アイドル・インシデント〜偶像慈変〜 卓夫勇立編

朱鷺羽処理

第1話「ウェイクアップ・アイドルオタク」


2023年 6月3日 10:00分 谷川岳 山頂登山コース


「はぁ……!!はぁ……!!!し、しんどぉ!!しんどすぎですぞおおぉぉぉぉ!!!?」


 一人男は苦悩を叫びながらも自らを鼓舞しがむしゃらに果ての見えない群馬県と新潟県の境目にそびえ立つ谷川岳の山頂を目指し腹の贅肉を揺らし汗水を垂らしながら突っ走る。

 そんな男の名は寺田卓夫。現在高校3年生のドが付くほどのお手本のような見た目をしたアイドルオタクである。

 運動も不得手で圧倒的インドア派でアイドルオタクの彼が超難関山脈で過酷トレイルランニングを強いられているのには訳がある。


 ――――――――――

 時は2023年。アイドル文化が栄えた現代日本は賑わうアイドル業界とは裏腹に人を喰らう憎愚ゾグと呼ばれる異形の化物もまた活性化し日々産まれ続けている。

 憎愚は人間から負の感情が芽生えた際にそれらを触媒とし産み落とされる。だが憎愚は例外なくアイドルに関した負の感情でしか産まれない。

 そして憎愚は時に同胞を襲う。自分を怨み呪い蹴落とした偶像アイドル崇拝者すうはいしゃに向けて牙を向ける。

 つい先日卓夫は憎愚の手によって無惨にも醜悪な姿へ変貌させられた自らの推しの姿を目の当たりにしてしまう。

 憎愚から人々を守る為に戦う輝世達樹と邂逅し憎愚の存在と現在のアイドル業界の実態を知り自らの推しを守る為にアイドルの平穏が脅かされないように憎愚へ立ち向かう覚悟を決め輝世達樹達が所属する対憎愚撲滅機関『Delightディライト」へ抗者ネトゥ・リヒトとして所属する事となった。


 まず第一の課題として示されたのは身体能力の向上と肉体のブラッシュアップ。

 だらしない弛んだ体格をなんとかしないと話が始まらないと脆弱な体力の持ち主に対して容赦のかけらもない熾烈で地獄のようなフルマラソン(42.195km)を終電ギリギリまで走り込むという苦行を強いられていた。

 そんな常識を超えた過度なハードトレーニングの前に全身筋肉痛は当たり前。勿論完走は一度だって出来はしない。

 だがそんな挫けそうな時推しの踊り輝く姿を空想し自分を奮い立たせ課題に励む卓夫であったが時刻は終電間近。

 卓夫に歩み寄ってきたのは上司である柔和な顔つきでツンとした目が特徴的な顔立ちには幼なげが残る金髪ショートヘアの抗者の女性。篠宮エレンジーナは唐突にプラン変更の旨を伝えられる。


「マラソンはここまで。明日は6時半に東京駅ね♪」


「はやっ……どこか行くんでござるか?」


「明日から一カ月そこら山籠りします」


「や、山籠り!?いきなりハードになったような」


「今から2カ月後に全国の奏者と抗者のルーキー達が集って合同強化合宿の開催が決まったんだ。だからそれまでに卓夫君を他のみんなにも引けを取らないレベルになるまで短期間でテコ入れします」


「全国のルーキー達って……それは達樹殿達も含まれてるのでござるか?」


「もちろん♪」


 卓夫に一抹の不安が過る。強くなりたい。抗者として一人前になって少しでも早くアイドルを守れる存在になりたい。

 その気持ちに嘘はないが卓夫は人を殴った経験もろくにない上に争い事を嫌う。

 そんな彼にとって2カ月後には腕っぷしも強くこれまでも自分に心無い暴力を振るって来ようとする輩から身を挺して守ってくれた親友輝世達樹きせたつきと自分が肩を並べている姿を思い描くことは困難だった。


「無茶言ってるのもさせようとしてるのもわかってる。君が運動が苦手なこともわかってるし人より体力が無いことも踏まえた上で君には彼らと並び立つくらい一気に短期間で強くなってもらう」


「な、なんで拙者にそこまで……拙者決められたトレーニング内容も全然完遂出来てないのに……」


「私のトレーニングプランを3日間ズルせず耐え抜いたから」


「え、だってこれを耐え切らないと抗者になれないのでは……?」


「なれないよ。私が担当した時はね」


 卓夫以外にも同じくアイドルオタクが似た境遇に合い抗者を志す人間はある程度は存在する。だがその大抵は口だけの半端者。エレンのトレーニング内容に不満をこぼし向き合わず途中で投げ出す。もしくはバレないように姑息な手でサボろうとする。そんな人間が大抵であった。


「だからふるいに掛けてるの。粗雑に戦士を生み出しても何も成し遂げる間もなく殺されるだけ。私達だって全員の面倒見切れる訳じゃ無いし。この程度で根を上げるような奴は命を張るって事がどういう事なのかを理解できてないと思うから最初から戦士なんかにはならない方がいい」


 エレンだけでなく長年憎愚と戦い続けて来た戦士達は幾度となく見て来た仲間、後輩の亡骸を。相対する異形は驚く程容赦無くこちらの命を奪ってくる。それらに一切躊躇いがない。よって生半可な覚悟の人間は捕食して命を絶たれてしまう。


「人は度の過ぎた無理難題を押し付けられた時どうしても反抗したくなる。こんなの出来っこない理不尽だってね。

 でも君は意地と根性で自分なりに立ち向かいやり遂げようとした。君は大切な物の為なら弱い自分を奮起させてどんな苦難にも立ち向かう事ができる人間。それは簡単に出来る事じゃ決してない……だからエレちゃんは強くなろうとひたむきな卓夫君に期待しちゃってるのだ♪」


「エレンさん……」


 昔の卓夫なら考えられなかった。自分はひ弱な存在で誰かを守ってあげられる程の余裕なんてないし力も無い。

 自分を傷つけてくるような人間がいても自分がただ我慢すればいいだけだとそう言い聞かせ続けてきた。それに自分だけの痛みなら耐える事ができた。

 中学時代のとある日。アイドルに魅せられてからはその価値観は少しずつ変わり始めた。推しが傷ついていれば自分のこと以上に心を痛めている自分を自覚し始めた。

 人生を振り返って一番感情をむき出しになって怒ったのは推しが目の前で心無いファンにに罵詈雑言を浴びせられ暴行を加えられそうになったのを見た時だった。いても立ってもいられなくなった卓夫は止めに入るもアイドルの代わりに自分が暴行を加えられてしまう。抗う術を持たず知らない卓夫はその時はただ耐え凌いだ。

 その時自分にとってアイドルが何者にも変え難いかけがえの無い存在になっている事に気づく。

 そして時が経ち高校生1年生の初夏に今も関係が続く親友。輝世達樹と出会う。

 

 (強くありたいと、誰かを護れる力をここまで欲するようになったのは自分もまた拙者を労わってくれる心優しき人達に護られてきたからだ。達樹殿だけじゃなく他にも大勢いる。

 アイドルのみんなだってそうだ。拙者にいつだって生きる活力をくれる)


「苦しい時や辛い事があってもそれを拙者達には見せずに不安にさせまいと彼女達は全力でアイドルとしての自分を魅せてくれている……だからそんな必死に誰かの為に輝こうとする彼女達を嘲笑い貪り食う憎愚が許せない。

 今こうしている間にもアイドルが襲われているかもしれない……そう思うとじっとなんかしていられない!

 それにエレンさんがここまで拙者に期待してくれてるんだ!拙者やったりますよぉ!!」


「熱くなってるとこごめん。終電無くなっちゃったから今日はDelight泊まりな」


「あ、はい」


かくして寺田卓夫の抗者としての物語は今宵本格始動していく。これは一人のアイドルオタクが一人の戦士となるまでの成長の物語である!


 ―――― to be continued ――――



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