第27話 信濃国へ

 やがて田植えが終わり梅雨も明ければ、清々しい初夏が訪れようとしていた。間もなく夜明けとなれば、美しい世界が広がる筈である。


「ん? なんだ? あ、蜘蛛か……んだか……、……、……だ? ……っだ! こ、こ、小平太様! 大変だ!」


 夜明け前、隣室の寝所からすずの声が響いていた。


「どうした、寝小便か?」

「だぁぁ、違うそうでねえ」


 勢いよく戸が開けば興奮状態のすずがそこに立っていた。


「だっ! 小平太様の精霊さとんでもねえ……なんだで、こんなでかいの初めて見ただ……」

「ん? 治ったのか?」

「んだ、おら治っただ!」


 その勢いで外戸を開ければ、明るみ始めたばかりの空気の中で、全身に悦びを醸し出していた。


「だぁぁぁ! 皆、喜んでるだよ。あ……神様だったんだ……どうすんだこれ?」

「今まで通りで良いのではないか?」

「んだか、なら……んっ! 皆おはようさんだで! だあぁぁぁ! きらきらして喜んでるだよ」


 無論、小平太には何も見えないし、聞こえない。が、すずは目の前に見える精霊に手を伸ばし嬉しそうである。


 朝餉の後に徳蔵の元へと行けば脈や熱の有無、それに目玉の色や口の中の状態を診て貰っていた。


「早くも残毒が抜けたようだ、良かったな」

「あんがとした!」

「で、儂の精霊はどんなだ?」

「……、……さっきも言っただよ……小平太様と同じで強そうだで……でもなんでだ? 忍びの皆よりでかいのはなんでだ?」

「がはは、強いからだろうな」

「徳蔵さん薬師だで……強いのおかしいだよ」

「お? 言わなんだか? 儂も昔は中々の忍びだったのだぞ」

「初耳だで、ところで、おら薬湯さもう飲まねえで良いだか?」

「そうだな、念のため後二日……いや三日は飲んだ方が良いぞ」

「だ……」


 すずが完治したのだから、信濃へ旅経つ日は近い。突然押しかける訳にもいかないから先ずは使いを出して先方の都合を伺わなければならない。三助に次いで健脚である真三に命じれば、その日のうちに出立した。


 五日の後に戻れば籠には饅頭があり、すずは大喜びである。


「お二人とも大層喜んでいたよ。里でのおすずちゃんの話をすれば大笑いでさ、お二人とも腹を抱えて笑っていたよ」

「……、……お、大笑いって……真三さん……一体何の話しただ?」

「ありのままさ、尾びれも背びれも付けてないぞ」

「おすずは、存在自体が面白いからな」

「……なんか褒められてねえ気がするだな」

「立派な誉め言葉だぞ」


 疑わしくも少しうれしい様だ。その単純な性格も面白くある。


 現地には既に立派な湯屋が建っており、いつでも問題無いとの返答であった。ならば間もなく信濃へ向けて出立となった。


「あんがとした。おら此処での思い出も、皆の事も生涯忘れねえからな」

「あたしたちもだよ、おすずちゃん信濃へ行っても元気でな」

「んだ」


 今生の別れである。一年弱とはいえ中々にして皆と関わりが深かったから、別れも辛い。針仕事の道具一式と新しい包丁、それに竈に使う吹き竹を貰えば涙と鼻水に顔を汚しながらも満面の笑みである。


 無論、猟師の三人と薬師の徳蔵も同行となる。荷車四台に荷物を積みすずもそこへ乗せれば進みも早い。高崎で一夜を過ごし、早朝より発てば順調に歩数を稼いだ。


 安中を過ぎれば間もなく碓氷の峠となる。普通の人々にとっては多少の難所となるが小平太達には問題も無い、難無く越えれば日が暮れる頃には小諸へと着いた。


「これは小平太様、いつぞやは誠に有難うございました」


 この寺は忍びに襲撃されたところを小平太が救った寺である。


「度々世話になる、しかも今回は大勢で押しかけ申し訳ない」

「いえいえ、何も遠慮はいりません、皆様身体をしっかりお休めくだされ」


 夕餉と朝餉を貰い、昼の握り飯まで持たされれば、松本を目指し歩き進んだ。間もなく峠となり、佐助とかすみが追剥ぎを働いた辺りまで来れば二人の行商人を囲む五人の賊を目にしたところである。


「お前ら、懲りずに未だ悪事を働いているのか?」

「あ? なんだおめえ、俺の刀の錆になりてえのか?」

「ん? あぁぁ! か、頭……そいつ以前に話した男に! ごんべえが手も出なかったあの男に!」

「ほう、こいつがそうか」


 手首の筋を切られた男が小平太の顔を覚えていたようだ。


「ん? 己の能力を過信しているようだな、早死にするぞ?」

「ほざけ! 俺様は強えぞ」

「そうか、なら試してみるがいい」


 男は刀を抜き上段に構えるも、小平太は構える事も無く立っていた。


「若造めが、今頃怖気づいたのか?」

「いいや、のろまそうだから、お前が動くのを待ってやってる」

「何だと!」

「興奮するな、隙が増えるだけだぞ」

「黙ってろ!」


 切り込んできた所をさりげなくかわせば手刀で男の喉元を突いた。


「か、頭!」

「さて、お前らも試してみるか?」


 賊たちは亡骸をそのままに、尻もちを付きながら後退すれば、やがてもりへと消えていった。


「おすず、死んだ者の精霊はどうなる?」

「風さ乗っておさらばしながらどっか行くだよ……だどもなんだ、離れたほうがきらきらさ増えて嬉しそうだで」

「悪党ゆえに精霊も困っていたのかも知れぬな」

「んだな」


 その日は松本の寺で宿を借り、次いで岡谷そして伊那へと進めば、飯田までの距離は長くても荷車があるからすずは疲れ知らずである。


 間もなく飯田も越えれば目的地は間もなくとなる、東山道から脇道へと入れば、日が暮れる前に岡本の領地へと入った。


「もうすぐ目の前だでな、それにしても早かっただな」

「おすずが荷車の上だったからな」

「おら楽ちんだったで、だどもなんだ……脳みそが揺れ過ぎだで、なんだかずっと揺れてる気がするだよ」

「少し歩いたほうが良さそうだな」

「んだか、そうするだよ」


 やがて視界が開ければ大集落の入り口となる、その場所から鏡の社の方角をみれば、皆が驚きの声を上げていた。


「だぁ! 湯屋だで! 建てたばっかりの湯屋だ!」

「立派な湯屋が建ったな」

「雨風がしのげれば良いと伝えたのだが、中々にして贅沢だな」


湯屋と同等の建物であれば皆が集まり寝食がが出来るし、建造の手間も少なくて済む。大集落の皆も其々に仕事がある訳だから、この一棟のみを藤十郎に頼んだのである。藤十郎は三助に詳細を聞き、図面を作成したようだ。


「おぉ、下野の方々が到着したがよ」

「皆、忙しい所感謝する」

「岡本様の頼みとあれば、なんてない。苦労なんてなかったよ」


 程なくすれば作業を中断して駆けつけた佐助とかすみが膝を付き小平太達に挨拶をした。


「小平太様、お待ち申し上げておりました。大厄災については藤十郎様より聞きましてございます」

「そうか、なら明日より鍛錬を始めるぞ」

「承知!」


皆にも佐助とかすみを紹介すれば、すずは満面の笑みであった。


「佐助さんもかすみさんも元気で何よりだで」

「おすずちゃん久しかったね」

「んだな」

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