タイムリミット

タカナシ トーヤ

Time limit

朝8時57分。


ギリギリセーフだ。ぼくは寝ぼけ眼でいつものように机に向かい、DELLのモニタとノートPCの電源を入れる。

このモニタもかれこれもう10年目だ。そろそろお役御免か。画面のチラつきが出てきた。


黒いウレタンケースからSANWAのヘッドセットを取り出し、PCから伸びているBUFFALOのコンバータと接続する。



いけないいけない、寝癖を直していなかった。

ぼくはカメラをオフにして髪を直した。




—Google meet—


それはきみとぼくのふたりの時間だ。

これは仕事だけど、仕事じゃない。



ヘッドセット越しの、きみの落ち着いた優しい声。こんなにそばにいるのに、ぼくの手は君に届かない。


耳元で聞こえるその声にぼくは安らぎ、ぼくは身悶える。


その甘い甘い声を聞いているだけで、仕事が手につかなくなる。


もっと、ずっと、永遠に聴いていたい。




—昨日はうまくフォローしてあげられなくてごめんなさい—



そんな風に思わないで

きみの声が聞けるだけでぼくは幸せなんだ



悲しむきみを見ていたら、ぼくも悲しくなる。

笑顔になってほしいんだ。






クリスマスにプロポーズされたんだってね。


幸せそうな笑顔のきみ。

婚約、おめでとう。

きみが幸せなら、ぼくは邪魔しないよ。



でもぼくは



きみを縛り付ける指輪のそんな小さな箱、見たくないよ



クリスマスのディナーのターキーの写真も、見たくないよ



新しい家の話なんか、聞きたくないよ。



これ以上、話さないで。

耐えられないよ。



ぼくは無意識に指の皮を齧った。




きみが出張にしばらくこっちにくるってきいたんだ。みんな出社して、飲み会もするんだって。



会いたいよ

会いたいよ

でも、幸せそうなきみをみるのはつらい。





「宿探しておいて」って酷なことさせるね。




高くてオシャレな宿を探しちゃうよ



こんな宿でふたりで過ごせたらな



ダブルにしてもいいかな






…だめだよね…





きっと、きみに会ったら、ぼくは耐えられない


その薬指の銀のリングも、真っ白なブラウスも、金縁の眼鏡も、全部全部外して



ぼくだけのものにしたくなっちゃうから







あと1ヶ月で君はやってくる。

きみはきっと、幸せそうにアイツの話をするんだね。


叶わぬ思いに、苦しくて切なくて胸が張り裂けそうだ。



こんな苦しい思いをするくらいなら、すべて捨てて逃げ出す方がいい。




きみとの思い出を幸せのままにしておきたいから





定時まであと3分。


—退職届—


そう書かれた紙を、僕は手にとった。


今伝えないと、ぼくはますます、きみから離れられなくなる。

ぼくは眼鏡をはずし、こぼれ落ちる涙を拭いた。








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タイムリミット タカナシ トーヤ @takanashi108

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