第3話
屋敷に戻った李瀬は、早速薬の調合を始めた。
乾燥した薬草と採集したばかりの薬草では調合の際の分量が異なるので、薬効を考えつつ、適切な配合になるようにまずはしっかり計算をする。それから、薬草を刻み、すり鉢で潰し、薬研でさらに細かくしつつ混ぜていくのだ。
最後に、子供でも飲みやすいよう小さめの丸薬にすれば完成である。
毎食後七日分と少し余分に二十五錠を作り、薬包紙に丁寧に包み終える頃には、真夜中すら過ぎて明け方が近い時間になっていた。
ふぅ、と息をついた李瀬は、そこでようやく山歩きの汚れすら満足に落としていなかったことに気づいて肩を落とす。
たらい一杯に湯を沸かして簡単に身を清めてから、長い一日を終えてようやく布団へと潜り込んだのだった。
「李瀬様、おはようございます」
「……ああ、八重」
三時間少々は眠れただろうか。いつもの時間に八重がやってきて、李瀬は目を覚ました。
「薬を作ってあるから、すぐに持っていってあげてちょうだい。一週間分あるわ。毎食後に一錠飲ませて、まずは二、三日様子を見て。回復しているようだったらそのまま最後まで飲み切るようにね」
「李瀬様……! 本当にありがとうございます。すぐに届けてまいります」
「ええ。私はもう一眠りするつもりだから気にしないで、ゆっくり見舞ってあげるといいわ」
「本当に、なんとお礼を申し上げたらいいのか……!」
よほど姪が心配だったのだろう。八重は目をうるませながら、薬が入った巾着を大事に胸元に抱えて出立した。
それを見届けて布団へ戻ろうとした李瀬だが、一度起きて陽光を浴びたためか、眠気は既に遠い。
「眠くなったらお昼寝でもすればいいわね」
調薬を終えた以上、今日は特にすることはない。昨日よく動いた分、今日はのんびりしたっていいだろう。
着替えて軽く身だしなみを整えていると、ドスドスと足音のうるさい侍女が、いつものように朝食とも呼べないものを運んでくる。足音が去ったあとに一応見てみると、今回は煮干しの頭ばかりが小皿に盛られていた。
「出汁を取る時に取り除いた分かしらね」
縁側に置いておけば、時折遊びに来る猫が食べるだろうか。一旦気にしないことにして、李瀬は自分で朝食を作ることにした。
「卵粥と、青菜の味噌汁にしましょうか」
本当に端くれだが、一応お嬢様育ちではあるので、料理をしたことはあまりない。
しかし、嫁いでこの離れで暮らすようになってからは八重が料理するところを度々見ているし、手の動かし方や火加減は薬の調合と類似の部分が多いので、簡単な料理ならなんとかなる。
白米を洗い、水に浸す間に茶を飲んでいると、母屋の方から静かな足音が近づいてくるのが聞こえた。
(八重が戻ってくるには早すぎるし……この感じなら、梶かしら)
そう考えていると案の定、「奥様」と梶の声がした。
「何かしら」
「旦那様がお戻りになりました」
「そう。お話しできるの?」
「はい」
(思ったより早く来てくださったわね)
五年間も何一つ交流がなかったし、一条司は本当に多忙な人のはずだ。用件を匂わせた上で話したいと申し出たところで、一、二ヶ月待つことになるかもしれないと覚悟していた。
これは嬉しい誤算だ。
「すぐに伺うわ。準備をするから、少し待っていてくれるかしら」
「かしこまりました」
夫と、きっと最初で最後になる対面を果たし、離縁を切り出すのだ。気楽な普段着ではなく、相応の装いをするべきだろう。
八重がいないので少々大変だが、手持ちの中で数少ない上質な着物に着替え、髪もきっちりまとめる。白粉をはたいて紅をさし、目を閉じて深呼吸。
覚悟を決めて襖を開けた李瀬は、梶をまっすぐに見据えた。
「旦那様のところへ案内してちょうだい」
母屋のある部屋の前で足を止めた梶は、中へ向かって声をかけた。
「奥様をお連れいたしました」
「入れ」
低めで、襖越しでもよく通る声には、どこか覚えがあるような気がした。
だが、心当たりについて思い出すより前に、梶の手によって襖が開かれる。
そこで待っていた人物の姿を見て、李瀬は固まった。
(昨日の……!? そんな、まさか)
目を見開いて硬直する李瀬を見て、男は口端を上げて薄く笑う。
「やはりか」
結婚五年目にして初めて会うはずだった夫は、昨日山中で行き倒れていた謎の男だった。
李瀬の内心は驚きと困惑で埋め尽くされているが、面白がるようにこちらを見ている男──もとい夫にそれを悟られるのはなんだか癪に障るので、精一杯平常心を装って、室内に足を踏み入れる。
用意されていた座布団に腰を下ろした李瀬は、夫の目をしっかりと見てから切り出す。
「はじめまして、旦那様。五年前に妻となりました、旧姓花崎の李瀬と申します。梶殿にお伝えしたので既にご存知かと思いますが、大変ご多忙な旦那様を不躾にもこうしてお呼び立てしたのは、それ相応の大事なお話があったからでございます。……どうぞ、離縁してくださいませ」
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