家宝のめがね
沢田和早
家宝のめがね
高位の貴族であるメガネン家には長年に渡って守り続けられてきた家宝があった。
めがねである。
世界に二つとないそのめがねには、めがねと呼ぶのが申し訳なくなるほど見事な装飾が施されていた。
レンズに使われているのはダイヤモンド。これは人工ではなく天然のダイヤを削ってレンズにしたものだ。
リムには金、銀、プラチナをベースにした微細な彫金装飾が施され、テンプルには十字架の道行きにおけるキリストの受難を描いた十四の場面が蒔絵によって表現されている。
芸術品としても骨董品としても天下に名立たる極上の一品であると世の好事家の誰もが太鼓判を押していた。だが、そのめがねの価値を押し上げている本当の理由は別にあった。
伝説である。
――このめがねを掛けた者には、その者の御眼鏡に適う大いなる宝が与えられるだろう。
めがねを掛けただけで宝が貰えるなんて、まるでウソみたいな伝説であるが、メガネン家の人々は真実だと思い込んでいた。
もちろん、これまで誰一人そのめがねを掛けた者はいない。手に触れることも滅多にない。
家宝のめがねは解錠に二十分かかる重厚な金庫の中に入れられ、その金庫は厳重な防犯システムが張り巡らされた土蔵の中に納められている。
めがねが日の目を見るのは十七年に一度、十七年ゼミが大発生する年の十月一日(めがねの日)だけである。
その日は世界中から集まっためがねコレクターがメガネン家を取り囲み、全世界同時生中継で御開帳の様子が実況されるのだ。
「大変だ!」
ある日、メガネン家に大事件が発生した。書留速達郵便で犯罪予告状が届いたのである。
「来月三日
猫小僧太郎吉は最近江戸の町を賑わしている怪盗だ。
盗みに入るのは裕福な商家や大名の江戸屋敷ばかりで、盗んだ金は貧乏人に分け与えるので庶民の評判は大変良かった。
これまで百八回の盗みを働いて一度も捕まっていない。そんな大泥棒に目を付けられたのだから、メガネン家は上を下への大騒ぎだ。
「なんじゃと、太郎吉の予告状じゃと」
メガネン家当主から話を聞かされた江戸南町奉行所も大騒ぎになった。そしてこのような案件は役方には荷が重すぎるので番方に回すことにした。事件を担当するのは火付け盗賊改方。
「はあ、そうですか家宝のめがねを太郎吉が狙っているのですか。捕まえられるといいですね」
平蔵は仏のように気が優しいので仏の平蔵と呼ばれている。仏なので特に何の策も打てないまま月日は流れ、気が付けば今日はもう犯罪予告の日となっていた。
メガネン家の周囲は十手を携えた与力、同心は言うまでもなく、刺股を持った捕り方や御用提灯を持った岡っ引き、近くの田舎からやって来た見物人、それらを相手に商いをする立ち食い蕎麦屋などでごった返していただけでなく、国際刑事警察機構から派遣された英国の近衛軍楽隊、仏国の胸甲騎兵、米国の海兵隊なども監視の目を光らせていた。
メガネン家のめがねは日本のみならず世界中に知れ渡っている家宝なので、全世界が総力を挙げて太郎吉から家宝のめがねを死守しようと動いていたのである。
「やあやあ、はじめまして。ワタシはインターポールから派遣された刑事のセニガタです。あなたがめがねの所有者、メガネン公爵ですね」
「はい。今日はよろしくお願いします」
「はじめましてメガネン公爵。拙者は火付け盗賊改方頭、長谷山平蔵です。仏の平蔵と呼んでくださいね」
「仏の平蔵さん、頼りにしていますよ」
幕府だけでなく外国からも心強い味方が来てくれたので、メガネン公爵の不安は若干薄らいだ。
「さて子の正刻が近付いてまいりました。太郎吉は現れるのでしょうか」
テレビ局のアナウンサーが手に汗を握って中継している。今夜はとんでもない視聴率が稼げそうだ。
「太郎吉は本当に来るのでしょうか。どう思いますかセニガタさん」
「来たとしてもこれだけ厳重ならば絶対に盗めっこありません」
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね」
「ご安心ください、メガネン公爵。インターポールの威信にかけて家宝のめがねは必ずお守りします」
「百、九十九、九十八……」
「おお、カウントダウンが始まりました。さあ、皆さんご一緒に」
カウントダウンの大コールがメガネン家の敷地に響き渡る。
「十二、十一、十、うわっ、眩しい!」
突然メガネン家の周囲は大音響と閃光に包まれた。強力なフラッシュ・グレネードが炸裂したようだ。時間が経ってようやく目が慣れて来た時にはすでに子の正刻は過ぎていた。
「あっ、あれを見ろ」
視力を取り戻した人々は我が目を疑った。地上五階建てのメガネン家の邸宅の屋根に太郎吉が立っているではないか。しかもその手には家宝のめがねが握られている。
「ああ、いつの間にか土蔵の扉が開いている。金庫も解錠されている。十秒前に見た時は何ともなかったのに」
なんという太郎吉の早業。わずか十秒で盗み出してしまったのだ。
「ほほう、これが家宝のめがねか。さて、伝説が本当かどうか、確かめてみるとするかな」
太郎吉はめがねのテンプルを持つと自分の顔に近付けた。メガネン公爵が叫ぶ。
「やめてくれ。宝はわしの物だ。めがねを掛けるのはやめろ」
「まあまあメガネン公爵。伝説の真偽を確かめるいい機会じゃないですか」
「そうですよ。あんな伝説でたらめに決まっていますよ」
「君たち、何てことを言うのだ。訴えてやる」
そうこうするうちに太郎吉はめがねを掛けてしまった。と、めがねが変形し始めた。値が付けられないほど豪華絢爛な芸術品は、あれよあれよという間にフツーのありふれためがねに変わってしまった。
「へっ、あれが宝?」
「均一価格で売られている大衆用めがねになっちまったぞ」
「どうなってんだいこりゃ。伝説は真実だったのか、ウソだったのか、どっちだ」
「伝説は真実である!」
戸惑う民衆に向かって太郎吉が叫んだ。
「これは私にとって素晴らしいめがねだ。実は最近、乱視と近視と老眼で物が見えにくくて仕方なかったのだが、このめがねは完璧にそれらの障害を克服してくれている。しかも暗視スコープ機能まで装備しているので暗闇でも余裕で活動できる。瞳孔間距離は一ミクロンの狂いもないし見る対象によって自動でピント調節してくれる。私にとっては無二の宝だ」
「なるほど。確かに伝説では『掛けた者の御眼鏡に適う大いなる宝』となっているからな。本人以外には何の価値もない宝ってわけか」
「そういうことだセニガタ。ではこの宝、有難く貰っていくぞ、わははは」
太郎吉の姿は消えた。完全に警察側の敗北だ。
「やれやれ、宝の正体が知りたくてこんな辺鄙な国にまでやって来たのに。がっかりだな。帰るか」
突然、セニガタの姿が変わった。赤いスーツを着た伊達男になっている。
「お、おまえは怪盗ルペン」
「今頃気付いたのかい仏の平蔵さん。んじゃ、後はよろしく」
セニガタに変装していた怪盗ルペンも姿を消してしまった。残された仏の平蔵とメガネン公爵はがっくりと肩を落として慰め合った。ただ一つの収穫は伝説が真実であるとわかったことだけだ。わかったところで今となっては何の意味もないが。
世界中を賑わせた「猫小僧太郎吉家宝のめがね窃盗事件」はこうして幕を閉じた。仏の平蔵は責任を取って頭を解任され、その後は仏門に入りめがね供養に生涯を捧げたそうである。
家宝のめがね 沢田和早 @123456789
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます