フレーム越しの嘘 後編


「えっ……ど、どういうことですか、武士さん」


 「どういうことも何も、そういうことだ。私だって信じたくはなかったが、君が犯人だということは何より君が1番よく分かっているだろう?」


 「……説明してください。納得のいく説明を」


 蕪木は絞り出すような声で言った。眼鏡の奥のその瞳は、戸惑いに揺れている。


 「私の口からかい?君も中々残酷だね。まあ仕方がないか……まず、先程のダイイングメッセージだが、犯行現場の様子と照らし合わせると奇妙な点がいくつかある。

 使用された凶器と被害者の衣服が乱れた様子、つまり犯人と争った形跡から犯行は計画的なものというより寧ろ衝動的なものだったと考えられる。その割に雑ではあるが凶器やドアノブからは指紋が拭き取られており、容疑者の目立った手掛かりは現場には残されていない……つまり、犯人は被害者を殺害したのち、すぐには逃走していないんだ。それなのに、こんな1番の手掛かりとなりそうな暗号文を消さずに残しておくのは不自然だ」


 「……たしかに武士さんの言うことは最もです。しかし、犯人の逃走後に被害者が意識を取り戻した可能性もある」


 「勿論、その可能性もゼロじゃない。ただ、その場合は何もこんな暗号じみた文を残さなくてもそのまま犯人の名前を書いて仕舞えばいいだろう」


 「……」


 「以上の点から、このメッセージは被害者が書いたものではなく、犯人が咄嗟に用意したものである可能性が高い。

 では、犯人は何故このような暗号を残したのだろう……当然、残さなければならない理由があったからだ。

 ここで出てくるのがさっきの眼鏡だ。根本さんの話では、流造寺氏が持っているのは変装用の伊達眼鏡だけで、それを室内で身につけているのは不自然だ。そこで、犯人は流造寺氏に違和感なく壊れた眼鏡を持たせる為に、「めがね」がヒントとなるダイイングメッセージをこしらえたというわけだ」


 「な、なるほど……しかし、なぜ壊れたメガネなんか持たせる必要が?」


 二宮からの質問に、武士は笑顔で答える。


 「なあに、簡単なことです。木を隠すならなんとやら、メガネを隠すならメガネの中というやつです……先ほど、被害者は犯人と争った形跡があったとお話ししたかと思いますが、その際犯人が掛けていた眼鏡が割れてしまったのでしょう。それでレンズの破片が飛び散り、視力の良くない犯人はそれを拾い集めることができなかった。そこで犯人はやむなく流造寺氏の伊達眼鏡を壊してそれを誤魔化す為にあんなメッセージを残したというわけです」


 武士は一気に話し切ると、三島の淹れた紅茶をごくりと飲み、満足げに頷いた。

 蕪木はずっと目を伏せたまま黙っていたが、やがてゆっくりと拍手しながら顔を上げた。


 「実にユニークな推理だ。流石です武士さん。しかし、仮に今の話が真実だとしても、何故僕が犯人だということになるのかが理解できないな。眼鏡を掛けているのは僕だけじゃない。二宮さんも三島さんも眼鏡をかけているし、時間の時に眼鏡が壊れたというのなら、容疑者が今も眼鏡を掛けているのはおかしいのでは?」


 「……たしかに、君の言うとおりだ。ここまでの話だとね。

 ではもう一度さっきの暗号に話を戻そうか。

蕪木くん、もう一度よく読んでみてもらってもいいかな?」


 「ええ、構いませんが…… 『やこみこもまらせやぬ……』……っ!?こ、これは……!」


 蕪木は訝しげな様子で暗号に顔を近づけ読み始めたが、ある文字に差し掛かったところで絶句した。


 「……気付いたようだね。実はこの暗号、さっき死体の周りを調べるついでに少し細工させてもらっててね。『め』が『ぬ』になってるんだ」


 武士はそう言うと紅茶を一口飲んでから小指をピンと立ててインクで黒く汚れた指の腹を見せた。


 「皆が暗号を読んでいる時、私は皆の表情を確認していたんだけど、誰も細工に気付いて動揺している様子が無かったから不思議だったんだ。

 だけど、さっき君がスラスラと暗号を解読した時にはっきり分かったよ。


 君が今かけているのは伊達眼鏡なんじゃないのかい?だから君は暗号の文字が変わっていることに気付かずに、自分が書いたままの文字列で解読したんだ。

 めがぬになっているこの文をそのまま解読したら、『はんにんはすもと』と読めるはずだからね……

 わざわざ伊達眼鏡を掛けているのは、いつも掛けている眼鏡が割れてしまったことを隠すために他ならない。

 君の部屋を探せば、おそらくレンズの割れた眼鏡が見つかるはずだ。それとここに落ちているガラス片が一致すれば、証拠になるんじゃないのかな」


 武士は淡々と締めくくると、カップを傾けて紅茶を飲み干した。蕪木は呆然と立ち尽くしていたが、ついにその場に膝から崩れ落ちてガックリと肩を落とした。


 「……1つ分からなかったことがある。動機だ。心優しいはずの君が、なぜこのような凶行に及んだのか私にはさっぱり……」


 「……あなたですよ」


 ポツリと呟かれた蕪木の言葉に、武士は口を噤んだ。


 「武士さん、あなたが遅れると連絡をくれた時、叔父にも報告しに行ったんです。そしたら叔父は……


『……ふーんどうだかな。この大雨の中お前に誘われてこんな山奥まで来るやつなんてどうかしてるぞ……案外、兄さんの遺産目当てだったりするかもしれねーな。ハハハ……ん、どうした衛?……ま、衛!?』……


 僕は許せなかったんです。武士さんのことを嘲笑う叔父のことを……気付いたら、僕の前で叔父が倒れてました……」

 

 「いや、それ馬鹿にされてるの蕪木くんなんじゃ……「蕪木くん、君の気持ちは痛いほどわかる」


 根本のツッコミを遮るようにして武士のハスキーボイスが割って入る。


 「しかし、たとえ何があったとしても殺人が許されることはない。誰にも人の命を奪う権利などないんだ。

 私は君の凶行を止めることができなかったことが悔やんでも悔やみきれない。だが、君の罪は君にしか償えない。それは生涯を掛けて償わなければならないものだが、私はいつの日か、君とまた友として笑い合える日が来ることを信じているよ」


 「……武士、さん……」



〜〜


3時間後、ようやく到着したパトカーに乗せられて、蕪木は署へと連行された。

 だいぶやつれてはいたが、つきものが落ちたかのように清々しい顔つきだった。


 「いやあそれにしても、見事な推理でしたね、武士さん」


 無言でパトカーを見送る武士に、声が掛かる。隣を見ると根本が手を振りながらこちらに近づいてきていた。


 「ああ、根本さん、ありがとうございます。こう見えて、私も名探偵の端くれですからね」


 「名」の部分を殊更に強調して武士は胸を張った。しかし、その様子はどこか寂しげで瞳は微かに潤んで見えるようだ。

 だが、根本は声を掛ける直前に武士が大きな欠伸をしているのを見逃してはいなかった。


 「……中々様になっていましたよ。しかし、武士さんと言うのは中々珍しい名字ですね。僕はてっきり下の名前だと思っていたので、最初にお会いした時驚きましたよ」


 「ええ、よく言われます……ああ、そうだ。すっかり遅くなりましたが、こちら……これも何かのご縁かもしれませんし」


 そう言って、武士は懐からシンプルなデザインの名刺を取り出して根本に渡した。

 

 『私立探偵 武士誉乃たけしほの

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブシノホマレ 〜武士探偵の事件帖〜 あるかん @arukan_1226

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ