気がしたんですよね……」


「さゆは……さゆがもうこの日にいないと思ったの?」


「……僕は、さゆさんが好きでした。覚えていますか?今日はさゆさんの誕生日です」


「え……あ……あぁ……あの子……生まれたんだった……。そうだ。あの子は死んだんじゃない。生まれたんだ……」


「そうです。さゆさんは、死にません。どうか、独りだなんて思わないでください」


「え?」


「『お姉ちゃんは孤独と闘ってる。いつも独りになるのを怖がってる。お姉ちゃんは誰より強くて弱い人なの』……さゆさんはそんな風にもおっしゃってました。僕は、これ以上の事は何も出来ません。でも、さゆさんの事を……好きだったものとして、さゆさんの好きだったお姉さんの事を、どうしても放って置けなかったんです」


「……橙の息吹……か……。あの子は、この息吹のように生きたのかな?」


「はい。生きられたと思います。今度はお姉さんの番です。ちゃんと、前を向いて、この橙の息吹のように、ギラギラ生きてください。寂しくても、苦しくても、さゆさんがいたことは、消えないのだから」







私は、独りだけれど、独りになったけれど、さゆは間接的にこんな素敵な生命の息吹を私の瞳に残してくれた。そんな使者を私に遣わしてくれた。きっと、この男の子にこんな事をする義務はない。さゆだって、本気でこの橙色の空を、この男の子が私に見せるとは思ってなかっただろう。



感謝しよう。この竜胆佐久良と言う人に。

生きてゆこう。さゆが残してくれたこの景色を目に焼き付けて。






私は、橙の息吹の前で、そう、誓った――……。

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