めがね屋

きみどり

めがね屋

「待ってくれ!」

「サヨナラ」

 とかいう三流ドラマみたいなやり取りの後、彼女は地面に転がっていた僕のめがねを思いっきり踏み潰した。

「ああっ!」

 めがねのフレームがひしゃげ、レンズが抜け落ちる。

 情けない悲鳴に一瞥もくれず、彼女はスタスタと立ち去っていった。破局、である。



 僕なりに彼女のことは大切にしてきた。

 彼女の気持ちや予定を常に優先してきたし、欲しいとねだられたものは何でもプレゼントした。


 だけど、「もう少し会う日を増やせないか」と。

 たったそれだけで彼女は不機嫌になり、言葉を重ねるうちに「勘違いしないでよ」と他に男がいることを告げられ、終いにははたかれた。

 そして、冒頭のやり取りだ。



 地面に崩れ、呆然とめがねに視線を注ぐ。頭が追いつかない。

 通行人たちの胡乱な目つきが、僕の傷心をさらに抉った。


 ――めがね屋に行かなくては。


 唯一浮かんだ思考がそれだった。

 僕は焦点定まらぬまま愛眼鏡の遺体を両手で掬い上げると、不気味に首を傾けたまま街を徘徊し始めた。


 めがね屋、メガネ屋、メガネヤ……


 さながら生前の行動を繰り返すゾンビである。

 やがて個人経営らしきめがね屋を見つけると、生者に引き寄せられる習性のごとく、店内に吸い込まれていった。



「いらっしゃいませ。本日は……新しいめがねの購入ですね」

 僕の両手にのっているものを見れば、何しに来たかは一目瞭然である。

 茫然自失のまま僕は新しいフレームを選び、視力検査を済ませ、店員とカウンターを挟んで向かい合っていた。


「お客様、先ほど通常の視力と一緒に心視力しんしりょくも測らせていただいたのですけど」

「深視力? 僕はトラックなどは運転しませんが」


 時間が幾分かのことを解決してくれたのか。

 まともな返事をできた自分に、僕は自分で驚いた。


「いえ、その深視力ではなくて、のことですよ」

「人を見る目」

、とか言いますでしょう? お客様、通常の視力も少し落ちてましたが、人を見る目も落ちてましたよ」


 なんだって。

「今はそんなものまで測れるんですか!?」

 驚きである。


 店員がフッと微笑んだ。

「そうなんですよ。プライベートやお仕事でも、何か思い当たる節がありませんか?」


 ある!

 人を見る目がなかったせいで、ついさっきこっぴどくフラれたばかりだ!


「でも、昔はそんなことなかったのでは?」


 うーん。そうだな。確かに。

 多分そんな気がする。


「そこで、お客様にオススメなのがこちらのレンズです!」


 店員がペラリと寄越して見せたのは、オプションレンズの一覧だった。

 ブルーライトカット、曇り止めなどに並んで、心視力という項目がある。


「こちらのレンズを使用していただければ、人を見る目が百パーセント矯正されて、他人の本質や才能を見抜けるようになりますし、嘘に惑わされることもなくなりますよ!」

「なんだって! そりゃあ、すごい!」


 僕の気持ちは俄然傾いた。今日みたいなことは二度とごめんだ。

 でも。


「すごい、ですけど……今日はやめときます。実は今日まさに、自分って人を見る目がないなーってことがあったんですけど、それはそれで勉強になったっていうか……失敗したぶん、次は成功できる気がしてて……。もう少し、自分で頑張ってみようかなって思います」


 店員の笑顔がピキリと固まる。

「そうですか……それは残念です」




 なぜだか少しだけ気持ちが軽くなって、めがね屋を後にする。

 ピタリと閉まったドアの向こうで、店員が呟いた言葉を、僕が知ることはない。


「ハア、人を見る目がないから買ってくれると思ったのですが。おバカさんなおかげで助かりましたね。残念です。本当に、残念です」

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めがね屋 きみどり @kimid0r1

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