最後の刻 Record8
鈴ノ木 鈴ノ子
最後の刻 Record8
娘のしずくが立ち上がるまでに成長して院内保育園へと登園を始めた頃、ちょうど初夏の日差しの降り注ぐ景色に、歩いていた渡り廊下で足を止めて外を眺めることができるそんな日のことだ。院内医局にあるごちゃごちゃと整理できていない自らの机の上に、封筒が1つ置かれていた。
茶封筒や白封筒の無機質で事務的なものではなく、和紙でできた温かみのある色の薄紅色の封筒だった。そこに達筆な筆文字が書き記されている。
総合医療センター 雪島 洋介 先生御侍史
「これは…」
懐かしい文字だ。
そして優しくて、とても厳しい文字、でもあった。
便箋の口を黒檀の柄にシルバーの太く長い刃先を持つペーパーナイフで開ける。便箋も同じような和紙で白檀の香りがほのかに香ってくる。開いた便箋もこれまた達筆な筆文字で挨拶と手紙を差し出した委細が書かれていた。それを読んでいくと研修医時代の地方研修でお世話になった思い出が脳裏に蘇ってきた。
山間部の小さな村、人口3000人ほどだったかと思う。信号機は村の小中学校に1つだけでそれは道路用というより、村にあったフリースクール小中学校の教育用にために設置されていると言えるほどの村だった。
誰も彼もが顔見知りで小さな出来事1つが翌日には村の人が知っている。なんてことはざらな村だった。役場の職員があの家の構成はと諳んじられるほどの村社会でもあった。そのくせデジタル化などには率先的に取り組んでいて、スマホやインターネットの講習を役場が外部委託する形で推し進めていて、詐欺やその他の犯罪に巻き込まれることの少ない村としても名を馳せていた。だが、送られてきた封筒の宛名を見ると、隣村と合併したらしく、懐かしい村の名前は消えていて、町名だけが残滓のように書かれている。
委細を要約するなら「院長が亡くなって閉院してから10年が過ぎ建物の取り壊しを決めたので9月の中旬にお別れ会を催したい」とのことであった。
『雪島君!』
年老いてもなお芯が通りしっかりとした口調で名を呼ぶ故人の声が脳裏に響く。
『ようちゃん!』
透き通るほどの美しさと此方もどこからでも届く差出人の懐かしい声が脳裏に聞こえた。
内科医師の松橋幸太郎先生と歯科医師の松橋乙女先生の松橋内科歯科診療所で研修に来ていた頃にそう呼ばれていて、それに「はい!」と元気よく答えないと、確か同年代だったふくよかな三重野看護師さんから分厚い手で尻を引っ叩かれてこう言われた。
『姿勢を伸ばす!元気よく返事する!アンタは先生なんだよ!』
『は!はい!』
恐ろしい威力の一撃だった。
夜風呂に入ると沁みてヒリヒリするほどで先輩研修医からも注意するに越したことはないけど、まぁ、数撃は叩き込まれることになるだろうから、覚悟しておくようにと伝説のような口伝が伝わっていたほどだ。
そこでは先生の元で指導を受けながら何でもやった。もちろん、医師の仕事も、看護師の仕事も、介護士の仕事も、事務の仕事も(釣銭の受け渡しまで)をやったこともある。他の研修で移動した先の病院で「そこまでしないでよい」とその指導医に怒られるほど短期間で身に着いたそれは、今でも役に立っていると自負している。
机にいつも入れてある便箋セットを取り出して、封筒に下手ながらも綺麗に書くように努力をした文字で宛先を書き、病院名の入った印鑑を使わずにすべてを自筆で書いてゆく。
『手紙くらい書けるようになりなさい』
乙女先生からそのように指導を受けたことが懐かしく感じる。
ご挨拶から手紙を頂けたことへのお礼と参加させて頂く旨を書き添えて便りを出したのだった。
9月の初旬、時が過ぎ去りかなり変化してしまった道を走りながら旧松橋内科歯科診療所へとハンドルを握っていた。奏としずくは距離があるため今回はお留守番で気楽な一人旅となったので、同級生のやっている診療所を2日ほど手伝ってからこちらへと来ることにした。珍しく有給休暇と夏休みを申請したためか事務長がわざわざ「行ってらっしゃい」と嫌味を言いに来るほどだった。
「なんだ、こりゃ」
村の寂れた信号機を通り過ぎると田舎の一本道なのに渋滞に巻き込こまれた。しばらくノロノロ運転が続いていくと警備員さんが1人立っていて、学校の運上場へ続く道を案内される。指示に従って上り坂をあがってゆくとやがて運動場へと出た。
まるで埋め尽くすと言わんばかりに場違いなほどの車がずらりと並んでいた。
普通車から高級車までが大学病院の駐車場なみに駐車されている。その近くに警備員さんが1人立っていて止める場所を丁寧に案内してくれて、停車すると腰の曲がったおじいさんが近寄ってきた。
「松橋医院と先生を偲ぶ会にご参加の方でよかったかい?」
「は、はい」
「あの体育館の前に受け付けがありますんで、そこで手続きしてください」
「あ、ありがとうございます」
現状を上手く呑み込めないままおじいさんにそう伝えると、次に入ってきた車に向かって杖を突きながら歩いて行ってしまった。現地に着いた旨を心配している奏にメッセージアプリで伝えると、ホッとしたような顔文字としずくの可愛い写真が数枚ほど送られてきた。最近は木製のおもちゃがお気に入りでそれに噛り付いている姿だった。
癒しを貰って気を引き締める。そして助手席のカバンとそして少し色褪せて所々にシミの残る白衣の入った紙袋を手にした。
「さて、行きますか」
車から降りると受付へと向かった。老若男女とは言い難いが一列に人が並んで受付しているさまはなんとも筆舌に尽くしがたい。全員が姿勢を伸ばして整然としているさまは、学校に通学している子供達の整列とそう変わらないだろう。流れてくる気持ちの良い風を感じながら列に並び歩いてゆくと、見知った顔が何人かいて手を振ってくるので振り返して挨拶をした。
「雪島先生ですね、えっと」
受付のおじさんが数枚のペーパーに記載されたリストの名前を確認しながらチェックを入れている。お悔やみと会費を入れた不祝儀袋を差し出すと丁寧に受け取られて、リストから名前を探し始めた。
「破門は後ろの方だと思います」
「ああ、比較的に新しい破門者ですか」
そう伝えると鉛筆を持った手で頭を掻いたおじさんは、後ろのページから名前を探して行き、そしてその名前を見つけるとほぅっと息を漏らした。
「どうかされましたか?」
手元のペーパーを隠す様にしたおじさんが、小さなカードを一枚手渡してくれる。それは見覚えがあって酷く懐かしく感じてしまった。
「先生の記念証ですのでお受け取り下さい、では、中へどうぞ」
「ありがとうございます」
手渡された記念証と呼ばれたものは診察券だった。そこには名前が記されていて、その文字は松橋幸太郎先生の直筆の文字だったことに驚いてしまった。
「先生…」
ずんぐりむっくりの置物の狸のような体形に禿げあがって綺麗に光る頭、そして先生のお父さんから受け継いで大切に使っていたトレードマークの古い丸めがねをかけ、診察室の年季が入った机に向かっている姿が思い浮かぶ。診察券には氏名と生年月日、そして内科に〇が付けられている。先生には内科医になったことは伝えていないはずだから知りようもないはずなのに、そこにしっかりと〇が記されていた。
「あ、よかった。来ていたのね」
「あ、神谷教授…いや、神谷先生、来てたんですね」
「うん、講演会の帰りよ、いやぁ、山の中だから困ったわ、音羽先生が居なかったらここに立てていなかったわよ」
「雪島先生、お久しぶりです」
横から顔を覗かせたのは同い年くらいの男性であった。
神谷教授の研究室で采配を振るう助教の1人で優秀なのにも関わらず、彼女の元を離れない稀有な存在である。彼女の男かとも噂をされたが、そんな素振りなど露ともなく、別の意味で研究室の七不思議と例えることのできる存在でもあった。
「あ、音羽先生、ご無沙汰しています」
「いえいえ。ああ、実は僕も研修を受けていたんです」
そう言って嬉しそうに診察券を見せてくれたが、その診察券にもしっかりと内科に〇が記されており神谷先生も診察券を見せてくれたが、やはり内科に〇が記されていた。
「お二人は専門科を先生に伝えたりしたんですか?」
「いいえ」
「言ったことないわね」
2人ともそのことを伝えたことは無いらしい。私も伝えたことがないのに内科に〇が付いていたことを不思議がりながら、再度、3人とも診察券をジッと見つめる。
「神谷先生、ご無沙汰ですね」
野太いそして癖のある標準語で神谷教授と同い年くらいの男性が会話に入ってくる。その横顔を見て思わず驚く。日本国医師歯科医師会の医師会長になり、多忙なはずの神楽坂先生であった。別段興味がある訳ではないが、近年、新聞やテレビを騒がせて稀にみる偉業を成し遂げた先生として有名な方だったので覚えていた。
「神楽坂先輩、ご無沙汰しております、お久しぶりですね」
猫を被ったようで被り切れていない神谷先生が礼節を弁えためんどくさそうな挨拶を返した。
「あははは、先生も同門でしたね」
それを見た神楽坂先生は懐かしいものを見たように笑った。とても政治手腕等を駆使して、あまり仲の宜しくなかった医師会と歯科医師会を統合し医師歯科医師会として発足させた辣腕家とは思えないほどの屈託のない笑い声だった。
「ええ、きちんと破門されてますわよ」
神谷先生も笑いながらそう返事をして立っている場所から見えている景色に視線を落とした。山の斜面にへばりつくように建物が建っているこの村は学校が一番見晴らしがよい位置にある。その眼下には家々とそして近年できて水をなみなみと湛えるダム湖が陽の光を反射して眩しく輝いていた。その家々の中に妙に横に長く大きな屋敷のように見える瓦葺の日本家屋が見えている。
それが懐かしの診療所だった。
『出る時は破門状を渡す、それまでは指示にも従うように』
そう冗談を言って診療所の古びたアルミドアの前に立っていた丸めがねの老医師の姿が思い浮かんだ。確か研修の時には70歳を超えていたはずだが年齢を感じさせず、研修期間中も研修生の方が年寄りではないかと思えるほどに矍鑠とした動きで翻弄され続けた。
ちなみに研修中は先生の門下生となり、研修を終えると手書きの破門状が渡されて送り出されたが、破門にされるのが嫌で突っぱねた思い出も懐かしい。
「2人もそうなんだろうね。あの2人はまったく凄い先生だったね」
「ええ、本当に、恐ろしいジジイとババアでしたわ」
神谷先生の言い方はともかくとして、確かに恐ろしい先生だったと4人ともがそれぞれの言葉に頷きながら、どこか一抹の寂しさを感じていた。吹き抜ける風はどことなく優しくてそれでいて懐かしい風だった。
「あ、神楽坂先生の記念証はどうなってるんですの?」
「ああ、あれですか、凄いですよ。知っていたかのように内科と歯科に〇が付いてます。ダブルライセンスってことは伝えたことないのになぁ」
そう言って見せて頂いた診察券には確かに内科と歯科に〇が付けられていた。
「ほかの先生も内科、外科、歯科と〇がついているらしくてね、今のところは百発百中です。なにかで調べていたのかなぁ」
そう不思議がっていた神楽坂先生だったが、別の先生に手招きされて呼ばれて挨拶もそこそこに場を離れていく。残った3人は再び診療所の方向を見た。
「私、この診察券の〇がどうして点けられているのかを乙女先生から聞いたことがあるの」
「ちー姉、知ってるの?」
「ええ、ちなみにこの診察券がいつ書かれたモノか分かる?」
「全然、思い浮かばないよ」
太陽の元で診察券を見てみるが、どこにも記載日は見当たらなかった。その代わりに30000番台のカルテ番号が振られていた。神谷先生は15000番台、音羽先生は18000番台の番号だった。
「その番号が割り振られた時に研修に来ていたのよ。つまり研修中に書かれたの。松橋先生はお2人で研修生がどの科に向いているか研修の最後に記していたらしいの。そして将来、閉院の際に配ってみようって遊ばれていたみたい。まぁ、本当なら手渡したかったのでしょうけど、乙女先生も逝ってしまわれたからね…」
それは唐突なことだった。8月の初旬に乙女先生が急逝されてしまわれたのだ。最後の御挨拶が両先生にできないままでのお別れとなってしまったことが悔やまれてならなかった。
「でも、懐かしいわ、道は変わってしまったけど、この景色は変わらないわね」
「そうだよね…」
「ええ、診療を終えて帰ってきたみたいに思えるほど、変わらないわ」
世代が違っても実際の研修もハードだのを思い出して苦笑しあう。
朝の診察を終えると訪問診療で村中を駆けずり回り、先生に付き従って色々なお宅を回った。もちろん、村外からの往診も頼まれれば行くし、夜中でも平然と電話を受けては往診や受診も対応する。まぁ、その翌日は寝坊のため開院が遅れるわけだが、村人は何も言わずに鍵のかかっていない待合室に座り込んでテレビを見たり談笑したりしながら待ってくれていた。三重野看護師さんがポットとお茶を用意してくれるようになると、その待合は受診でもないのに憩いの場となったことが面白かった。
古臭いながら温かい、今は無き昔ながらの診療所の姿がそこで垣間見れたのだ。
『親父が軍医でな。復員してからは村のためにと朝晩とバイクで駆けずり回って働きまくっていたんだ。それに憧れちまったばっかりにこのざまだ、雪島君は今どきの先生だからそんな事にはならんと思うが、まぁ、気をつけなさい』
週に一回だけビールや日本酒をうわばみのように飲みながら幸太郎先生がそう話してくれ、それを聞いて「毎回来る人にこう言ってるのよ」と乙女先生が呆れたように話す姿が微笑ましかった。毎日が忙しかったけれど、患者さんとの触れ合いは何ものにも代えがたいほどの日常を過ごしていたと思う、一般の病院では絶対に体験することのできない日々、もちろん、嫌なことも数多くあったけれど、それが霞むほどの充実した日々を過ごしていた。
「あら、あの車、まだ残ってたんだ」
体育館の入口へと向かう途中にボロボロだがライトだけはしっかりと磨かれた軽トラックが1台止められていた。
両先生が愛用した往診車だ。
意気揚々と運転席に座ったのも懐かしい。もちろん、癖がついたミッション車で運転できなくてすぐに変われと言われたのを覚えている。過去には林業の事故でケガ人が多く出た時などは軽症者を後ろに載せて診療所まで運んだこともあったらしい。
まぁ、昔だから許されるのだろうけれど。
『ライト拭いておいてくれるか?』
往診の合間に川べりに車を止めて川の水をバケツで汲んでは豪快に車体にぶっかけて洗車を始めた先生が、そう言って雑巾を投げてよこしたことがあった。
『先生、そこまで汚れていませんけど…』
『磨いて損はないさ、それに今から使うかもしれない』
『え?』
『なんでもない、やっておきなさい』
そう言って磨かされた帰り道、真っ暗なトンネル内で転倒して動けずにいたハイカーを助けることになった。停車したトンネル内で磨いたライトはその姿を綺麗に照らし出していた。そのほかにも不思議なことが度々あったが、まぁ、とかく勘だけは良くて鋭い先生だったことは確かだ
決して未来視ができる先生ではないとは思うけれど。
車を一周して見回してからようやく体育館内へと入る。
想像していた以上の医師や歯科医師が溢れていた。なぜ分かるのか、と問われれば全員が白衣を着ているからだ。その白衣はみな一律に同じように手作りされたものであり、「この会に参加するにあたりお持ち合わせ下さい」と手紙の後に届いた案内状に記載もされていた。たぶん、手元にない者はほとんどいないと思う。入り口脇で羽織る人々に交じって紙袋から白衣を取り出して袖を通していく、神谷先生も音羽先生も同じように袖を通していた。
研修初日に渡される手作りの白衣だ。
日中の診療所で忙しかったにも関わらず乙女先生と三重野看護師さんで縫って仕立ててくれていて、この人数分すべてを仕立て上げていたのだと思うと驚きを通り越して呆れてしまうほどだ。
『白衣ぐらい洗ってアイロンぐらいかけられるようになりなさい!』
乙女先生の指導のおかげでアイロンの掛け方も上手な染みの抜き方も学んだ気がする。
乙女先生は幸太郎先生の白衣が汚れているとさり気なく入れ替えては染み抜きをして洗うと手早く干し、往診バックの中身で足らない物などを補充する気配りで診療を支えていて、幸太郎先生も街に出ると乙女先生のためにケーキやお菓子を買い込んだり、何気なく欲しい物を聞きだしては買っておいたりと互いを思いやる仲の良い夫婦でもあったが、どの中心にも診療が重きを置かれていたことは確かだろう。
壇上には大きな写真に納まった背広姿で丸めがねをかけて白衣を着た幸太郎先生と、着物姿の乙女先生の遺影が置かれていたが、どうにも居心地の悪い写真に思えてならなかった。そんな形式ばる先生ではなかったし、こんな写真もきっとめんどくさそうに撮ったに違いない。とにかく、ものすごい違和感があった。
「似合ってない写真ね、狸も狐も浮かばれないわねぇ」
「神谷先生、狸も狐もって言い方は…」
「あら、私たちの世代はそう言っていたのよ、狸のような幸太郎先生に狐のように綺麗な乙女先生をそう言って揶揄ったものよ。それにね、先生の御意思にそぐわない写真だもの、あんな姿を飾って式典なんかやったら、夢の中できっとぶっ殺されるわよ」
綺麗に洗われて大切にしていた白衣姿の神谷先生がそう言ってその写真をきつく睨みつけている。音羽先生もその声に頷いていて、声を聞いた先生たちも、そして地元の人たちも同じように頷いていた。
「合併後の町長とか土地の偉い人に任せるとこうなるのだよね、僕も散々痛い目を見てきたよ。しかし神谷先生は本当にスカッとする言い回しをするね」
後ろから神楽坂先生の声が聞こえてきて、振り向くとその隣に畳一畳ほどの大きなキャンバスを持った2人の白衣の先生が立っていた。
「さて、あの写真を退かしてこの仕上げてもらった絵にしよう。これならきっと皆さん納得して下さると思います。あれでは狐も狸もまったく浮かばれないし、ここに集った破門門下生もアレを許すことができるほど人間ができていない」
それを聞いた刹那、老若男女問わず数人の先生が壇上に駆け上ってゆく。
手伝いと式典の用意をしていた役場の職員が数人ほど静止に入ったが、その手を振り払って白衣の軍団が写真を手荒ではなく敬意を払ってゆっくりと持ち上げると、取り外しては壁際の近くの椅子へと置いた、変わって掛けられたふたりの絵描かれた姿を見て、我々もそれを後ろで見守っていた地域の人たちも深く頷いているのが分かる。
「先生、お久しぶりです。今日は一日、お世話になります」
そう言って神楽坂先生が吊り下げられた絵に向かって深々と頭を下げた。声が少しだけ揺らいでいて最後の言葉は聞き取り辛いほど途切れている。
絵が描かれた姿を見た誰も彼もが指示を受けるともなくゆっくりと頭を下げてゆく。神谷先生も音羽先生も会場に居た全員が頭をゆっくり下げていった。
社会のしがらみの糸ではない、心の糸で結ばれた全員がその絵姿に向かって心からの想いを伝える。地域の人も同じように頭を下げていた。
ここに集まった全員が2人の先生にお世話になったものばかりだ。
『よく来たなぁ!さぁ診療に行くぞ!』
『どうした、どこか調子が悪いんか?どこだ、言って診せてみい』
そんな言葉が聞こえた気がした。きっと空耳ではないと思えるほどにしっかりとした声だった。
絵姿は、松橋内科歯科診療所と看板が吊り下がった扉の横に両腕を組んでポロシャツにスラックス、トレードマークの丸めがねをかけた松橋幸太郎先生、その脇に立つブラウス姿にロングスカートの松橋乙女先生、お2人ともにこやかに笑っていて、脇の車庫にはあの軽トラックも絵が描かれている。
破門された門下生一同の心の原風景がそこにあって、地域に根差した医療がそこにあった。
もちろん、ここに居る全員が同じようにできるとは考えていないし思ってもいない、医師が無理をする時代も、患者さんが無理をする時代も、時と共に変化したからだ。でも、変化することを常に守りながらこの原風景だけは忘れないと固く誓った。
老眼が始まった頃、松橋先生と同じような眼鏡を買ってみた。
まったく似合わないと奏としずくは大笑いをした、きっと同じように幸太郎先生も乙女先生も腹を抱えるように大爆笑していることだろう。
『真似はできんぞ、お前たちにしかできんことをやれ!』
研修の最後の日、帰りの車へと乗り込む際に掛けられた言葉が脳裏に浮かぶ。
丸めがね越しにこちらを見つめる目から眩しいほどの輝きが放たれていた。
最後の刻 Record8 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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