第37話 修行の者

 千弦と道忠に大沢体術の基礎を教える事が決まれば、その夜、遠い昔を思い出していた。


 幼少の頃に与助に救われた小平太と二人の兄は、大沢の郷に着いて早々に忍び頭へと面通しを行うと、竹の遺体を小さなお堂に預けた後に単身者が暮らす宿舎へ連れられた。


「今日より此処がお前たちの住まいとなる。さっそく夕餉を用意するから、まずはしっかりと食べるのだぞ」

「はい!」

「今日より返答は承知と」

「承知!」

「良し」


 そこには小平太達と同年代の子供達と、既に忍びと呼ばれる人たちも大勢いた。


「随分いっぱい居るんだな……」

「此処に居る全員が忍びになれるわけではない、一年もすればだいぶ減る」

「え?」

「だからしっかり食べて明日に備えるんだ。ちびのひょろがりでは身が持たん」


 徳蔵の言葉には重みがあった、だからこそ小平太達は厳しい世界に足を踏み入れた事を実感し肝を据える事となったのである。


「仁平、慣れるまで世話を頼む」

「承知」

「仙吉、この子はお前と同じくらいの歳だ、面倒を見てやれ」

「承知」


 食事が用意されれば、その豪華さに三人は固まっていた。雑穀と豆の飯に菜っ葉の汁、それに炭火で焼いた猪肉に数種類の漬物、見た事も無い川魚の塩焼きが並んだのである。


「すごいや……」

「これ全部食べても良いの?」

「勿論だ、徳蔵様が言っていただろ、たくさん食べないと身が持たない」

「しょ、承知」


 翌朝、日の出前に仁平に起こされれば、顔を洗い薬湯と言うものを飲まされた。これよりは毎日服用するとの事である。


 朝焼けの中、忍びと呼ばれる人たちは鍛錬へと向かい、修行の者は全員が野原へと集まった。其々が指導者の下で鍛錬を始めるのである。小平太達兄弟は与助が指示通り、徳蔵が指導者となった。


「先ずは基礎となる身体の動かし方を教える。皆手本を見せてやれ」

「承知」


 腰を落とす、伏せる、転がり立ち上がる、地を蹴る、歩く、走るなど基本的な動作を正しく行えば次の動作が流れる様に動く事となる、一見地味な鍛錬だが基本中の基本だから徹底的に指導が行われる。身体の芯が常にぶれずに動けるようになるまでは、次の行程には進まないらしい。


「さて、そろそろ朝餉だ。皆しっかり食べてこい、特に三兄弟は血肉が足りん、肉を多めにな」

「承知」


宿所へと戻る道を歩けば、仁平が三兄弟の間に入った。


「しかし、今日から修行とは間が悪いな、もうすぐ山籠もりとなるから、覚悟しといた方が良いぞ」

「覚悟?」

「あぁ、毎年何人か死ぬからな」

「え?」


「山籠もりで以て自然から多くを学ぶが、同時に危険から身を守り、生き抜く術を身につける為の鍛錬なんだ」


 山籠もりは年に二回、毎年季節を変えて行われる、前回は極寒の中で、中々悲惨な経験をしたようだ。


「危険な事あるの?」

「季節によっても違うが、山の中は危険だらけだよ、今時期なら、熊に毒蛇、猪に毒草……入る山にもよるが猟師が仕掛けた罠も命取りと成るからな」

「くまってなんだ?」


 小平太達が生まれた筑波の周辺には熊は存在しない。故にそれがどのような生物なのか見当も付かないのだ。


「嘘だろ……お前たち熊を知らないのか?」

「見た事も聞いた事も無いぞ」

「そうか……この辺りとはずいぶん環境が違うんだな」


 徳蔵の長男である風太が、凡そを説明すれば、何となく理解は出来た、張り手を食らえば大事となる様だ。


「猪より厄介だな」

「厄介なんてもんじゃねえよ、特に子連れの熊なんか最悪だ」

「山籠もりでは、誰かしら遭遇する事となる、言っておくが逃げては駄目だからな、背を向けた瞬間にやられる。しかも走っては人より早く、木にも登れば水も平気だ」

「どうすれば良い?」

「怯えさせて逃げる様に仕向けるか、いっそのこと仕留めるかだ」

「やばい所に来たな……」

「運も大いに影響する、遭遇しない様に祈ると良い

「おいおい、風太お前祈っていたのか?」


 山人が揶揄からかうように風太の肩へと腕を回せば、その腕を捻り返していた。


「痛ててて……」

「おかげで、今のところ遭遇した経験は無い」


 朝食の後に、竹を埋葬し再び基礎鍛錬を開始すれば、昼まで同じことを繰り返した。途中で飽きれば、徳蔵が見逃すはずもなく、恐ろしく苦い草を食わされるのだから堪ったものではない。ようやく昼となれば、与助から短刀を渡されたのであった。


 小平太からすれば少し長いかもしれないが、仙吉も同等のものを持っていたから問題は無いのだろう。懐に仕舞い腰帯で固定すれば身体を動かすに支障は無かった。


「これよりは毎日扱い、一日も早く慣れるのだぞ」

「承知」


 基礎を会得するのに五日を要したが、それでも早い位だと風太は言った。中には会得ならず、隠し里へと落ちる者も多いらしい。


 その日から、三人は次の段階へと進むらしく、徳蔵が木と木に縄を張っていた。


「仁平、手本を」

「承知」


 驚く事に仁平はふわりと跳躍すれば、一尺(三十センチ)の高さに張られた縄の上へと難無く立ったのである。


「凄いな……」

「良いか、身体の芯がぶれなければ難しくもなんともない、先ずは彦治から」

「承知」


 彦治から順に縄へと挑み、失敗を繰り返しながらも、なんとか数呼吸は留まっていられるようになれば弥介と小平太もそれに続いた。


「ほう、与助さんの見立て通りだな。さて、では彦治お前は微量ながら右に重心が寄っている、意識して直せ。で弥介に小平太腰と尻の筋力を鍛えるぞ」


「承知」


縄上修行が数日続けば、今では普通に立ち歩く事さえ可能となった、ならばこれよりは本格的に身体を鍛える鍛錬となる。


「大沢の鍛錬で身体を鍛えれば素早く動く事も、より高く跳躍する事も可能だ、ある程度筋力が備われば肝となる呼吸法を教える」


 呼吸法を会得すれば身体の可動域は大きく広がり、同じ筋力でも桁違いに変化するらしい。


 それより半月もすれば体幹は更に高まり、筋力も見違えるほどに付いた、初日とはもはや別人となった三人は、順調に基礎鍛錬を熟し、徳蔵の判断で奥義となる大沢の呼吸法を教わったのであった。身体の可動域は大幅に増え、自分でも驚く程の身体能力を手に入れたのである。


「しかし驚いたな、これほど短期間で会得した者は聞いた事も無いぞ、お前たちは忍びになるのが運命だったようだな」

「運命……」

「あぁ、人には良くも悪くも運命と言うものがある、忍びとなるのが運命であったのなら、何やら使命があるのかも知れぬな」

「使命?」

「あぁ、この先、いつかは知らぬが特別重要な務めが待って居るのかも知れんぞ」

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