第38話 大沢の奥義

 身体の芯を極め、すべての動きを細密にして無駄なく稼働させることが基本となるが、最も重要となるのが呼吸法である。


 千弦も道忠も並みの武芸者位には出来上がっているから、体幹もある程度は整っていよう、ならば呼吸法を会得すれば、剣を振るうに苦労は無くなるはずである。


「会得すれば驚く事になりましょう」

「有難い」

「小平太様、筋力の向上も叶いますか?」

「後でご説明いたしますが、筋力より大事となるは体幹。先ずは幹を鍛えて頂きます」

「はい」


 先ずは身体の芯を意識させ、それを補うための筋力を養う事が重要となる。二本の縄を用意すれば地面より一尺ほどの高さに縄を張った。


「先ずはお二人の身体の癖を見る故、縄の上で身体を静止させて頂きたい」

「なんと、この上に立てと仰せか?」

「では手本を」


 ふわりと縄の上に立てば涼しい顔を見せた。


「なんと……」

「失敗して当然の事、恐れずに挑んで頂きたい」


 当然ながら縄上で静止する事など敵わずに、何度挑もうが足は地にあった。


「小平太殿。我々には無理では……?」


 縄に乗ろうとすれば、そこには力が加わり不安定となる、修正しようとすれば猶更動き、振り落とされる事となる。それらを説明しつつ地面に線を引けば、二人をそこに立たせた。


「これを縄だと思い、身体の芯を修正して頂きたい」


 乗ればどうなるか身を以て知った事で、縄上の状態を思い浮かべる事は容易い。ならばどう修正すれば良いのか解りやすいのだ。二人は小平太の意図した事に気付くと、立ち姿を修正していた。


「体幹を極めれば全てに通じる事となる。剣を振るうにも無駄な力を必要とせず、剣自体の恐るべき力で身体がぶれる事も無くなりましょう。お二人とも体幹を意識して身体の微細な揺れを感じて頂きたい」

「なるほど、これは解り易いかも知れぬ」

「では、続いて呼吸法を会得して頂きます」

「うむ」


 体幹を意識させたまま灰の中の空気を極限まで吐き出させていた。


「本来ならば、じっくりを時間を掛けて会得する事ではありますが、此度は時間がない故、少々手荒いが手早く覚えて頂くこととしましょう」


 息を絞り出している最中の二人は言葉にはすることなく首を縦に振り了承していた。


「まだまだ、丹田に力を入れすべてを吐き出されよ、まだまだ……まだまだ……、……御免!」


ドフッ! ドフッ!


 顔が青紫となり、血管が浮き上がったところで、二人のみぞおちに掌打を放ったのである。


「っうっ! ぐぅぅぅぁぁぁあ! かっ! かっ!」


 自らの意思では難しい、最後の一絞りを強制的に吐き出させたのである。


「今すぐにでも、吸い込みたいでしょうが、出来る限りゆっくりと吸い込んで頂きたい、その後は良いというまで、吐いてはなりませんぞ。失敗となれば、もう一度、掌打を食らう事となります故」


 二人は顔を顰めつつ小平太の言う通りに呼吸をするだけである。


「では、今一度先程同様に、吐き切っていただきたい」


 これが足りないと小平太の掌打が放たれる事となる、二人は青筋を立てつつ真剣に吐き出していた。


「流石、お二人とも察しが良い」


 この深呼吸を何度も繰り返させれば、二人の顔色を確かめていた。


「これにてお二人とも身体の隅々に至るまで活性化した筈」


 常識から脱した大沢の呼吸法を用いれば最初は頭が呆然とするが、繰り返す事で身体を隅々まで活性化させる事となる。やがて脳がそれを理解すれば、呼吸はより質が良くなり、更なる活性化が期待できるのだ。


 人は激しく動けば自然と浅く速い呼吸をする、故に無駄に心拍数が上がり無駄に疲れる事となる。それは興奮した場合でも同じ事が起こるし、先ほどのように縄上で身体を静止させようとすれば、呼吸を止めてしまう事もある。


「守り人の皆は常にこの呼吸を?」

「此処まで深くするのは有事の際、しかし日常においても意識してゆっくりと深呼吸をしてございます」

「なるほど……」


 戦いの最中に此処まで深い呼吸をしようと意識すれば難しくもある、しかし息を吐き出す事を念頭に置けば、自然と大きく吸い込む事となるのだ。


 大沢の奥義とは何も難しい事ではない、戦いの最中こそ深い呼吸をする事にあったのだ。


「では、今一度地面に縄を」

「うむ」

「微細な揺れは?」

「修正いたした」

「大丈夫です」

「ならば二人とも縄へ」


 十分と言えるまでに体幹を鍛えるには、常に呼吸を意識しつつ、二月ふたつきは要しよう、それでも大沢の忍びからすれば足元にも及ばない程度であろうが、あの剣を振るうには相当に役立つはずである。


「お二人ともお見事、明日はこの倍、明後日は更にその倍と静止できるように心がけてください」

「承知した、小平太殿感謝致す」

「誠に有難うございます」

「して、筋力を気にしておいでのようですが、私が見るに充分かと、それよりも縄上で体幹を鍛えて頂きたい」

「しかしあの剣を振るうには足りぬのでは?」


 実際に剣に触れても居ない小平太が、どれほどの筋力が必要なのかを知ったのは二人の動きを観察していたからである。


「十の筋力があれば、普通十しか使えないのは当然の事」

「当然でしょうな」

「しかし鍛錬を重ねた武芸者であれば同じ筋力でも十三は使えましょう。更に極めた者ともなれば二十は使えるもの、我ら大沢の者はそれを五十まで高めるために鍛錬を重ねております」

「なんと!」

「して、大沢の忍びには幻と言われる超人的な体術を会得した者がございます、その者は十を百に出来る存在に、仙吉に仁平それに山人がその域に達してございます」

「ならば小平太殿も……」

「恐れながら、わたくしは優に二百を超えた存在に」

「なんと!」


大沢の呼吸で体幹を鍛えれば十の力を少なくても三十まで上げられると教えれば二人は目を輝かせていた。

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