第4話
話したいことも、話すべきことも決まっていたので、淀みなく言葉を紡げた。
少しだけ嫌味が混じった言い方になったのは、どうにも面白がるような気配だけでなく、彼の方は昨日の時点で李瀬の正体に気づいていただろうことが少し気に入らなかったせいだ。
しかし、李瀬の言葉を聞いた司はさらに面白そうに口角を上げるので、失敗だったかもしれない。
さて反応はいかに、とじっと見つめていると、彼の方からも強い眼差しを向けられる。
「なぜ?」
「なぜと言われましても……」
元々は、あっさり承諾されるものだろうという想定のもと離縁の話を持ち出したのだが、いろいろと想定から外れてきてしまっている。
「私たちの結婚は、当時の当主同士が決めたもの。純粋な打算によるものでした」
「そうだな」
「一条家の事情も耳にしておりましたし、私はいろいろと覚悟して嫁いできたのです。しかし、旦那様は私を子を成すための使い捨ての道具として使うことなく、離れに住まわせて安穏とした生活をくださいました」
このことに関して、李瀬は本当に感謝している。
八重を除く侍女たちの些細な嫌がらせはあるが、生活には特に困っていないし、実家にいた頃よりよほど平和で満ち足りた暮らしだ。
しかし、司は李瀬を離れに置いていたことを少し後ろめたく思っているのか、なんとも言えない表情を浮かべる。一旦それには触れないことにして、李瀬は話を続けた。
「貴方は今や祓魔師界随一の御仁。相応しき、想う方と添い遂げる道もございましょう。私がその邪魔をするわけにはまいりません」
「……なるほど。君が離縁を望むのであれば応じ、生活の支援もするつもりだった」
(だった?)
途中までは想定通りどころか、温情に満ちた言葉だったが、過去形というのがどうにも気になる。
李瀬が探るような視線を向けると、司は案の定「しかし……」と続ける。
「これまで顔を合わせもしなかったことを、今は後悔している」
「……後悔?」
予想外の言葉が出てきて、李瀬は目を瞬く。
「力が弱く、業突張りな親のもとに生まれたばかりに贄のように差し出された哀れな娘だと思っていた。だが、それはとんでもない侮りだった」
「そのようなことは……。私は妖魔もろくに見えぬほど力が弱く、祓魔師としてはまごうことなき出来損ないです」
「祓魔師としてはそうかもしれないが……梶」
「はっ」
何やら含みがありそうな司の呼びかけに応じて、梶がどこかへと消える。
戻ってきた時、彼の後ろには三人の侍女が続いていた。この屋敷で働く四人の侍女のうち、八重を除いた三人だ。
すなわち、李瀬を軽んじてろくに働かないどころか、嫌がらせに勤しんでいる者たちである。まともに顔を見るのは数年ぶりだ。
「座りなさい」
冷え冷えとした梶の声で、三人はぎこちない動きで廊下に正座をする。皆表情がこわばっており、顔色も悪い。
「こいつらが何をしたか、おおよそ調べはついている。まさか主人の意も汲めぬ愚か者が大半だったとはな」
淡々とした司の声は、だからこそ余計に恐ろしく聞こえるのだろう。うつむいた侍女たちは、唇を噛み締めたり、ぎゅっと握りしめた拳を震わせたりして、一層顔を青白くする。
政略結婚も多い祓魔師の世界ではなおさら、夫に見向きもされない妻の立場は弱い。彼女たちが李瀬を軽んじるのも無理のないことだ。
しかし、彼の力の強さやそれに伴う弊害を考えると、徹底して遠ざけることは守ることにもつながるとすぐにわかる。温情である可能性に思い至らず、軽んじるどころか嫌がらせまでしていたのだから、冷淡に断じるならば確かに愚かと言えるだろう。
「お前」
「は、はい」
指さされた右端の侍女は、震える声で答える。
「お前の仕事は」
「……侍女でございます」
「李瀬付きとしたはずだが、お前は何をしていた」
「お……お屋敷を磨いたり……」
「屋敷か。小癪な言い方をする。正確に言うなら『母屋を』だろう」
「……も、申し訳ございません!」
謝罪には見向きもせず、司は次の侍女を指し示す。
「お前は、通いの庭師に嘘をついたな。離れに男を入れるなと指示されていると」
(それで途中から庭師が来なくなったのね)
庭師の訪れがぱったりと途絶えた理由が今になってわかり、ポンと手を打ちたい気分になる。
なお、あまり見苦しくならないよう、低木は李瀬が時折手入れをしていた。
「お前は食事を減らす嫌がらせを主導したな。お前にはこれが朝食に見えるのだろう? 退職金代わりに持っていって構わんぞ」
左端の侍女の前に、梶が小皿を置く。今日の朝食として届けられた、煮干しの頭だ。
返す言葉もなく黙り込んだ彼女は、少しうつむいたまま視線だけを上げ、李瀬を睨むように見る。
(私が告げ口したと思っているのかしら。何も言っていないしお門違いな怒りなのだけれど。そもそも、窮状を訴えたとしても何も悪くはないわよね)
どこまでも軽んじられたものだ。少しやるせないような気持ちになるだけだった李瀬に対し、司は明確に怒りを示した。
「主たる李瀬を睨むとは何様のつもりだ。この期に及んで見苦しい」
低く冷たい声が響く。それと同時に、空気すらもひんやりと冷えたような気がした。
「うぐ……っ!」
──いや、気のせいではなかったらしい。
侍女たちは心臓のあたりや首元を押さえ、息が詰まったかのように苦しみ出す。
(何が起きているの……? もしかして、霊力か術で何かしている……?)
状況がよくわからず、おろおろと司と侍女たちを見ていると、彼の目が李瀬へと向けられる。
「ここではなんだ、離れへ行くか。梶、そいつらは追い出しておけ」
「かしこまりました」
立ち上がった司は、座っていることすらできず倒れてもがき苦しんでいる三人には目もくれず、離れの方へと歩き始める。
「奥様」
梶に声をかけられた李瀬はハッとして、急いでその背中を追いかけた。
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