博士と僕の『めがね』
黒猫夜
博士のマーク1
博士は町の変人で、発明家で、僕のお隣のお姉さんで、僕の恋人だ。
生活力ゼロの博士のため、高校生の僕は毎日彼女の家に通っては家事をしている。
「博士、いったいいくつメガネを壊して、作り直したら気が済むんですか……?」
「トニー・スタークが、作ったアイアンマンの数を覚えていると思うかい?」
博士がキメ顔で言った。調子に乗られてすこし鼻白むが、言わんとすることはわからないではない。
「博士、アイアンマンシリーズは全部見たんですか?」
「いや、最初のだけだな。ちゃんと見たのは」
博士はメガネをくいっと上げるポーズをしたが、それは空振りに終わった。今日の博士はトレードマークである丸眼鏡をかけていない。昨日、適当に置いたメガネをうっかり踏んでしまって、作り直しているとのことだった。僕も気をつけてはいるが、ずぼらな博士がメガネを適当にその辺に置いて壊してしまうのは珍しいことではなかった。
「午後からは配信で映画でも見ましょうか」
僕は機嫌が悪くなってきた空模様を見上げながら言った。
「そうだね~。
今日は休日、僕と博士は博士の家で昼食を囲んでいた。
食卓の上には、僕が用意したイタリアンレストラン風のランチがならぶ。朝、僕が買ってきたベビーリーフとプチトマトを木目のボウルに盛りつけ、クルトンと半熟卵を乗せたシーザーサラダ。木椀によそったコーンポタージュスープはまだ湯気とともに甘い香りが漂っている。食卓の中央にはバッファローモッツアレラのピザ。そして、博士と僕のマグカップ。
家事手伝いとして雇われているのだからと遠慮していたが、今日は一応おうちデートという名目であるからして、恋人とのランチを断るほど僕は野暮ではなかった。
「しかし、やっぱりおいしいね、彼氏くんのご飯は」
「どういたしまして」
髪をかき上げて、ピザに乗ったモッツアレラチーズと格闘しながら、博士が言う。丸眼鏡がない博士の上目遣いの視線は妖しげだ。口の周りについたチーズを舐めとる博士の舌にいけないものを見ている気がして僕は思わず目をそらした。赤面する僕に博士が目を細めて笑った気がして、僕はマグカップのコーヒーをあおった。
しかし、一時期、「旦那くん」まで昇格していた僕の呼称だが、なんだかもったいない気がするという博士のよくわからない一存で「彼氏くん」に変更された。博士の考えることはよくわからない。
――――
「電気消しますよ。博士」
「ああ、いいよ。来てくれ。彼氏くん」
僕は電気を消すと寝椅子に座る博士の隣に腰かけた。
カーテンを閉め切ったリビング。ホームプロジェクターが照らし出すスクリーンだけが明るい。外は雨が降ってきたのか、しとしとという音がし始めていた。
博士とあーでもない、こーでもないと他愛のない話をしながら映画を選んだ。
再生ボタンを押す。
「そういえば、メガネの話だがね」
唐突に博士が言う。いつの間にか寝っ転がって僕の膝枕で映画を見ていた。スクリーンの照り返しで色が変わる博士の表情はよく読み取れない。
「彼氏くんが、かけてない方がいいというのであれば、このままかけないのもありかなと思っているんだ」
「そもそも、伊達ですもんね。博士のメガネ」
ずっとかけているから、僕以外の人は気づいていないだろうが、博士のメガネには度が入っていない。が、今日みたいに、メガネを壊した日があっても、たいていはスペアのメガネをかけているのが博士だった。裸眼で過ごしている今日は本当にレアだ。
「そうだよ。でもメガネは顔の一部だからね。私が伊達や酔狂で伊達メガネをかけているわけではないということを理解いただきたいね。彼氏くん」
「はあ」
「だからこそ、彼氏くんの意見を聞きたいというわけさ。私もおいそれと顔の一部を手放すのは気が引けるからね」
「え~と?」
伊達なのか伊達じゃないのかわかりにくいし、顔の一部を手放すというのもなんだかグロいな……。とか思いながら、僕は博士が何が言いたいのかわからず、間の抜けた返事をしてしまう。
「そも、キャラクターの立場、心情の変化を外見で表すうえで、メガネは大事な役割だからね」
「メガネを
どういう話の飛躍だろうか?
スクリーンでは、温和な雰囲気の隊長が裏切りの宣言とともにメガネを砕いて捨てていた。髪をかき上げると一転、鉄の意志を持つ野心的な目つきがあきらかになる。
「メガネを
「糸目キャラが開眼とか、目隠れキャラが目を見せたりとか、目をキャラクターの本質ととらえて、それを何かで覆い隠す類型ですかね」
「まあ、それに関しては目隠れキャラの目隠れを本質ととらえると裏切られたと感じたりもするのだが……」
何か踏まなくていい地雷を踏んでしまった気がする。
「まあ、裏切りでメガネ外しは定番ですよね」
「そうだね~ って、そうではなくてだね。彼氏くん!」
「うわ、危ない!」
急に博士がじたばたしたので、ローテーブルの上の飲み物がこぼれそうになった。慌てて手に取る。少しこぼれたが、水浸しになるのは避けられた。
「メガネにある『内向的』な
「メガネが内向的というのも、いささか一面的な見方のような気がしますが……」
スクリーンでは内気な少女が、親友を救う決意とともにお下げを解いて、メガネを外していた。気弱な印象から、決意の焔で鍛えられた刀のような印象に変わる。
「で、何の話でしたっけ……博士」
「私のメガネを君がどうしたいかという話だよ……彼氏くん」
いつの間にか映画のエンドロールが流れていた。
明滅する光の中、僕の膝の上から裸眼の博士が僕をじっと見つめてくる。
長いまつげの奥の鳶色の瞳は少しうるんでいるのか、光を湛えている。
丸眼鏡がない博士の顔はいつもよりもずっと大人びている気がして、僕は博士を少し遠くに感じた。
「博士にはメガネをかけていてほしいですかね……とりあえず、今はまだ」
エンドロールの光が途切れた。僕が赤くなっているのはごまかせただろうか。
「りょーかい。彼氏くん。今はまだ。だね」
博士がいたずらっぽく笑う。「でも……」と博士が僕の首に手を回してきた。首に結構な重さがかかり、僕は背筋でバランスを取りながら博士の頭を両手で支えた。手にさらりとした博士の髪と熱を感じる。博士の眼が僕の眼に近づいてくる。吐息が間近に迫ったが、僕たちの視線を遮る
「
部屋の明かりが急に点いて、僕は首を抱えられて博士から引きはがされた。
息……息が……できない……。
「や、やあ、妹くん。お兄ちゃんを借りてるよ」
「借りてるよ、じゃないですよ! 雨降ってるのに帰りが遅いから迎えに来てみれば!」
どうやら、帰りが遅いので心配になって妹が迎えに来たらしい。ちらりと妹の手に僕の傘が握られているのが見えた。お隣にわざわざ傘を持ってくることはないだろうに……。というか、そろそろ、意識が……。
「そろそろ、放してやってくれないか……? 彼氏くんの意識が……」
「はなさないです! そもそもお兄ちゃんと博士がつきあう……なんて! 私認めてないんですからね!」
話がかみ合ってない……。と、仲裁に入ろうとした僕だったが、僕の意識は闇に溶けた。
―――
彼氏くんが妹くんに連行されるのを見送って、私はサイドテーブルからメガネ マーク41を出してかけた。やはりこちらの方が落ち着く。
雨音の中にお隣の家のドアが開閉する音を聞いて、私は大きく息を吐きだした。
自室に戻り、ベッドの下から箱を取り出す。
両手に包める大きさの箱をそっと作業机の上に置くと、箱の留め具を外した。
中身は壊れたおもちゃの丸眼鏡。
廉価な
あの日は何人目かの家政婦さんが辞めた後だった。
また、アイツに電話しないといけないのか……。私はかなりささくれていた。この家に閉じ込められたまま、代わり映えのしない日々。研究に没頭しようにも私にはもうほめてくれる人がいなかった。もはや私は半分死んでいたのだろう。
けれども、生活はしなければならない。アイツに新しい家政婦さんを用意してもらうのも癪だった。私は意地で洗濯物をベランダに干そうとした。洗濯かごの重さにおののきながらベランダに運んでいると、窓から顔を出したお隣の男の子と目が合った。
「お隣のお姉ちゃん、洗濯のおばさんは?」
「あの人なら、数日前に辞めたよ。今はこの家には私一人だ。少年」
洗濯物からあふれ出る水気に両手どころか上半身をびしょびしょにしながら、私は努めて優雅に返した。
「姉ちゃん、きれいだけど、目つきが怖いもんな」
「少年、君は口が悪いな。敬語というものを習わなかったのかね?」
怖いと言われた目つきでぎろりと少年をにらんだ。
あまりにびしゃびしゃで干せないので、服を絞る。今度は足元がびしゃびしゃになった。
だが、少年の言葉に引っ掛かるものがなかったわけではない。
「怖い」何人かの家政婦さんは私に見えないところでそうこぼして、この家を去った。
「ん~ ……お姉ちゃん、ちょっと待ってて……ください!」
私のにらみに全くひるまず、考え込んでいた少年は一方的にしゃべると頭をひっこめた。「待つ」? 何を? とりあえず、寒くなってきたので、残りの洗濯物は全て竿に引っ掛けて、私は家に戻った。
リンゴーン リンゴーン リンゴーン
びしょびしょの服を着替えていると、呼び鈴がなった。3回もなった。
濡れた服を洗濯機に放り込むと、適当に服を着て、玄関を開ける。
そこには少年が立っていた。
「少年、ノックは3回だが、呼び鈴は1回でいいのだよ?」
「お姉ちゃん! ちょっと、しゃがんでもらえますか!」
少年は息せき切って言った。後ろ手に何か持っている。よほど急いで持ってきたのだろう。ほほが赤い。私はその熱意に、なぜか素直に膝をついていた。
髪と耳をくすぐる感触とともに、少年が私の顔におもちゃの丸眼鏡をかけた。
「これで、怖くないと思います。あげます!」
私は自分の中にあふれた感情に名前を付けられずにいた。
「かわいい。と思います」
にっと笑う少年の顔に、私は鼓動が再び動き出すような感覚を感じていた。
あの時、死んでいた私は、新しい
「思えば、あの時から、私の
博士と僕の『めがね』 黒猫夜 @kuronekonight
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