オーイワヨシマサには見る目がない

隠井 迅

これじゃなきゃダメみたい

 三個目の目覚まし時計のけたたましい音が鳴った瞬間、慌ててベッドから跳び下りた四十四歳の大岩良昌(オーイワヨシマサ)は、足が床に着いた瞬間、グシャっという何かを踏みつけた嫌な感触を覚えた。

 恐る恐るゆっくりと右足を上げてみると、フレームがひん曲がり、レンズが割れた愛用の黒縁眼鏡と思しき物体の無残な姿が視界に入ってきた。


 小学生の頃からの眼鏡着用者であるオーイワにとって、眼鏡は、単なる視力修正の為の小道具ではなく、もはや自分の肉体の一部で、いわば「眼鏡は顔の一部」なのだ。

 乱視が酷く、眼鏡無しに仕事が全くできないオーイワは、遅刻する旨を会社に連絡し、眼鏡を新調すべく、神保町の古道具店に赴く事にしたのであった。


 そこは神保町の古書街に位置する老店主が営む店で、眼鏡も扱っており、噂では、創業は江戸時代にまで遡れるそうだ。

 オーイワは古本屋巡りやカレーの食べ歩き目的で神保町を訪れた際に、その古道具店が気になっていたので、眼鏡を新調するこの機会に、雰囲気のある古道具屋の敷居を跨ぐ事にしたのである。


 店に入った瞬間、オーイワは一本の眼鏡に強く惹かれてしまった。

「て、店主、これをください」

「お若いの、この品は実は売り物ではないのですよ」

「幾らでも出します。自分、これじゃなきゃダメなんです」

「そこまで言うのなら、お売りしますけど、副作用があるのですよ」

「なんです、『副作用』って?」

「顔が眼鏡の一部になってしまうのです」

「ハハハ、昔のコマーシャルにも、似たようなフレーズがありましたね」


 会社に着くや、新しい眼鏡を着けたオーイワに、後輩の小嶋が感想を述べてきた。

「先輩、その新しい眼鏡、いかしてますね」

 その時、目に違和感を覚えたオーイワは眼鏡を外し、瞼の上を擦った。


「そ、その顔!」

「顔が一体どうしたって?」

「め、目が、めがねぇぇぇ!」

 

 眼鏡のレンズの表面には、オーイワの顔の上にあるはずの両目が付いていたのだった。

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