眼鏡かけたら真実がそこに。

篠騎シオン

こんな人生くそくらえ

男には三分以内にやらなければならないことがあった。

いや、それは正しくない。

男には三分以内に本当はやらなければならないことがあった、が真実に近い。

何故なら、彼はまったくもってそれをやる気がなかったからである。

あと三分で上司から告げられた始末書の提出期限だったが、PCにはのっぴりとした白い空間。

申し訳ございませんも、ごめんなさいも、何もない。


それもそうだ。

男は自分が悪いとは微塵も思っていないのだから。

そもそもすべては上司の責任で、男にはどうしようもないことだ。

ふっと意識が瞬間的に飛ぶ。

いけない。社会人を続けていくには人間関係というのも大事なもので、男はしぶしぶそれに取り掛かった。


「はぁ」


小さくため息をついたのち、とりあえずネット検索をして適当な謝罪文をコピペ。

必要な箇所だけ直そうと男は文字をさらったが、笑っちゃうくらい自分と同じ境遇の相手が書いたようで、修正の必要もない。

印刷にかけ、小走りに別室にいる上司のもとへ行って、今の今まで必死に書いていましたという顔で平身低頭謝罪文を差し出す。

謝罪文を一瞥した上司は、ひらりと、それをゴミ箱へ。

ほら結局、何を書いたって同じなんだ。俺が三分以内にやらなきゃいけなかったことは辞表を書くことだったんじゃないかと、男は心の中でひとりごちる。


上司はがみがみと怒る。

怒っても営業成績は上がらないし、事故物件が出来てしまったのも俺のせいじゃない。そもそもあれは上司から紹介された入居者だし、入居者のプライベートによるいざこざだったわけで自分に非があるとは思えない。正当に評価されないのは百歩譲ってしょうがないとしても怒られるのは理不尽だ。

そんなことを考えつつさんざん怒鳴られたあと、早く仕事に行け、との言葉でやっと男は解放される。

ああ、これから仕事か。再び出るため息。

住宅の内見をしたいという予約が、今日も複数入っていた。




そうして仕事を終えて、自宅。

特に何もなく、男は眠りにつく。

明日はなんかいいことないかな、なんてこと考えながら。


男は夢を見た。

クリスマスプレゼントをもらう夢。

小さいころワクワクして開けた箱。

その中に入っているのは、そう夢にまで見た――


そこで目が覚める。

夢にまで見た、何だろうか。

ゲーム? 戦隊もののフィギュア? それとも大きなケーキだろうか。

寝ぼけ眼で、あくびをしながら見つめた先に、一つの箱。


「は?」


それは夢に見たものと同じ、プレゼントボックス。

男がゆっくりとそれに手を伸ばして蓋をずらすと、中から出てきたのはメガネが一つ。よくわからないまま、とりあえずかけてみる。


でも、夢の中で感じたようなワクワクは何もやってこなくて。

男は大きなため息をついて、そのままテレビをつける。

誰だ、こんなものを置いたのは。不法侵入か?

そう思いながら、テレビ画面を見た男は異変に気付く。

朝のニュース。

レポーターやタレントたちはみな、男と同様の眼鏡をかけていた。

そしてその頭に浮かび上がる数字。


タレントたちがにこにこと自分の頭の上の数字を指さしたりしている。

これは何だ、と男は慌ててチャンネルを変える。

ただのテレビショー上の演出だと思った。しかし、どのチャンネルでも同じ現象。

そして、上部にテロップでこう書かれていた。


『他人の数値がいくつであるかは他言無用厳守。破れば死』


赤文字。

テレビに載るにはなかなか物騒な文言だった。


男は慌てて自室のカーテンを開ける。

彼の家の横は、子供たちの通学路になっていてこの時間は幾人もの児童や学生たちが通る。ただ、その姿を見つめてみてもテレビとなんら変わりない。

お揃いの眼鏡に、頭の上の数字。

最も、数字は人それぞれであったが。

そして誰も、それのことを大きく気にしているそぶりはない。

数字がドングリの背比べであるという影響も大いにあるのかもしれないが。


男はそこで、自分の思考を放棄する。

誰も気にしないんなら、俺も気にしなくていいや。


そう断定し男は出勤する。男は深く思考するのをすぐに面倒くさがり、すぐに考えたことすら忘れてしまうのだ。

食事をして身だしなみを整えて、家を出る。

そうして、社会人としての最低限度を営む。


だが男の生活はいつも通りとは行かなかった。

誰も彼も数字のことなど気にしていなかったはずなのに、男が外に出た途端。すべての人の視線が彼の頭の上の数字に引き寄せられ、さっと青い顔をする。

その様子に男は大層居心地の悪い思いをした。

そして、なんで世界はこうなってしまったんだと呪った。


けれど、会社に出勤した途端男は久しぶりにいい気分になったのだった。

あの上司が、男のことをさんざんいびり、けなし、こき使い、奴隷のように扱ってきた上司が、自室の部屋のかどで震えているのだ。

自分の数字を見せまいとしているのがわかる。けれど、どんなに隠れても数字は相手の見やすいように眼鏡によって浮かび上がってくるようで、男とその同僚たちは上司の数字を認識する。


それは、その場にいる誰よりも小さい小さい数字だった。


「はははっ」


男は声を上げて笑ってしまう。

ただ小さい数字の人間に会っただけでは、彼は笑わなかっただろう。

あんなに大きい態度をしていたのに、たかが頭の上に小さい数字がついたというだけで、怯え、隠そうとしている上司のその態度に笑わずにはいられなかったのだ。

今までのささくれだった心が大いに、癒される。

その笑声を聞いて、上司はまださらに小さく縮こまるのだった。


そうして世界はその現象を当たり前のように受け入れ、回っていく。

相変わらず男は他人に少し恐れられる生活を続けていたが、それも段々と優越感へと変わっていった。

みんな、数字の意味するところを理解していったからだ。


数字は、その才能や個としての力を表し、数字が大きくなるほど赤みがかる。

公明な科学者や武闘家、そして強い権力を持つ人間が赤に近いオレンジで高い数字であることからも一目瞭然だった。

ちなみに男の色はというと。


「赤色……」


男を見てつぶやく人々の言葉から、男は自分の色を認識している。数字はダメだが、色だけは公言することが許されているのだ。

それは燃えるような赤。真っ赤らしい。

自分以外にそんな色を持つ人間に、日常でもテレビでも博物館でも、男はお目にかかることはなかった。


男の人生は変わった。

あの上司も、男の言うことにはおとなしく従うようになったし、仕事も何もかもがうまく行く。男が少し強めにぐいぐいと押すだけで、たいていの物事はすんなりと。

眼鏡のおかげで、男は強くなったのだ。

いや、強かったのが可視化されたというのが正確かもしれない。

男は、人々がこの眼鏡を手放したりしないことを願った。


そのころには、この眼鏡の秘密も一部の都市伝説のようなものを好むマスコミ報道によって特集されるようになって、なんでも日本にある世界最高峰の研究機関によってつくられた代物らしい、とまことしやかにささやかれている。

男は、特集を見るものの、その内容を心の底から信じたりしない。

そこに正義があるとは思えなかったからだ。

けれど、たった一つ、男がそのマスコミたちに感謝していることがあった。

一部じゃない多くのマスコミたちが、眼鏡を決して体からはなさないで、と警告していることだ。

日本中で眼鏡を手放したことにより、糸が切れたように動かなくなってしまうという事件が多発しているらしい。

この世界が好きな男にとっては大変好都合な話だった。

今なら、なんにでも勝てる気がする、そんな無敵感を味わいながら、男は日々を暮らしていた。


そして、その日は訪れる。

目が覚めると外から聞こえる悲鳴。阿鼻叫喚と言ったところ。

不思議に思い男がテレビをつけると、そこに映し出されるは全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。たくさんの0の文字。

慌ててテレビの音量を上げると、焦りながら原稿を読み上げるレポーターの声。


『世界最高の某研究機関から実験中のバッファローが逃げ出したとのこと。彼らは赤い数字の人間を狙っているということです。数字の大きい方は地下シェルターなどに退避してください!』


男の頭の中がパニックで埋め尽くされる。

赤い?

バッファローは赤いの好きなんだっけ?

赤ってなんだ?

俺の数字の色だ。

俺はどうすればいい。

逃げないと!!!


いくら男の人生がうまく行き始めたといっても、この眼鏡の世界になってから数か月も経っていない。

地下シェルターを所持していなかったし、その当てすらない。


どうしようもなく、男はただただ走った。

スマホを見ながらバッファローの現在地からひたすら遠ざかるように。

けれど、彼らは、徐々に徐々に男の方へとすべてを吹き飛ばしながら近づいてくるようだった。

燃えるような赤を持つこの男のところへ。


男は必死に走りながら、走馬灯のように今日までの日を想う。

ああ、調子に乗ったから罰が当たったのかな。

数字が大きいって言っても同じ人間だからな。

数字が小さいからって上司に強い態度とったのがいけなかったのかな。

そこまで考えて、小さい数字の大群のことを思い出す。

待て、あのバッファロー達、一匹一匹はそんなに強くないのだとしても、0なんてことあり得るのか?

男は数日前に女と行った動物園のことを思い出す。


ライオンも、シロクマも、ペンギンでさえも、0ではなかった。

そもそもこの数字って何なんだ。

本当に信じていい数字なのか……?


ふと、男の心に芽生えた疑念が心を埋め尽くす。

他人と数値に関しての会話をすることは禁じられている。

男が赤色に見えてるからと言って、他人の目からも高い数字が赤色に見えているとも限らない。

俺の赤色は本当は劣等で、なのに才能のあるやつらに逆らうようなことをしていたために、今罰せられるのでは?

本当は実は小さな数字の方がいい奴だったのでは。

全ては俺が悪いのではないか。

男の心の中を想いがめぐり、めぐる。

けれど答えは出ない。


男は再び走ることに集中しようとする。

次の瞬間、地面の振動が、男の足をもつれさせ、転ばせた。

眼鏡のレンズががしゃりと音を立てる。

もうバッファローはすぐ近くに来ていた。早く逃げなくては。


振り返る。

レンズ越しに見る世界は、制裁のためか迫りくるバッファローを映し出す。

けれど、欠けた眼鏡の隙間からは何も見えない。

ただ世界が広がるだけ、きらりと光るなにかがあるだけ。


「はっ」


男はその真実をつかむ。

彼らの上に0が浮かんでいた理由。

そう、バッファローも、なんだったら数字達も。


全部まやかしだ。


男はそう理解し、眼鏡を勢いよく手放した。

とてもすがすがしく、解放された気分で、なんだってできそうだ。

そんなことを思いながら、彼は意識を失った。






日常は再び始まる。

今日も彼は、人に部屋を紹介していた。それが彼のお仕事。

世界はあの一件からしばらくのち。

もう誰もあの眼鏡はかけていなかったし、かけなければ数字も見えず、バッファローも襲ってこない。

そして、その話を誰一人もしないことに、男は特に疑問も持たなかった。

嫌な記憶は押し込んでおくことにしたらしい。


やっと何かに気付いてくれたと思ったのに、またこれだ。

そしていつも死にかけては私をひやひやさせる。

大切なこと、自分のこと。

彼はつかみかけてはすぐなくす。

そろそろ自分の力に、それから私に気付いてほしいと思うのは傲慢だろうか。


――願えばすべてが叶う君に、私は幸せをつかんでほしい。

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