第44話 山籠もり

 その日の夕餉には、数々の料理の中にすずが摘んできた甘草かんぞうのお浸しも並んでいた。


「午後にお笹さんと採りにいったんだ、群生地を教わっただよ」

「ほう、徳さんにも教えてやると良いな」

「徳蔵さんも一緒に行っただで」

「そうだったのか」


 乾燥させた甘草は薬にもなる、故に徳蔵の薬庫にとっても必要な山菜の一つと言えるが、甘草の若芽はその昔小平太の兄、弥介の好物でもあった。


「彦治に弥介それに小平太よ、学んだ事を忘れてはならんぞ。常に感覚を研ぎ澄まし周囲の変化を把握するのだ、特に油断は命取りとなるからな」

「承知!」


 籠る山は郷から三時(六時間)ほど歩いた山深い場所である。


「では、二十五日の後に此処で」

「承知」


 徳蔵と別れると、仁平が先頭を歩き山人が皆の後に付いた。


「先ずは周囲を把握する」

「承知」


 熊や猪の存在に加えて、猟師が仕掛けた落とし罠もある。其々に注意深く周囲を観察しつつ進めば、同時に食料の調達も行う。座学で習った山草類を実際に目にして手に取れば覚えるのも早いのだ。


 その季節にもよるが、今時期は持ち込める食料は充分ではない。故に皆は甘草などの山菜を見つければ籠を満たし歩くのである。


「近くに熊の気配も無い、今日は此処を拠点としよう」

「承知」


 甘草は栄養価が高く、疲労回復にも役立つし、乾燥させたものは薬にもなる万能な山菜である、また沢の周辺では味に癖のないも豊富であるし、山葵なども採れる。


 彦治は仁平と共に狩猟へと向かえば、山人と風太は慣れた手つきで罠を作り沢へと仕掛け、今度は小平太と弥介も手伝い寝床を作り始めていた。


 沢の冷気が届かない場所を選び、地形を上手い事利用すればあまり手を掛けずとも立派な夜露除けが出来る。寝床に小枝を敷き詰めれば、そこは簡易的な宿所となった。


「さて、薪集めようぜ」

「承知」


 一方で仁平と彦治は身を潜めて獲物を狙っていた。やがて仁平が指さす先には兎の姿が見えた。


「良いか動きを見極めるんだ」

「承知」

「呼吸を止めるなよ、ゆっくり吐きながら狙い撃つんだ」

「ふぅぅぅ」


 シュッ……


 彦治が放った矢は見事兎を仕留めていた。


「やるね!」

「先ずは一匹」


 彦治は仁平より三つ年上で十二歳である、しかし忍びの修行者としては仁平の方が遥かに格上だし、経験も知識も豊富である。現に素早さや洞察力、判断力などはとても九歳とは思えない程に優れていた。


 その後も順調に狩りを続ければ、山鳥と狸を狩れば意気揚々と拠点へと戻ったのである。


「初めてだというのに驚いたぞ」

「全部彦治が?」

「あぁ、筋が良いなんてものじゃねえ、与助様の目に止まる筈だ」

「やばいな、追い越されねえように励まねえと」

「あぁ、弥介と小平太も恐らくは筋が良いはずだ」


 実力がすべてである事から、大沢の郷においては嫉妬や妬みを抱く者は居ない。それどころか実力が認められれば尊敬の眼差しで以て見られる事となるのだ。彦治は少し照れ臭そうだが、誇らし気でもあった。


 ひと月の間、持ち場となった山の全体を把握し、生き抜かねばならない。一行は毎日拠点を変えながら山を進み、生きる術と共に必要となる術を習得してゆくのである。やがて何事も無く約束の二十五日がやって来れば、其々に安堵の表情が伺えた。


「なんだかんだ、熊には出くわさなかったし、無事に終わったな」

「あぁ、それにしても雑穀の飯が食いてえな」

「郷に帰ればたらふく食えるさ」


 わずかひと月とは言え、小平太達兄弟の表情や肉体は明らかに逞しく変化していたし、弥介と小平太も狩猟を覚え解体さえ一人で出来るまでに成長を遂げたのである。仁平をはじめ山人も風太も仙吉も、それらを悦び、同時に己の成長の糧としたのである。


「よし、では帰るぞ」

「承知」


 立ち上がり、拠点を解体すれば、その場の痕跡を全て消し去った。間もなく弥介は、大のお気に入りとなった甘草を携帯食にしようと皆と離れた所であった。


「あぁっ! 痛ってえ!」 

「ん? どうした?」

「くっそ! 赤斑だ!」

「なに!」


 弥助の行動は明らかな気の緩みと言えた。つい今まで保持していた注意心が薄れ修行をする前の子供の時分と変わらぬ気持ちとなってしまったのだ。


 仁平と山人が血相を変えて駆けよれば、山人は今もなお威嚇を続ける赤斑を捕まえて、頭部を岩に叩きつけ始末する中で、仁平は緊張した面持ちで短刀を抜けば、そのまま突き刺して毒抜きを行ったのである。


「いぐぐ!」

「我慢しろ、毒を抜く! 皆、丈夫な枝と蔓を集めてくれ 寝かせたまま運ぶ以外にない」

「承知」

「小平太はこっちに、手元を手伝ってほしい」

「承知!」


 座学で学んだがこの辺りで一番危険な蛇がこの赤斑である。その毒性は極めて高く、助かるには適切な処置だけでなく、奇跡を祈る他ないと言われている。故に仁平は真っ先に患部に短刀を入れ血液と共に毒を抜いたのであった。


「目は見えているか?」

「だ、大丈夫……」

「よし、でも動くなよ、血が動いてしまうからな」

「しょ、承知……」


 続いて患部の肉をえぐり取るのだが、これは忍びにとって致命傷となるが仕方も無い。何せこの処置をしなければ身体中に毒が巡ってしまうのだ、そうなれば身体は黒ずみ、皮膚が膨らみ始めれば悪臭を放ちつつ生きたまま腐りゆくのである。


「小平太止血するから縄で膝下をしっかり縛ってくれ」

「承知」

「良し、痛薬を飲ませたら励ませ」

「承知」


 赤斑は朽ち木に潜んでいる事が多く、至って攻撃的である。人や獣を察知すれば迷わず攻撃を仕掛けてくるのである。故に大沢ではこの赤斑の習性を利用して捕まえ、幾種類もの毒をつくるのである。


「弥介我慢しろよ!」

「しょ、承知……ぐっ!」

「我慢しろ!」

「弥介、頑張れ」

「ぐぅぅぅ! 痛ってぇぇぇ!」


 弥助を乗せても耐え得る二本の枝に蔓を巻きつけて、寝せて運べるように拵えた物に蓆を敷けばそこに弥介を寝かせたのである。


「弥介しっかりしろ!」


 風太が心配するのも無理はない、尋常ではない程に発汗しており、患部の周囲は既に黒色化が見られたのである。


「あぁ……」

「徳蔵様に診てもらえば何とかなるかもしれないからな」

「あぁ……」


 奇跡を信じつつ、麓まで降りれば徳蔵は既に待って居た。


「どうした!」

「弥介が! 赤斑に!」

「何!」


 疾風の如く走りくれば、患部を検めた後に弥介の瞼を開き目の様子を見ていた。


「処置は完璧だが、これは助からぬ」


 誰一人口を利く者は居なかった、間もなく弥介が薄っすらと目を開ければ、目の前の徳蔵を見つめていた。


「……と、徳蔵様……お、おれ油断した……」

「あぁ、そのようだ」

「酷くなる前に……」

「そうか」


 身体が黒ずみ始めれば悪臭を放ち腐り始めて行く事は知っている、ならばそうなる前に殺してくれと頼んでいるのだ。仁平は彦治と小平太を連れてその場を離れれば、弥介は痛みも無く静かに息を引き取った様だ。


「良いか、弥介の死を教訓にするのだぞ。油断こそが一番の敵となる」

「承知」


 徳蔵を先頭に郷へと戻るのだが、その長い道乗りの中で話をする者は誰一人居なかった。

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