第3話


李瀬の婚約が決まってからほどなくして、花崎の屋敷が改修されたり、時折遠目に見る父の服が上等になっていたり、妙に羽振りがよくなった。


兄の話と、上機嫌だった父の様子から、李瀬は一つの結論に至った。


(私は売られたようなものなのね)


妻に耐え難いほどの苦痛をもたらしてしまう司の結婚相手を見繕うのは、一条家にとってもかなり難しかったのだろう。


体面を保つには相応の名家の娘がいいけれど、一条家と釣り合うような名家であれば、普通はあらゆる面で余裕がある。一条家との繋がりを強固にしたくとも、娘を犠牲にするほどではないと判断するものだろう。

こればかりは金などでどうこうできる問題ではない。むしろ金を積めば侮辱と捉えられて、関係に亀裂が入る可能性すらある。


──花崎家以外であれば。


金と名誉を求め、李瀬を厄介払いしたい花崎家当主の父と、優秀な息子に何としても妻を取らせ、次々代へと血を繋いでいきたい一条家当主の利害が一致したのだ。


人知れず始末される危機は去ったが、この先に待ち受けているのは、夫の霊力に毒されて命の危機すらあるという結婚である。

名家に力なく生まれついた我が身を呪いたくなりつつ、李瀬はその後もひっそりと暮らした。力も人脈も資金も何もなく、唯一少し秀でていると思えるのは、植物の栽培と調薬のみ。逃げ出したとしても、生き延びられる気がしなかったからだ。


『人格的に大きな問題があるという話は聞いていない』という兄の言葉に一抹の希望を見出しつつ、大きな不安は消えないまま、十六歳になるその日を迎えた。


誕生日の朝、花崎家にやってきたのは一条家からの使者二人。


一人は、残すは李瀬の記入のみとなっている婚姻届出の書類を持っており、それに署名を促した。署名を終えるや否や彼は役所へと出立し、残る一人──梶に付き添われた李瀬は一条家へと向かった。

道中で聞いたところによると、夫婦となった二人が住むのは、一条家が保有するいくつかの屋敷のうちの一つらしい。そして、夫となった司は遠方へ妖魔討伐へ行っており、しばらく戻れないという。


主のいないがらんとした屋敷で李瀬を出迎えたのは、四人の侍女だ。この他に、通いの庭師が月に二度来るという。


「奥様は離れをお使いください」


生活の場として与えられたのは、離れ丸々一棟だった。


梶は、李瀬に離れの案内をしつつ、司からの連絡事項を告げる。

離れで自由に過ごしてよいこと。離れに手を加えたい場合、よほど大きなことでなければ好きにしてよいこと。司は滅多に屋敷には戻らないし、戻る際も出迎えなどは不要であること。呼ばれない限り母屋に立ち入る必要はないこと。


「何かお困りのことがございましたら、なんなりとお申し付けください」

「……ありがとう」


決死くらいの覚悟をして嫁いできたのに、肝心の夫は不在。この感じだと、今後も関わる気がないのかもしれない。

おかげで命が脅かされる心配は当面なさそうだが、ここまで捨て置かれるのはなんだか複雑だ。


(彼本人は当主と違って、生贄のような妻なんて求めていなかったんでしょうね)


この結婚は本当に、当主同士の意向しか反映されていないのだ。なんと虚しく無意味な結婚なのだろうとため息をつきたくなるが、父の支配下から逃れ、安全で自由な暮らしを手に入れられたと考えることもできる。


(うん、案外悪くないかもしれないわ)


一時期は生家に心休まる場所がなく、使われていない部屋や蔵、木の上や押し入れなど、ありとあらゆる人目につかない場所へ隠れ暮らしていたのだ。あの頃と比べれば、庭付きの広々とした離れでゆったり過ごせるというのはとても恵まれている。


李瀬は前向きに考え、新たな暮らしを始めた。


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