5

 わりと狭いが、無駄のない部屋だった。

 ただ不思議なのは畳の敷かれた明らかに和室で床の間などもあり、窓は障子窓なのだが、その窓の下にはベッドがツインで置かれていたことだ。

 手前には座卓と座椅子が用意されていた。


 優美と亮平は今、明かりを消してその二基のうちの窓際のベッドの上にいる。

 二人とも裸体の上に一つの白いブランケットを肩までかけ、うつぶせになっていた。

 互いの体の余韻を、しみじみと感じているようだ。


「なんでこういうことになったんだろうね」


 亮平が聞いた。


「さあ、なんでかなあ。なんとなくよ」


「わけもなく?」


「だって、世の中、そう何もかもなんでなんでって合理的に理屈つけたら色あせてしまうじゃない」


「たしかに」


「あんたこそ、もし私があなたが駐車場に入っていったのを無視してそのまま走って行ったらどうした?」


 亮平は笑った。


「どうしたろうね?」


 そして全身を優美の方へと向けて、横向きになった。


「でも、同じ部屋に泊まっていいと言われたときは驚いたよ」


「あの時のあんたの顔! 何度も何度も本当にいいの?いいの?って」


「そうだっけか?」


 優美は少し笑った。



 二人はチェックインして部屋に入ってから、すぐに食事に出かけた。駅とは反対側二百メートルほど歩くとまず右側に寿司屋があったが、高そうなのでパス。次の角の所には小さなラーメン屋があり、二人はそこに入った。

 レストランという感じではなくあくまで「食堂」で、いくつかのテーブル席と、一段高くなった畳の上の座敷とがあった。

 亮平はカツ丼、優美は辛みそラーメンを注文し、どちらも同じ七百円だった。

 九時には閉まると聞いていたけれどこの店は八時四十分閉店だそうで、かなりせかされるような感じで慌てて食事をした。

 だから、優美と亮平はほとんど会話をするゆとりもなかった。

 だが、時々優美は笑顔を見せるようにもなっていた。


 宿に戻ってからそれぞれ男女別の大浴場に行った。大浴場と言ってもそんなに広くはなく、深い部分と寝そべって入るくらいの浅い部分とがあった。

 満室とだけあって、結構人は入っていた。

 湯は厳選かけ流しと聞いていたが無色透明で匂いもないが、肌触りがやはり普通のお湯とは違うかなという感じだ。


 優美が部屋に戻ったときには、亮平はもう浴衣のままベッドに横になっていた。優美を見てゆっくり起き上がった。


「疲れたから寝る?」


 亮平が聞いた。そして付け加えた。


「別に変なことしないから」


「え? しないの?」


「え? いいの?」


「いいとか悪いとかじゃなくて……んん~、もう、言わせるな」


「本当にいいの?」


「いいよ。変なことしても」


 亮平の顔が輝いた。優美は苦笑した。


「そんなに嬉しいものなの? 男って単純……ていうかばか?」


 そう言ってから、優美は少し真顔になった。


「ただし、条件がある」


「まさかお金払えとか?」


「あのねえ! そんな援交みたいなことしないよ! そういう女じゃないから、私」


「じゃあ、何? 避妊?」


「露骨に言わないで! それもそうだけど、条件はね、私の名前も聞かないで。連絡先の交換もしない。これが条件」


「わかった。でも、俺は名乗ったんだけどな」


「なんか言ってたね。でも、もう忘れた」


 そんなやり取りがあって、二人はベッドの上にいた。

 そして優美が自分のかばんの財布の中から避妊具のゴムを取り出したときは、亮平は目を見張った。


「なんで?」


「あのねえ、驚くことじゃないよ。高校の頃から、財布の中にこれ入れてれば金運が上がるって友だちの間でもめっちゃ流行ってた」


「まじかよ」


 そのあとは、優美の方がむしろ積極的だった。



 ことが終わって二人で横になって、ブランケットに二人はくるまっていた。


「もう一度シャワーとか浴びたいな」


 優美がつぶやく。


「でもこの宿は、部屋に浴室やシャワーはないしなあ」


「大浴場は一晩中入れるって受け付けの人は言ってたけど、またわざわざ行くのもねえ」


「明日、朝風呂浴びよう。明日は君が目指すお城のある町に行くんだろ?」


「うん」


「そこに何かあるの?」


「私の実家。厳密に言うと、お城の町からさらに山間部を林道のようなところを40分くらい走るんだけど」


「なんだ、夏休みの帰省? 観光旅行じゃないって、そういうことか」


「帰省といえば帰省なんだけど、そんな呑気なものじゃないのよ」

 

「え?」


「私、お見合いさせられる?」


「え? もう? 早くね?」


「親に無理やり。来年の三月に大学出たらすぐに結婚しろって」


「でも、どんな人かわかんないじゃん」


「親同士でとっくの昔からそう決めてたんだって。だから、断るって選択肢はないみたい」


「まじか? いつの時代の話だよ? 今どきそんなのまだあるの?」


「田舎だといろいろあるのよ。恋愛結婚なんて頭は親にはないみたい」


「昭和脳?」


「昭和どころか明治脳」


 他人事のように優美は言って、苦笑した。


「あなたオートバイで一人旅なんて羨ましい」


「学生生活最後の夏休みだからね。明日はいよいよ海峡を渡る」


「いいなあ。私は今日帰るって親には言ってあったけど、こうして寄り道するだけがささやかな反抗」


「ただの寄り道じゃないけどな」


「たしかに」


 二人は笑った。


 

 翌朝はよく晴れていた。

 昨夜着いた時はもう暗かったからわからなかったが、窓の外は国道越しに海が広がっている。だが、防風林に遮られて、よくは見えなかった。

 二人はそれぞれ分かれて大浴場でもう一度温泉に浸かり、荷物は置いたまま海岸を散策することにした。

 駅の方へ戻ると、すぐ左側に道の駅の駐車場があったが道の駅らしい建物はない。


「昨日、道の駅の看板があったから曲がったんだけど、どこにも道の駅なんてないなって思ってたら」


 呟くように優美が言った。


「でも、駐車場があるんならあるんじゃね?」


「でも」


 たしかに駐車場があるだけで、道の駅らしき施設は見当たらない。

 とりあえず二人はその駐車場の中を横切る形で国道に出た。だが、国道を横断で来そうな信号はなかったが、右の方に歩道橋が見えた。

 そちらの方へ歩いて行くと、五階建てくらいの黄色っぽいどっしりとしたビルがあって、そこに赤い看板で「道の駅」と書かれた縦長の看板が立っていた。

 道の駅の名前も書かれている。


「これが道の駅かよ」


 亮平が驚いたような声を挙げたとおり、そのビルが道の駅だったのだ。

 だがまだ開店前らしく、入り口は閉まっていた。

 ちょうどその脇に上り階段があって、歩道橋の上に続く。登ったところが道の駅の二階の入り口でもあった。歩道橋はここから始まっているわけではなく、駅を飛び越えて線路の向こうから続いているようだ。


 駅とは反対に国道を越えたところで、歩道橋は終わっていた。その終わりの階段を降りて、二人は海岸に出た。

 砂浜でも岩浜でもなく、人口のコンクリートの護岸壁に固められた海岸だ。ちょうど海釣りをする人が集まるところらしくちょっとした広場になっており、海釣りの桟橋もいくつか出ている。


 海は左右とも岬が突き出た湾になっているようで、目の前のすぐ近くのところにちょうどお椀を伏せたような緑の小さな島が浮かんでいた。

 海は青い。

 だが空は晴れてはいるが雲一つないというわけではなく、むしろどちらかというと空の大部分を雲が占めていた。

 空気は張り詰めたようにさわやかだ。朝から蒸し暑い都会とはやはり違う。それでも、昼になったら十分暑くなりそうな気配はあった。


 しばらくそんな海釣りの護岸壁の上を二人で歩いていた。周りに人は誰もいない。

 そんな海の景気の写真を、優美はスマホで撮ったりしていた。


 それから一度国道へ戻った。


「あれ? コンビニあるじゃん」


 亮平が指さした遠くに、見慣れた白い牛乳瓶がデザインされた青い看板がはるかに見えた。


「ほんとだ。宿のおじさん、この辺にコンビニはないって言ってたけど」


「ちょうど朝飯どうしようかと思ってたところなんだよ」


「近くに朝からやってる食堂、なさそうだしね」


「行ってみようか」


「でもめっちゃ遠そうだよ」


「海見ながら歩いていればすぐだよ」


「一度宿に戻って車で行く?」


「いいよ、歩いて行こう」


 二人は国道の右側の歩道を、遠くのコンビニの看板に向かって歩きだした。右側が海だ。すぐに海釣りの広場は終わって、国道が直接海沿いになった。

 だが、国道と海の間には背の高い防風フェンスが風景を遮った。それでもアルミの縦格子フェンスなので、海が全く見えないわけではない。

 左は十階建てくらいの大きなホテルもあった。そのあとにはずっと防風林だ。


 すぐに右側のフェンスは切れて、紺碧の海が間近に迫った。


「めっちゃきれい!」


 優美は歩きながら、そんな風景に何度もスマホを向けた。海の左手には、海に突き出た岬のさらにその向こうに、うっすらと半島が水平線の方まで長く延びているのがかすかに見えた。

 そして自然と亮平と腕にすがって歩いていた。


「なんだよ、恋人同士かよ?」


 亮平は笑った。


「これもささやかな反抗?」


「そうかもしれない。そして、もう何時間かしたら別々の道を走って、もう二度と会えない恋人同士」 


「現実に引き戻すなよ。せっかく夢を見ていたのに」


 それが受けて、優美は声をあげて笑った。


 すぐに左手に遠くから見えていたコンビニがあった。平屋造りの一戸建てだ。最初に海に出てから、もう五分くらいは歩いたようだ。

 コンビニの数メートル先に信号のある横断歩道があって、それを渡ってから少しコンビニに戻る形となった。

 コンビニの中はどんな地方都市に行っても、都会と全く変わらないから不思議だ。

 二人はパンとサンドイッチ、缶コーヒーなどを買った。

 

 コンビニのパーキングを国道とは反対側に行くと、そこは先程渡った信号のところで合流する県道だ。雰囲気的にこの道はあの宿屋の前の道のような気がしたので、国道と並行するこの県道を二人は来た方に戻った。

 その勘は当たって、また五分くらい歩いて宿屋に着いた。

 そのころには、空はだいぶ雲が多くなってきていた。


 部屋で買ってきたサンドイッチなどを食べながら、テレビをつけてみた。

 ちょうど天気予報だった。


「バイクだと、天気がめっちゃ気になるんだよ」


 そう言いながら、亮平は天気予報を食い入るように見ていた。

 天気予報はこの地方の今日の天気の概況を伝えている。


――今日の天気は晴れのち曇り、所によりにわか雨があるでしょう――


「なんだって?」


 優美が聞く。


「晴れのち曇ってにわか雨だってさ」


 それを聴いた優美が、プッと噴いた。


「何その変な天気予報」


「ああ、俺たちみたいだな」


「なにが?」


「変なところが」


「たしかに」


 二人は笑った。


「とにかく、雨になる前にフェリーには乗りたいから、そろそろ行くか」


 変なカップルは急いで支度をすると、チェックアウトした。


 昨日と同じように優美がカローラを発進させると、亮平のレブル250がそれについていく。


 国道に出て、先ほどのコンビニを横目にさらに海沿いを進む。

 国道の左側は少し小高い緑の土手の斜面になったが、右手はずっと海が広がっている。そんな景色を楽しみながら優美は運転できた。

 だが、小さなトンネルを抜けたあたりから、国道は海と別れてまた内陸の道となった。

 さらに田園風景の中を進んで行くうちに、また長いトンネルを抜けた。その先で、国道はいつしか片道二車線となっていた。

 時々目にする道路の行先表示に、優美が目指さねばならない地名とキロ数が表示されるようになった。

 進むたびに、そして標識があるたびにそのキロ数はわずかながら減っていく。


 やがて左右の道沿いに建物が増え始め、だんだんと開けた町に入ってきた。

 さらに進むとそれまではせいぜい二階建てくらいだった建物も、七、八階建てくらいのビルも普通に並ぶようになった。都会とまではいかないけれど、それなりの発展した都市部の市街地に入ったようだ。

 国道はさらに道幅が広くなって、片側三車線となった。交通量もかなり増えている。それに信号も増えて、ちょくちょく赤信号で止められるようになった。

 薄い草色ベースに全体的に緑系統の路線バスの姿も頻繁に見える。

 やはり一番交通量が多かったのが、県庁の前を横切るあたりだった。銀行のビルも目立つ。歩道の上の人通りも多い

 すぐに市街地は抜け、左右の建物も二、三階建てばっかりになって落ち着いた雰囲気になってきた。

 

 国道が高架になって、鐡道の上を跨いだ後、これまで優美の実家のある町の地名のほかに、ある標識が瞬間目に入った。


 ――フェリーふ頭、2.7km先右折――


 それを見て、優美は少し息をついて、バックミラーのレブル250を確認した。

 そして三分も走らないうちに、広々とした風景の中、大きな郵便局の前を通って自動車量販店を過ぎたあたりで、「フェリー埠頭は400m先右折」と出ていた。

 直進の方向には新幹線の駅名と、そして優美がこれから向かう実家のある町の名前があった。


 400mならあと一分もかからない。

 この辺りはよく郊外にあるようなドラッグストアや広大な商業施設が多く、一戸建てのチェーン店のようなレストランも多い。それぞれが広いパーキングを持ち、そのために開けた風景に見えるのだ。

 あの宿を出てから、ちょうど30分くらいだった。

 右側に全国展開の巨大な家電量販店とショッピングモールがあり、それを過ぎると信号のある大きな道との交差点に差し掛かった。

 その手前にはついにフェリー埠頭は右折するよう標識が出ていた。


 信号は青だった。

 今まで後ろを走っていた亮平のレブル250一気に加速して、優美のカローラの右についた。

 そして右折するために止まって、対向車線の車の流れが切れるのを待っている。優美は一緒に止まるわけにはいかない。

 ふと亮平を見ると、彼はレブル250の上からこっちを見て軽く左手を挙げた。

 優美はごく短くホーンを鳴らすと、そのまま信号を直進していった。


 そこの頃から空はどんよりと曇っており、突然激しい水滴がフロントガラスを直撃し始めた。

 優美はワイパーを作動させた。

 しかし、自分の目には、ワイパーをかけることはできなかった。


 新幹線のガードをくぐると、風景は一変して一気に田園地帯となった。

 バックミラーには、当然のことながら亮平の乗るホンダ・レブル250の姿はもうなかった。



       <「晴れのち曇ってにわか雨」 おわり>

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晴れのち曇ってにわか雨 John B. Rabitan @Rabitan

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