ブシノホマレ 〜探偵・武士の事件簿〜

あるかん

フレーム越しの嘘 前編

[登場人物]


・流造寺司(りゅうぞうじつかさ)……人気作家。館の主人。

・根本幸治(ねもとこうじ)……流造寺のアシスタント

・二宮大夢(にのみやひろむ)……編集者

・蕪木衛(かぶらぎまもる)……流造寺の甥。武士の「友人」

・三島(みしま)……使用人


・武士(たけし)……探偵


〜〜


 4人は流造寺司の書斎の前に集まっていた。皆一様に青ざめた顔色で、使用人の三島など今にも卒倒しそうだ。

 この扉の向こう、書斎のど真ん中で流造寺は倒れていた。頭から夥しいほどの血を流し、何者かに殺されたのは一目瞭然だった。

 

 階段を昇る足音が廊下に響く。その足音の主を目に留めると、蕪木の顔がパッと気色づいた。


 「あっ!武士さん!……警察はなんて?」


 「ああ、到着するのにおよそ3時間ほどかかるらしい」


 「そ、そうですか……」


 「まあ、この天気では仕方あるまい。私が着いた時よりもさらに強くなっているようだし」


 武士は横目で窓から外の様子を伺いながら言った。外はこの時期には珍しいほどの荒天で、大粒の雨が窓ガラスに打ちつけ、時々遠くで雷鳴が鳴り響いていた。

 

 廊下に気まずい沈黙が流れる。


 「と、とにかく各自部屋に戻りますか……警察が来るまで、できることは無さそうですし」


 最も年長者の二宮が場を取り仕切るように言った。


 「たしかに、こんなところで突っ立っていても身体が冷えていくだけだ。私たちも戻るとしよう。三島さん、もしよければ温かい紅茶を淹れてもらえるかな?」


 「えっ?……は、はい。かしこまりました」


 武士は穏やかなハスキーボイスで声を掛けた。三島少し面食らったような様子を見せたが、か細い声で返事をすると給湯室へ向かおうとした。


 「ちょ、ちょっと待ってください武士さん!」


 三島に続いて廊下を立ち去ろうとする武士に向かって蕪木が声をかける。


 「どうしたんだい蕪木くん。ああ、君はコーヒー派だったかな。三島さん、悪いが紅茶のついでにコーヒーも……」


 「そういうことじゃありません。武士さん分かってますか?僕の叔父が死んでるんですよ?」


 蕪木は目をキュッと細め、眉間に皺を寄せて武士に詰め寄った。


 「む、勿論分かっているとも。とても気の毒に思っているさ。お悔やみ申し上げるよ」


 「お気遣いどうも。それはともかく、叔父はただ死んでいるんじゃないんです。殺されているんですよ。それもおそらくこの中の誰かに。

 殺人事件を前にして、探偵の貴方が指を咥えて警察を待っている道理はないでしょう」


 「そうは言ってもなあ……別に依頼を受けたわけでもないし、今日はもうシャワーも浴びてしまったし……」


 半分閉じかけた瞼を擦りながらごにょごにょと言い訳を並べている武士に、蕪木がぐいと詰め寄った。


 「それなら僕が武士さんに依頼します。報酬は、そうだな……先月行った北海道旅行の飛行機代、あれチャラでいいですから」


 「……う〜〜ん、どうしようかなあ……」


 「報酬」と言う単語を耳にして武士は一瞬瞳を輝かせたが、すぐに瞼を閉じて迷うそぶりをし始めた。


 「……分かりました、ホテル代もチャラにしましょう」


 「よーし仕方がない、他ならぬ君の頼みだからね。名探偵のこの私が一肌脱ごうじゃないか。君の叔父さんを殺した犯人など、あっという間に捕まえてみせるよ」


 蕪木が言うが早いか、武士は恩着せがましく言って胸を叩いた。

 蕪木は気づかれぬようにため息をつく。


 「やれやれ……では武士さん、それではさっそく事件を整理していきましょう。現在の時刻が19時53分。では、死体が発見されたのは19時半ごろとしましょうか。第一発見者は使用人の三島さんですね」

 

 「は、はい。夕食の時間を過ぎても旦那様が食堂にいらっしゃらないので、様子を見に伺いました……普段はどれだけ締切が迫っていようと三食欠かさず召し上がる方なので、こういったことは珍しくて……」


 三島が話している横で二宮が苦虫を奥歯で噛み潰したような表情を浮かべた。


 「それで、少し変だと思ってノックしてみたのですが返事もなく……思い切って開けてみたら……」


 三島はそこで言葉を切った。死体を見つけた時の光景がフラッシュバックしたのだろうか、再び顔色が真っ青になった。


 「ありがとう、三島さん。では、皆が最後に生きている流造寺氏を見かけたのはいつだろう?」


 「……皆さんが最後にお集まりになられたのは昼食の時でした。なので14時頃でしょうか。旦那様はその後書斎に戻られ、私は昼食の片付けを終えた後、武士様のお迎えのご用意をしておりました。しかし、15時過ぎごろに蕪木様から武士様の到着が遅れるとの連絡を頂きましたので、先に夕食の下ごしらえに取り掛かり、17時ごろに武士様のお迎えとシャワーのご用意を致しました。その後は18時に間に合うよう夕食の準備に戻りました」


 「なるほど。たしかに私が連絡したのはそのくらいの時間だった。それにしてもおかげですぐに熱いシャワーを浴びることができて助かりましたよ。では、二宮さんは昼食後、いかがお過ごしでしたか?」

 

 「私は午後はずっと客間で仕事をしていました。何回か編集部にも電話を掛けたりしたので、証言もありますよ」


 「ほう、アリバイというやつですね。ただ、何も午後の間ずっと電話をしていたというわけではないでしょう?」


 「そ、それはそうですが……」


 二宮は大きな身体を縮こまらせるようにした。それを見て、武士は笑みをこぼす。


 「いいんですよ、寧ろずっと電話してる方が不自然です……根本さんは?」


 「僕も午後はずっと借りてる部屋で本を読んでたな。蕪木くんの友達が来るって聞いていたからテニスでも誘おうかと思っていたんだけど、あいにくの天気だったし。なのでアリバイはないですね。残念ながら」


 「そうですか、それは残念。私もテニスは大好きですよ。特にボールが。小さくてフワフワしてますからね……さて、これで全員……おっと、忘れるところだった。蕪木くん、君の話をまだ聞いていなかったね」


 「忘れてもらったら困ります。そうですね……僕も昼食後は部屋でのんびりしてました。15時ごろに武士さんから遅れるって連絡があったのでそれを伝えるために三島さんに会いに行ったくらいであとは武士さんが来るまで1人で過ごしてましたよ」


 武士はそれぞれの証言をメモに書き加え、満足げに頷いた。


 「……うん、これで午後の様子は何となく掴めたな。分かったことは14時以降、全員バラバラに行動していて誰にでも流造寺氏を殺害するチャンスはあったということ、つまり、犯人は誰のなのか全く分からないということだな」


 武士はそう言うとメモ帳を放り投げ、三島が用意していたティーカップを手に取り、唇を近づけフーフー冷まし始めた。


 「そう決めつけるのはまだ早いです。改めて現場を見てみましょう。何か手掛かりが見つかるかもしれません」

 

 蕪木は武士が放り投げたメモ帳を拾い上げて、中身を読もうと眉間に皺を寄せた。だが、すぐに諦めると書斎の扉を開いて武士に手をこまねいた。

 

 「なるほど、それは盲点だったな。たしかに何か分かるかもしれない。早速見てみよう」


 武士は指を鳴らすと、紅茶を冷ましながら書斎へと入っていった。



 書斎の中央には、流造寺氏が仰向けで倒れていた。左手は挙手するような形で上に伸びており、後頭部から血が流れている。死体の側には中身の残ったインク瓶と血のついたトロフィーが転がっていた。


 「武士さん、死体の様子で何か気になるところはありませんか?」


 死体の周りを何となくうろうろするばかりで中々調べようとしない武士に対して、蕪木は痺れを切らしたように問いかける。


 「うーん、歳の割に中々小洒落た服装だね」


 「ええ、先生はお洒落が好きでしたからね。雑誌の取材を受ける時なんかはいつも張り切ってましたよ」


 武士が若干失礼な感想を述べていると、続けて入ってきた二宮が補足した。


 「なるほど、しかしその割にシャツには皺がよってるな……おや、左手に何か持っているようだ」

 

 流造寺の左手には眼鏡が握られていた。片方のレンズが割れており、よく見ると周囲には細かいガラス片が散らばっていた。


 「おっと、これは危ないな……皆も気をつけた方がいい。流造寺氏は普段から眼鏡を掛けていたのかな?」


 「ああ、取材のたびに違うものを掛けるほど眼鏡には拘っていましたね。と言っても、全て伊達眼鏡なんですけど……視力が良いのをよく自慢してましたよ。でも、どうして伊達眼鏡なんか持ってたんだろう……?」


 流造寺のアシスタントを務めていた根本が答える。だが、彼も流造寺氏が死の間際に伊達眼鏡を持っていた理由は分からないようだ。


 「うーーん、これは犯人を指し示す手掛かりかもしれないぞ。もしかすると被害者は犯人の特徴を伝えたかったのかもしれない。つまり犯人は君だ。蕪木くん」


 「武士さん、真面目にやってください。それに眼鏡を掛けているのは二宮さんと三島さんも一緒です」


 「ということは、3人の共犯ということか」


 「そんなことよりほら、右手の部分を見てみてください。何か書いてありませんか?」


 「ん?どれどれ……」


 蕪木に指摘を受け、全員の視線が流造寺の右手に集まる。流造寺の右手の人差し指はインクで真っ黒に汚れており、そばのカーペットには奇妙な文字列が描かれていた。


 『やこみこもまらせやぬろほ』


 「これは一体……何のことかさっぱりわからないな」「ダイイングメッセージじゃないですかね」


 武士の発言に被せるようにして蕪木の声が響き、2人は顔を見合わせる。


 「うん、そうだな。ダイイングメッセージだな。しかし、なんだってこんな暗号じみた文章を残したんだ……」


 「大丈夫。武士さんなら解けるはずです。きっとどこかにこの謎を解くヒントがあるはずです」


 「そう言われてもねえ……あまり現場を荒らさないで大人しく警察を待っていた方が……」


武士はそう言って蕪木の顔色を伺うが、蕪木はそんな気弱な言葉など聞こえないと言うふうに首を振った。そして代わりに目で合図を送った。


 「ん?なんだい蕪木くん……眼鏡?眼鏡がどうしたって……眼鏡……めがね…………ハッ!まさか、そういうことか!」


 武士が突然大声を出し、同時にむせ返って紅茶を零したので書斎にいた全員が注目した。

 

 「おお、ついに犯人が分かったんですね!流石です!武士さん!」


 蕪木は満面の笑みを浮かべる。武士も咳払いをしてからそれに応えるように頷き返し、周囲をぐるりと見渡した。


 「ええ、すっかり分かってしまいましたよ。今回の事件の犯人が。順番に説明していきましょうか。まずこの流造寺氏の手元に残されたメッセージですが、これだけでは意味をなさない平仮名の羅列です。これを解くヒントとなるのが、彼が左手に持っていた眼鏡というわけです。

 眼鏡……「め」が「ね」。つまり、五十音表で2行右にずらして読めということです。この法則に従って先程の暗号を読んでいくと……えーと、「やこみこ」だから、「や」の2つ隣は「は」だろ?「こ」の2つ隣は、あれ?あそっか、一周して「ん」で、えーと、はん……」


 解読に手こずる武士を見かねて、蕪木が助け舟を出す。


 「……『に・ん・は・ね・も・と』となるわけですね、武士さん。つまり……!」





 「ああ、犯人はキミだ。蕪木くん」



 

 

 


 

 



 

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