眼鏡

げっと

眼鏡

重い瞼を起こし上げる。


ぼやけた世界が、網膜に広がる。


滲んだ色の塊たちが、世界の中に放たれる。


およその姿は分かれども、真の姿は分からない。


夢現な心地のまま、手をそこかしこへ解き放ち踊らせる。


踊る手が、たまたまあった眼鏡を踏んづける。


あった、あったと言いながら、目元に眼鏡を手繰り寄せる。


ぼやけた世界が、輪郭を取り戻す。


先刻まではただの色の滲んだ塊だったもの達が、明瞭にその姿を晒し出す。


真の姿は分かれども、およその姿は見失う。


眼鏡とは、往々にしてそういうものだろう。


世界を明瞭に映し出せるようになった途端、


真の姿が映し出された途端、


人は、その正体が分からなかった時の見え方を見失う。


一度かけた眼鏡はなかなか外れない。


同じものを見るたびに、何度だって、人は同じ眼鏡を通してものを見る。


しかし、ものの姿を初めて明瞭に捉えた時、


かけていた眼鏡が曇っていたらば、どうだろう。


または世界が靄に包まれていたら、どうだろう。


そして眼鏡が曇っている事に、


世界に靄がかかっていた事に、


気づけなかったとしたら、どうだろう。


その時は眼鏡越しに見た、明瞭だった世界は、


本当に正しい姿を見せているだろうか。


人は眼鏡をかける。他の何色でもない、自分色の眼鏡を。


そして世界を、必ず眼鏡を越して見る。


人は、そうしないと、まともに世界を見ることも出来ない。


人は、そんなふうに出来ている。


人のかけている眼鏡の色はわからない。


人と同じ色の眼鏡をかけることもできない。


もし同じ色の眼鏡を作れたとしても、本当に同じ見え方をしているかは、誰にもわからない。


世界には、絶対不変の理がある。


けれどその理を見る人の、目には必ず眼鏡がある。


だから、人は対話する。


自分のかけた眼鏡が正しいと信じながら、世界の理に近づくために。


自分に他人のものの見え方は分からない。


他人に自分のものの見え方は分からない。


けれど自分の見た世界を話すことで、他人に、自分の見た世界が少しでも伝わって、


そして他人が見た世界を話してもらって、自分に、他人の見た世界が少しでも伝われば、


少しずつ、理に近づけるかもしれない。


そうやって人は生きていく。


そうやって人は、理に近づいていく。


自分の、人の、より良い未来のために。


終わり

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