第25話 里の暮らし
力が解放された事を知るには、何も身体を動かさずとも判る。念入りに筋を伸ばし身体を目覚めさせれば、深く息を吐いていた。間もなく大沢の呼吸法で身体が出来れば、あの時の感覚が一気に蘇ったのである。
それは昨日までの技と素早さを遥かに上回る超人的なものと確信できた。
(夢にあって夢に非ずか……おきぬ感謝する)
隠し里では忍びの体術を使う事は禁じられている。故に身体を鍛錬する為には半時(一時間)程歩いた山中へ行かなければならなかった。小平太をはじめ忍びの全員が薬湯を飲んで身体を整えれば、背負子を背に山へと向かった。
薪拾いに成りすまし山まで来れば、完全に人の目は無い。其々が身体を動かし始めれば、小平太が指導の下、鍛錬が始まる。先ずは解りやすく忍びの体術で以て身体の軸や可動を示す。
次いで幻の正確さと素早さを見せれば、皆は真剣に見入ったが、間もなくその幻さえ超えた技と力、それに残像しか捉えられない素早さにそこに居る全員が絶句した。
「……こ、小平太様……それは一体……」
「これが封印されていた力だ、やはり幻想などでは無かった」
「今の速度、幻を遥かに……しかし、どうやって封印を?」
「実はな、昨夜夢枕におきぬが立ってな、封印を解いてくれたんだ」
「きぬが……」
「あぁ」
きぬは仙吉の妹でもあった。
昼に郷へと戻れば、すずは郷の子供達とトンボを捕まえて遊んでいたところであった。
「だ、帰った来ただ」
「夢であって夢に非ず、本当だったよ。凄まじい能力が目覚めた」
「すごいだな……だ……したら美しい人さ現れんのもほんとだか」
「どうだろうな」
「だ、誰だ?」
周囲を見回していたが、程なくして諦めれば里の子たちと共に走り出し、間もなく地に転がった。
「相変わらずだな」
「しかし本当によく転ぶな……」
「足元が意気地ねえと自分でも言っていたよ」
忍び達が鍛錬に励む中、程なくして大根が収穫期を迎えれば、忍び達も総出で手伝う事となった。世話になっているのだから当然と言えよう。
「おりゃぁぁ! だっ! ……いでぇ」
「あっははは、大丈夫かよおすずちゃん」
「相変わらずだな」
「早くも皆の人気者に」
「性格が全身から滲み出ているからな、国訛りも手伝って人を和ます力がある。人徳だな」
「そのようで」
皆に笑われながら立ち上がれば、笑いすぎだと怒っているようだが、それがまた滑稽なものだから余計に笑いを誘うのだろう。
収穫された大根は、荷車で湯屋の大台所へ運ばれると、女衆によって刻まれ、大きな平笊に並べ干される。切干大根や一本漬けはこの時期に一斉につくられるのだ。
やがて昼になれば、大きな握り飯を両手に持ちすずは笑顔である。やはり仕事で汗を流せば飯も格別に旨いのだろう。
「旨んめえだな」
「あぁ、感謝を忘れてはならんぞ」
「んだ」
「ところで、大きな大根を抜くには力が居る、干場に変えたらどうだ?」
「おら、足元さ意気地ねえもの、皆が折角きれいに並べた大根さ、転んで台無しにしちまうだよ。かえって迷惑になっちまう」
十分にあり得る話なので小平太もそれ以上は何も言わなかった。
「それよりおら、今日から縫物さ習う事にしただよ。お滝さんが誘てくれただで、夜が待ち遠しいだ」
「そうか、良い事だ、そのうち俺の着物も頼もう」
「任せておくだよ」
陽が落ちる頃には湯屋へと戻り夕餉を済ませると、すずは意気揚々と縫物を習いに作業屋へと向かった。しかし、一時(二時間)ほど経てば憔悴しきった様子で帰って来たところであった。
「おら、縫物の素質さ無さすぎだで、自分の事ながら信じられねえ、とんでもねえだよ」
「最初から上手くいく者はそうそういない、焦ることもあるまい」
「そうだでか……これ見て欲しいだよ……一時も習ってこれだで」
そう言って懐より取り出した布には酷い有様の縫い目が十数本あった。運針の練習をしたのだろう。
「……思い切り肩の力を抜いたほうが良さそうだな」
「お滝さんにもそう言われただ」
「根気よく習えば必ず出来る、忍びの鍛錬も同じだ。それより気持ちを切り替えて飲み忘れている薬湯を飲むと良いぞ、冷めた分飲み難さが増してると思うが」
「だぁぁぁ! 忘れてた!」
縫い目がきれいに揃いだしたのは、それより七日も先の事であったが、本人は大層満足が行ったらしく、何度も引っ張り出しては縫い目を眺めうっとりしていた。
「縫い目さきれいだなぁ……はぁぁ……苦労しただけの事はあるだ」
「偉いぞ」
「明日からやっとみんなの役に立てるだ。先ずは腰巻から縫うだよ。おら頑張るだ」
忍びの郷同様に此処も得意分野を生かす事で生活が成り立っている。作業小屋では女衆が機織りや縫物などを行い、男衆は籠や笊を編み、縄や蓆も拵えるなどやる事は多い。たくさん作れば鉄などと交換できるのだから、郷を豊かにする為にも重要な事なのだ。
また湯屋の大台所では、郷の女衆の中から料理上手で世話好きなものが集まり、忍び達の食事をつくるのだが、すずはこのところ毎回顔を出しているらしい。どうやら料理にも興味がある様だ。
「料理さ楽しいだよ。毎日三回違う物作るだで、楽しくって仕方ねえだ。おら、料理役に混ぜて貰っただよ」
地域にもよるが、この辺りの食事回数は日に二回が普通だが、大沢の忍びは体力を必要とするため三度の食事としている。すずは里の子供達と遊ぶ時間を削り料理も習い始めたところであった。
鳥獣や魚類の全ては猟師の武夫達が処理をした状態で台所へと運ぶから扱いも良い。その日台所には猪の肉が積まれていた。
「猪鍋だか、今日はちっと風が冷たかったで、皆喜ぶだな」
「そうだね」
猪鍋の香りが立ち始めれば、間もなく湯屋の戸が開き、外の冷たい風と共に三助が姿を見せた所であった。
「ただいま戻りました」
「三助ご苦労だった、夕餉は猪鍋だ温まってくれ」
「有難い」
「……あんな遠いところさ行って、もう戻って来ただか……」
すずの驚いた表情に笑顔を見せれば、籠の中へと手を伸ばし見覚えのある包みを取り出し、すずへと渡したのである。
「おすずちゃんの喜ぶ顔が目の前に見えると、藤十郎様もお琴様も満面の笑みだったよ」
「……ま、饅頭でねえか……」
「これは良かったな」
「おら、嬉しいなんてもんでねえ……三助さんあんがとした!」
「これはどうも」
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