新居に引っ越して以来、不穏な絵を描くようになった息子

ジロギン

第1話(完結)

冬川 雄介(ふゆかわ ゆうすけ)は、妻・綾乃(あやの)と離婚した。


雄介と綾乃は同じ職場に勤めており、社内恋愛の末、お互いが31歳の時に結婚。その1年後に息子の鋼太郎(こうたろう)が生まれた。


鋼太郎を出産後、綾乃は仕事を辞めて育児に専念。雄介は綾乃が仕事を辞めた分の収入を補うため、それまで以上に働いた。苦労がなかったといえば嘘になるが、それなりに円満に思えた結婚生活。しかし、育児を始めた直後から綾乃の飲酒量が増え始めたことが、幸せな家庭の崩壊を招いた。


原因は育児によるストレス。元々綾乃はお酒を飲んでストレスを発散するタイプだったが、飲むのは仕事を終えた夜か週末だけだった。


育児を始めてからは、時間に関係なくお酒を飲むようになり、雄介と顔を合わせるときはいつでも酒臭い状態。次第に育児よりも飲酒を優先するようになり、育児放棄の兆候が見られ、終いには鋼太郎に暴力まで振い始めた。ある夜、仕事から帰宅した雄介が、顔を腫れ上がらせて泣き喚く鋼太郎を見つけ、綾乃の暴力に気づいた。


このまま一緒に暮らしても、家族の誰も幸せにならないと感じた雄介は、綾野に離婚届を突きつけることに。約5年にわたる結婚生活に終止符を打った。


裁判の末、鋼太郎の親権を獲得した雄介。それまで暮らしていた賃貸マンションから引越し、別の地域で息子と2人暮らしを始めたのだった。



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新しい住まいも賃貸マンションで1LDK。10畳のリビングと6畳の和室があり、和室は寝室として使っている。


3人で暮らしていた頃より狭い部屋だが、家賃は相場よりかなり安く、鋼太郎がこれから通うことになる『東マサチュウセッチュウ保育園』からも近い。仕事帰りに鋼太郎を迎えに行くことを考えると、雄介にとって負担の少ない、理想的な住まいだった。


しかし雄介が心配していたのは、自分ではなく鋼太郎にかかる負担の方だ。母親がいなくなること。新しい保育園という慣れない環境に身を置くこと。最初はどうなることかと思ったが、まだ幼い子供だからこそなのか、鋼太郎はうまく順応し、大きな問題が起きることなく、平穏な生活が続いた。ある日までは。



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雄介が鋼太郎に異変を覚えたのは、2人暮らしを始めてから1カ月後のこと。鋼太郎が「夜遅くになると、和室とリビングを区切る襖が少し開いていて、男の人の声がする」と言い出したのだ。


雄介は鋼太郎の横で寝ているし、2人以外に部屋には誰もいない。泥棒が入った可能性も考えたが、部屋を荒らされた形跡もない。


「子供のうちはお化けだの妖怪だのを信じて怖がるものだ」と思い、間に受けてないようにしていた雄介。鋼太郎には「気のせいだ」と言い聞かせていたのだが、それでも鋼太郎は「誰かの声がする」と言い続ける。


決定的だったのは、保育園で鋼太郎のクラスを受け持つ真理子(まりこ)先生に、雄介が呼び出されたことだった。


普段、園児たちが使っている教室に呼び出された雄介。中に入ると、教室の真ん中に真理子先生がいた。真理子先生は、雄介に椅子に座るよう促す。椅子といっても子供用で、成人をとうの昔に迎えている雄介にとっては非常に低い。四股を踏むような体勢で座る。


立っていた方が幾分マシな気がしたが、真理子先生も同じように大股を開いて座っているので、自分だけ立つのは忍びなく感じた。


雄介が椅子に座ったのを確認し、真理子先生が口を開く。


真理子先生「実は鋼太郎くんのことでお話がありまして……最近、鋼太郎くんに変わったことはありませんでしたか?」


真理子先生は20代前半の女性で、保育園の先生としての経験こそ浅いが、熱心に園児や保護者と向き合ってくれることで評判の良い先生だ。


鋼太郎に何らかの変化を感じて雄介を呼び出したことも、真理子先生が子供たちのことを真剣に考えているからこそだろう。


雄介「最近というわけではないのですが、ボクが妻と離婚しまして、鋼太郎にも負担をかけていたとは思うんです。あの子は、ボクの前では気丈に振る舞っていますが、先生から見て何か変なところがあるのでしょうか?もしかして他の子をイジメてるとか……?」


真理子先生「いえ!そんなことはないんです!むしろ鋼太郎くんはみんなに優しくて、絵も上手で、女の子からモテモテなんですよ!」


元妻の綾乃も絵が上手だった。鋼太郎もその遺伝子を継いでいるのだろう。女の子にモテるのは自分からの遺伝に違いないと鼻が高くなる雄介。しかし雄介は綾乃以外の女性と交際した経験はない。完全なる勘違いである。


真理子先生「問題はその……鋼太郎くんが描いた絵なんです。先日、『家族の絵を描こう』というテーマで子供たちに絵を描いてもらいまして、鋼太郎くんはお父様の絵を描いたんです。それがこれで……」


真理子先生は、自分の座る椅子の横に立てかけるように置いていた、1枚の画用紙を雄介に渡す。そこには、机の上に全裸で立つ笑顔の男性の絵がクレヨンで描かれていた。もちろん、ナニまでしっかり描かれている。背景には黒が使われていて、何やら不穏な絵だ。


雄介「これ……鋼太郎が描いたんですか?」


真理子先生「はい……鋼太郎くんに聞いたら『お父さんの絵』っていうんです。うちの保育園では子供たちの自由な発想を重視していますので、この絵を描いた鋼太郎くんが悪いとは思いません。でも、なんでこんな絵を描いたのか、理由が知りたくなりました。それでお父様に来ていただいたんです」


雄介「これボク……ボクですか?えぇ?なんで全裸で机に乗ってるの……?しかも笑顔で……?」


真理子先生「竿と玉もしっかり描かれています。鋼太郎くん、絵が上手いから妙にリアルで……」


雄介「確かに、竿と玉は肌色のクレヨンの上から茶色のクレヨンを使って、限りなくイチモツに近い色を再現している……竿の先端には少し赤も使っているようだ……」


真理子先生「かなりリアルなので、このようなお父様の姿を実際に見て描いてるとしか思えないんです。だとしたら、お父様のナニはその……粗末と言いますか、少なくとも私が付き合ってきたどの男のイチモツよりも弱小と言いますか……」


雄介「……でもこんな、こんな姿を息子に見せた覚えありませんよ!」


真理子先生「それは確かでしょうか?毎晩息子さんに、もう1本の息子さんを机の上で見せつけて悦に入っていないでしょうか?」


雄介「そんなことするわけないでしょう!一体どうしちまったんだ鋼太郎のやつ……」


真理子先生「子供たちが描いた絵は教室の後ろにある掲示板に飾っているのですが、鋼太郎くんの絵を見たクラスの女の子たちが『アタシのお父さんのイチモツより細〜い』『皮を被っていない点は評価できるけど、それ以外はアタシのパパの劣化版』『アタシのダディのナニをマンモスに例えるなら、鋼太郎くんのダディのナニは子象』とか言い出して……子供たちの教育上、この絵を飾り続けるわけにもいかず……」


雄介「ボクの知らないところでイチモツ品評会に出展させられてたなんて……鋼太郎のやつ……」


真理子先生「私もお粗末なナニの絵を描く子は初めてで……も、もちろんお父様がこんな、卑猥なだけで粗末で惨めな姿を実の息子に見せつけるなんて思ってませんよ!……だからこそ、鋼太郎くん自身に何かあったんじゃないかなって」


雄介「……そういえば、新居に引っ越してから鋼太郎が『夜中に襖の向こうから男の声がする』って言うんです。私は寝ている時間ですし、家には私と鋼太郎以外に誰もいません……」


真理子先生「えっ!?」


雄介「それからこの絵の机、これ、うちのリビングにある机そっくりなんです!鋼太郎が言う襖の向こうってのは、リビングに当たります。もしかしたら鋼太郎、夜にリビングの机の上で何かを見たんじゃ……」


真理子先生「……いま住まわれてる場所って、確か『北ウエストバージニアイーストマンション』ですよね?」


雄介「そうですが……」


真理子先生「そのマンション、3年ほど前に男性が自殺してるんです。手首を切り、裸で湯船に浸かっているのが発見されたそうで。それ以来、事故物件になって幽霊が出るなんてウワサも流れてます。ご存じありませんか?」


雄介「そうだったんですか……あっ!そういえば、いま住んでいる部屋、相場よりかなり家賃が安いんですよ!事故物件って、家賃が安くなるって聞いたことがあります」


真理子先生「……もしかしたら、いま住んでいるお部屋が事故現場で、鋼太郎くんは夜に自殺者の幽霊を見てお父さんと勘違いしてしまった……?」


雄介「……正直あまり信じられませんが、普段の鋼太郎の様子や、この絵を見る限りそうとしか……」


真理子先生「実は私、かなり霊感が強くて、幽霊が見える体質なんです。もし良ければ、お父様が休みの日に、お部屋を見せてもらえませんか?何かわかるかもしれません」


雄介「霊感!?真理子先生にそんな特殊能力があったなんて……」


真理子先生「もし保育園の先生になれなかったら、霊媒師になって大金を稼ごうと思っていたくらいには強いんです。不気味がられたり、嘘つき呼ばわりされたりすることの多かった私の霊感ですが、ぜひ役立たせてください!」


雄介「良かった、真理子先生が悪徳霊媒師にならなくて……あっ、霊媒師=悪徳と決めつけるのは尚早ですね!とにかくありがとうございます!お願いします!」


真理子先生「手始めに、鋼太郎くんが描いた絵の男性がお父様なのか幽霊なのか判断するために、ここでお父様のナニを見せてもらっても良いですか?実物を見た方が判別がつきやすいので!」


雄介「……いやそれはちょっと……」


こうして雄介は真理子先生による霊視の約束を取り付けた。



ーーーーーーーーーー



その日の夜。


畳の上に敷かれた布団で寝ていた鋼太郎は、男性の声が聞こえて目を覚ました。


部屋の中は真っ暗だ。


声は、鋼太郎の足側にある襖の向こうから聞こえる。


またいつものやつだ……鋼太郎はそう思った。


例のごとく、襖が少しだけ開いている。鋼太郎は布団の上で身を起こすと、四つん這いになり、襖の隙間を覗いた。


暗いリビングの机の上。さっきまで横で寝ていたはずの父が素っ裸で大股を開いて立ち、笑い声を上げながら腰を前後に振っている。


ナニがペチンペチンと音をたて、太ももに当たっている。


雄介「ほっほぉ〜ッYeah!Fooooooh!Yeah!はっはっはっぁ〜ッ!」


母と別れてから、父は毎晩こんな調子だ。


本人にショックを与えないよう遠回しに夜の様子を伝えている鋼太郎だが、父には夜の記憶はがないようで、いくら伝えても「気のせいだ」と言って現実を見ようとしない。


いつ本当のことを直接的に打ち明けるべきか、鋼太郎は悩んでいる。


<完>

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