Days-Break:美しき新世界
@NAGANO24
第0話『不動 凛音・2387年: 3月24日: 13時49分』
それは温かな春風が桜を散らす頃。
約束していた時間よりも早くに病院に着いてしまった。
心臓の鼓動が鳴り止まない。多少呼吸も荒れている。その時はいつもと違って余裕が無かった。
そのまま駆け足で受付に向かう。訊ねたところ、容態が安定しているようで、このまま見舞いに行っても問題ないとのことだった。
しかし依然として焦燥感が我が身を苦しめている。
やはりこの目で確かめられない限りは決して落ち着かないのだと悟った。
姉さん、大丈夫だよね──?
その胸中に何度も同じ質問を投げ掛ける。
返って来る訳ないのに、余計不安になるだけだと言うのに、そんなことを繰り返しながら、彼女の病室まで急いだ。
扉の前に立ち止まり、その場で深呼吸を繰り返す。
そして十秒ほど経った時、私は心の中で重なった恐怖を押しのけるような勢いで扉を開け入室する。
「……あれ?」
姉の声が聞こえない。いつもなら返事をしてくれるのに。
まさか──最悪の予想が過ぎる。私は息を殺して、恐る恐るベッドに歩み寄る。
そこで姉が目を瞑っていた。
だが微かに、優しい寝息が聞こえる。
眠っているのだと、すぐに気付いた。
「……良かった」
肩の荷が下りて、思わず涙目になる。
こういうことはあまりなかった。前々から気になっていたことだが、私が訪れる時は、必ず姉は起きていた。
いつ寝ているのか、もしかして病苦で眠れていないのか──と心配していたが、その疑問が晴れたことで、かなり安心した。
私はベッドの隣にあった丸椅子にゆっくりと腰掛ける。
姉の寝顔を暫く見つめていた。
「ほんと……姉さんは綺麗ね。周りからは、私達は似てるって言われるけど、私よりもずっと可愛いし、今でもモテてるんでしょうね」
私は姉が大好きだった。両親がろくでもない人間だったから、私には姉以外に頼れる存在がいなかった。
ただ容姿が優れているだけじゃない。
頭も良くて、運動神経も良くて、リーダーの才覚があって、そして何よりも、
──優しかった。
姉は、私を幸せにしたい一心で必死に働いてくれた。辛いことがあった時には必ず傍にいてくれた。無能で取り柄の無かった私に、生きる理由をくれた。
あの深い愛情のおかげで、私は今日も生きているのだ。
だから、そんな姉の余命宣告を聞かされた時は辛かった。
心臓が引き千切られるような痛みが走って、その事実を数日は受け入れられなかった。
「姉さん……嫌よ……」
ついに涙を零してしまった。
気付けば私の心の中は、姉が生きていることの安心感から、姉がいずれ目を覚まさなくなることの悲しみで覆われていた。
やがて姉の顔を見るのも辛くなる。
姉が起きていないのを良い事に、私は逃げるように病室を出ようとした。
そんな時だった──。
「ッ、何?」
何かが落ちる音がして、私は思わず足を止めた。
目を向けると、床には一冊の分厚い手帳があった。
その近くには一本の棚があり、多分そこから落ちたのだろうか……。
私は妙に懐疑的だった。
その棚に収納された本は、どれも読んだことがあった。姉の好きな小説や写真集が収納されているものだ。全て読んだことがある。
だけど今目の前にある手帳が何なのか、私は知らなかったのだ。
「何だろう、これ……」
普通に考えれば、姉のものだろうが……気になる。
私は姉がまだ夢の中にいることを確認してから、ゆっくりと手帳を取った。
そして中身を開く。
──何も書かれてない。
ポケットに入れ難いほどの分厚さの割に、どこを開いても白紙のみ続く。
何も書かれてなさそう、そう思った時だった。
右端のページに、文章が書かれていた。
その筆跡は、間違いなく姉のものだった。
「……わかったよ、姉さん」
それが、私を突き動かす全ての始まりだった。
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