わざとタヌキに化かされて

独立国家の作り方

第1話 変化狸の里

 東北の雪深い地方に、鮎川村という貧しい農村があった。

 その村には、小さな里山があり、豊かな自然に育まれ、多くの動物達が暮らしていた。

 この里山には、昔から「変化へんげタヌキ」が出ると言う。

 今でこそ数は減ったが、その伝統は引き継がれ、この里山に住まう穂吉ほきちも、そうした変化タヌキの末裔である。

 


 その年は、どう言う訳か里山の食べ物が人間によって採りつくされていた。

 穂吉の大好物の山菜も、その多くが先に採られてしまい、人間に対して大いに不満を抱えていたのだった。


 まったく人間の奴ら、俺たちの食べ物も全部採ってゆく気か?


 穂吉は、タヌキの中でもまだ若く、人の歳なら16くらいだろう。

 父は早くに亡くし、一昨年前には猟師に母親も殺され、人間への恨みが大いに募っていたところの、この食料事情である。

 

「こんな不平等ってあるものか、こうなったら人間に化けて、一泡吹かせてやる」


 鼻息を荒くして、穂吉は里山近くの民家に向かった。

 この里山の麓にも、かつては数軒の民家があったが、最近ではすっかり減ってしまい、山の入り口付近には、とうとう一軒だけとなってしまった。


 さて、意気巻いては来たものの、一体何に化けてやろうと考えていた時だった。

 その民家が、今は留守であることに気付いた穂吉は、タヌキ姿のまま家の中へと入って行った。

 古い藁葺き屋根の家、大きな土間の作りはかなり古い家であることがよく解る。

 藺草いぐさと線香の匂い。

 穂吉は、なんだか少し懐かしいような気持ちになり、その家に少し興味を持った。

 人間は、こんな贅沢な環境で生活しているのか、と思うと、生まれの不平等を感じてしまう。

 自分もこの家に生まれていたら、きっと毎日腹一杯飯を食えたに違いないと。

 穂吉は、どうせならもう少しこの家を探検してやろうと思い、そのまま奥の居間まで進んだ。

 そこには、若いメガネをかけた男の写真が置いてあり、その写真の前には、何故かその写真の男がかけているメガネが置かれている。

 穂吉は、それが何であるか解らないでいたが、人間に化けるなら、このメガネは丁度良いと思った。

 なぜなら、自分がこの写真の男に化けたあと、本物のメガネをかければ、より本人に似せて変化出来ると思ったのである。

 

 穂吉は、早速里山に戻り、変化へんげに必用な葉っぱを選定すると、先ほどの居間に戻り、男の写真の前で、見事変化へんげして見せた。

 もし本物のこの男が現れても、メガネはこちらにあるから、本物を指さして「誰だお前は!、さては俺に化けたタヌキだな!」と言ったように、相手の方を変化タヌキに仕立ててしまえば良い、と思っていた。

 こうして、昔年せきねんの恨みを晴らしてくれようと、思わず悪い笑みがこぼれる穂吉。

 満を持してそのメガネをかけたその時、土間の方から誰かが入ってくる気配を感じた。

 穂吉は、慌ててその場を繕い、深呼吸をすると、土間の方へ自分から歩いて行った。

 見ると、初老の女が農作業から帰って来たところのようだ。

 写真のメガネの男の、恐らくは母親だろうと穂吉は思った。


「やあ、母さん、お帰りなさい」


 どうだ、お前の息子にしか見えぬだろう!。

 穂吉は、自身の演技に自信満々である。

 しかし、どうしたことだろう、初老の女は穂吉を見るなり大層驚いた表情を見せながら、「耕作、、?」と言ったきり、土間で立ち尽くしているではないか。


 、、、あれ?、自分は何かを間違えたのか?


 穂吉は、あまりに長く女が硬直しているので、何か決定的な失敗をしたものと思ってしまった。

 しかし、その初老の女は、目に涙を溜ながら、ただ「お帰り」を何度も繰り返すのだ。

 随分感情を込めてお帰りを言う習慣があるのだな、と穂吉は思っていたが、母親と思しきその女は、何故か妙に穂吉の事を喜んで迎えているように思えてならなかった。


 母親は、何故か穂吉に先ずは風呂に入るよう勧めた。

 少し緊張する穂吉。

 童話や昔話では、大体風呂を勧める時、タヌキ汁にでもされて食われると相場が決まっている。

 それでも、なんとなくこの母親は、そんな事をしないのではないか、と思えてならなかった。

 それは、母親の溢れるほどの情愛を感じたからに他ならない。

 懐かしい母の温もりに触れたような気がした穂吉は、一昨年亡くした母親を思い、少しだけ涙が出た。

 メガネ越しに、それを悟られまいと、零れそうな涙を堪えて、湯船に浸かる穂吉。

 よく見ると、そのメガネのレンズにも、涙の跡が付いていた。


 外からは「湯加減はどうだ?」と聞いてくる母親の声。

 「ああ、丁度いいよ、母さん」と穂吉。


 人間の親子も、なんだかいいもんだな、と感じる。

 母親は、風呂の支度を手際よく済ませると、土間に行って何かを準備している。

 穂吉は、まさか自分を食べる準備を始めたのでは、と不安になるが、人間の食事の良い香りが漂ってくると、それは自分の食事を準備してくれていることを悟る。

 炊き立てのご飯に味噌汁、なにやらおかずも良い香りだ。

 穂吉は、一度でいいから人間の食べ物を食べてみたいと思っていたので、風呂も早々に切り上げて居間に向かった。


 するとそこには、既に山盛りのご飯に味噌汁、美味しそうな煮物と漬け物の食卓が準備されていた。


「凄いね、うまそうだ」


 思わず口に出てしまう。

 この写真の男が、どんな話し方をするかも解らないが、とりあえず人間の言葉を真似ていれば良いだろう。

 生まれて初めての人間の料理。

 茶碗を取ると、その山盛りの白米に目が奪われる。

 なんてキラキラと美しい食べ物なんだろう。

 味噌汁も、豆腐が入っていて、いかにも旨そうだ。

 

「腹減っただろう、さ、早くお食べ」


 穂吉は、目の前にあるご馳走を、とにかく口に頬張った。

 人間の飯は、実に旨い。

 こんな旨い物を、毎日食べる人間は、本当に贅沢だと思った。

 どれ、母親の飯も食べ尽くしてやろう、と思った穂吉は、母親の前に食事が用意されていないことに気付く。


「母さんは食べないのかい?」


「ああ、母さんはもう食べたんだよ、気にしなくていいから、沢山お上がり」


 そうか、もう食べたのなら仕方がない。

 穂吉は、母親の手料理を余すところなく楽しんだ。

 

 すっかり満腹になると、うっかり眠気に襲われる。

 いかん、昔話では大体ここで寝てしまい、タヌキだと見破られて、タヌキ汁にされる事が多い。


 これは油断ならぬ。


 もしや、母親が食事を済ませた、と言っているのは、この後、自分を食べるから必用ない、という意味かもしれない。

 まったく人間とはごうの深い生き物だ、と穂吉は気を引き締めた。

 と言いつつ、風呂上がりに腹一杯の飯、これでは本当に寝てしまいかねない。


「母さん、僕は少し外を歩いてくるよ」


 穂吉がそう言うと、母親は偉く心配そうな顔つきで「また来てくれるかい?」と聞いてくるので、穂吉は少し妙だと思った。

 どうして実の息子に、そんな事を言うのだろう、と。


「なに言っているの、当たり前じゃないか」


 そう言うと、穂吉は家屋を後にする。

 今日の事を仲間に自慢してやろうかと思ったが、それでは仲間に真似されて、ご馳走にありつけなくなると思った穂吉は、これは毎日でも押し掛けて、鱈腹食ってやろうと考えた。


 翌日も夕刻になると、穂吉はあの家に向かった。

 今度は変化してから家を目指す。

 すると、前日には畑仕事に行っていたあの母親が、今日はそわそわと家の前に居るではないか。

 なんだ、息子の帰りを待っていたのか?


「母さん、ただいま、どうしたの?、玄関先で」


 すると、再び立ち尽くす母親。

 一体、何だと言うのだ。


「、、、、ああ、耕作、お帰り、、、さ、家の中にお入り、疲れたろう」


 相変わらず、その母親の接遇ぶりは、温かさに溢れるものであった。 

 穂吉は、昨日と同じように風呂を勧められたので、今度はゆっくりと浸かった後、また食事に呼ばれた。

 昨日と同じく山盛りの白米、今日はおかずに魚が用意されていた。

 なんだ、人間は山菜なんて採らなくったって、こんなに毎日おいしい物を食べられるんじゃないか、そう思うとなんだか腹立たしくなってきた。

 しかし、見ると今日も母親は自分の食事を準備していなかった。


「どうしたんだい母さん、食べないのかい?」


「ああ、私はもう済ませたんだよ、最近は食も細くなってね、その分、あんたが食べなさい」


 なんだ、そういう事なら仕方がない、食べるか、と穂吉。

 それにしても、自分が食べているのを、本当に幸せそうに眺めるのだな、と穂吉はそれもまた不思議に思っていた。


 そんな事が、もう一週間も続いた頃の事だ。

 同じタヌキの又造が、不意にあの家の事を話すので、思わず毎日ご馳走を頂いている事を打ち明けてしまったのだ。


「えっ?、あのおばさんの家に?、おかしいな、あの家の息子は、昨年戦死報が届いて、葬式を挙げていたんだけどな」


 又造が言うには、人間達は、昨年夏までとても大きな戦争をしていたんだそうだ。

 そして、その大戦に負けた日本は、今とても食料が不足しているのだとか。

 

 穂吉は少し青くなった。


 もしかして、自分は一番最初から、大きな間違いを犯していたのではないだろうか。

 考えてもみれば、生きている息子の写真の前に、本人のメガネが置いてあるはずがない、、、、そうなのだ、自分は、あの母親の、戦死した一人息子に化けて毎日通っていたのだ。


 意地悪な人間に仕返ししようと毎日ご飯を頂いていたつもりだったが、これは大変な事をしていたのでは、と思うようになった。

 

 穂吉は、思わず走り出していた。


 もう夜も遅いが、なんだか気が済まないのだ。

 自分の母親には、大して親孝行もせぬまま死なれてしまい、あの優しい人間の母親と自分の母親が、何か重なって仕方がなかった。

 だから、穂吉は家に向かって急いだ、急いだ所で、何も出来ない事は解っていたが、それでも行かねば気が済まないと思った。


 随分夜も更けていたが、家の明かりは点いていて、居間では母親の気配がした。

 どうしてこんな夜遅くに、と思ったが、穂吉は変化へんげもせずに家の中へと入って行った。

 薄暗い廊下を進み、居間には小さく背中を丸めた母親が一人仏壇に向かって話をしていた。

 よく見れば、すぐ解ることだった。

 あの息子の写真は、仏壇に飾られたものだ、その前に、戦地からの遺品であるメガネが置かれていたのだと、穂吉はようやくその写真の正体に気付き、激しく動揺するのである。

 メガネのレンズに付いていた涙の跡は、戦死した息子が、最後に流した涙の跡だ。

 

「今日もね、あなたに化けた子タヌキが、美味しそうにご飯を食べて行ったよ、本当にあなたそっくりでね。初めは幽霊でも現れたのかと思ったけれど、私は幽霊だって良かったよ、あんたが会いに来てくれるなら、なんだって大歓迎なんだから」


 穂吉は絶句した。


 あの人間の母親は、自分が化けタヌキだと解っていたんだ。

 あんなに毎日、図々しく食べるだけ食べて、、、人間の世界は、食糧難だと又造は言っていた。

 そうだ、あれほど山盛りのご飯だって、きっとかなり無理をしていたに違いない。

 死んだ息子を想う母親の気持ちを、自分はもてあそんでしまった、そんな罪悪感にさいなまれながら、穂吉は薄暗い廊下で一人泣いた。

 こんなに良い人間を騙すなんて、タヌキの風上にも置けない。


 穂吉は家を飛び出し、とにかく走った。

 あの母親の優しい笑顔が、どうしても脳裏を離れない。

 後悔の涙が何度も穂吉の頬を伝う。

 

 そして思うのである、今度こそ親孝行をしなければいけない、と。


 翌日、本当にどんな顔で変化へんげしたものかと思いつつ、穂吉は両手一杯に木の実や魚を持って母親の元を訪れた。


「やあ母さん、親切な人が、こんなに沢山分けてくれたんだ、さあ、お食べよ」


 不器用な言い訳ながら、母親は、息子に化けたタヌキが持って帰ってきた食べ物を、それはもう喜んでくれた。

 穂吉は、なんだかようやく親孝行が出来たような気がして、嬉しくなった。

 母親は、その食べ物を調理すると、いつものように穂吉に振る舞った。


「これは母さんにと思って採ってきたんだから、母さんお食べよ」


 穂吉は、さっきまで人から貰ったと言っていたことをすっかり忘れて、自分で採ってきたと言ってしまった。

 それでも、真心込めて採ってきた物を、母親に美味しく食べてほしかったのだ。


「ねえ母さん、今は食料不足だろ、これからは毎日僕が母さんに腹一杯食べさせてあげるからね、だから心配しないで、全部食べていいんだよ」


 すると、母親は手ぬぐいで目頭を抑えながら、何度も「ありがとね」と繰り返した。

 そんな母親につられて、自分も涙を流しながら、穂吉はこのまま息子に化け続け、この母親をもっと喜ばせてあげたいと思うようになっていた。


 こうして、穂吉は変化へんげをしたまま、とうとうこの家に住むようになってしまった。


 タヌキにとって、変化へんげはとても体力を消耗する秘術である。

 それでも、穂吉は、母親の笑顔の方が、すっかり大事な事になっていた。

 毎日のように、穂吉は山に入り、山の幸を母親へ土産として持って帰った。

 ところが、母親の食は、依然細いまま推移し、ついにはほとんど食べる事が出来なくなってしまった。

 

「母さん、流石に医者に掛かった方がいいよ、町まで僕が背負って行くから」


 そんな穂吉の申し出も、頑なに断り続ける母親。

 なぜ、そうまでして医者にかかるのを拒むのか、穂吉は不思議でならなかった。


 日に日に痩せ細って行く母親、ついには床に伏してしまう。

 穂吉は、もう猶予がないと考え、禁じ手である、葉っぱのお札をこしらえると、母親に「今日は無理してでも医者に行く」と告げ、母親を背負って家を出たのだった。


 穂吉は、背負った母親が、とても軽い事に驚いた。

 きっと、初めて会った時から、この母親は弱っていたに違いない。

 長い戦時下を耐え抜いて、一人息子の戦死報を受け、、、、ただの一人だって母親の元を訪れる者もいないではないか。

 それでも、少ない食料を、あんなに自分に振る舞ってくれた、あの時の母親の笑顔を思うと、穂吉はもう涙を堪えるのが精一杯になっていた。

 

 ああ、俺はなんて事をしていたんだろう。


 背中に負ぶった母親は、穂吉の耳元で振り絞るように一言囁くのである。


「ありがとね」と。

 


 穂吉は歩き続けた、軽い母を背負ったまま。


 穂吉は歩きながら、ただ静かに泣き続けた。


 穂吉の背中の母は、既に息をしていないのだから。

 

 それでも、穂吉は歩き続けた、ただ、そうしたかったのだ。



 その日を境に、鮎川村に変化タヌキは、二度と現れなくなったという。

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