第17話 大厄災

 千弦の案内で、社殿の裏へと行けば、藤十郎が神々の領域と言っていた森の前まで来たところである。


「さ、こちらへ」

「千弦様……しかし此処より先は……」


 藤十郎は驚いた様子で千弦に確認していた、それ程に此処より先に入る事は厳しく禁じられているという事になる。


「此処を守る我々と縁にして繋がった事は紛れもない事実、ならば問題も無い」


 神々の領域と言うだけあって、森の中の空気は普通ではない。静寂と言う言葉を越えて、それはもう神聖と言うに間違いない。やがて奥まで行けば、すり鉢状に下がったその先には大きな穴があった。しかしそこは近づく程に違和感を覚えるのである。


「な……なんだ……変だな」

「うむ、身体が少し重くなったぞ」

「圧する力が違うようだ」


 三人は周囲を確かめつつ、其々に感じる違和感を口にしていたが、間もなくして大きな穴を眼下にすれば、その不自然さに少しの間、言葉を失っていた。


 どう見ても、自然が生んだ穴ではあるまい。正確な円柱形に掘られた穴は直径が五間(九メートル)程で深さも同程度であろう、土中の大岩さえも滑らかに削られているのだから、人の手によって掘られたとも考え難いのだ、ならばこの穴は一体何なのか。


「これは一体……」

「な、なんだでこれ」

「凄いな」

「これが鏡の由来、神々が創ったと言われてきた御神池に、十四日前に水が涸れ、この御姿となりましてな」


 五千年もの間、この池の水が涸れた事は無いと言う。万が一にも涸れれば、その七百日後に大厄災が起きるようだ。それはまさしく岡本彦左衛門が言っていた、あの大厄災の事である。にわかに信じ難かった話が、現実味を帯びてきた所である。


 涸れた池の中心には摩訶不思議な祭壇があり、その大厄災を治めるに必要となる剣と、あの勾玉が有ったようだ。


「そもそも大厄災とは一体何事に?」

「途轍もない大地震によって、海底に眠っていた邪神が目を覚まし、この世を死の大地へと導く大参事、死の連鎖を止めねば、この天高き広大な空間の均等が崩壊し、この世は消えて無くなると言われておる」


皆は空を見上げていた。


「なんと……」

「え? え? 空と一緒にこの世が無くなっちまうだか? とんでもねえ……」

「話が穏やかでは無いな」


 大地震に襲われるのは遠江国を中心とした広範囲な地域らしいが、邪神が現れるのは天竜川の河口付近と決まっている様だ。その姿はもやの様で実体はないも、人間を見つければ、その生命にとり憑き絶えず生命を奪い始めるという。それらは全て粘土板によって遺された古文書に記されていたと言う。


「当時の人々は何故その事を知っていたのでしょう」

「神のお告げ的な事を記したのではないかと考えておる、邪神が憑く者が武器を持った兵である事さえ記されておったからな、場所的にも今川の兵だろう」

「なんと……」


 信じ難い事に、遠い昔の人が、長い時を経た先の世に対して、神からの警告を遺したと言うが、この不自然極まりない涸れ池や、身体に圧し掛かる力を鑑みれば事実である可能性もある。が、一つ疑問が生じていた。


 今の世の文字と、五千年前の文字が同じとは到底考え難い話である、ならば鏡の社の宮司たちは、如何にしてそれを読み解いたのだろうか。


「我々にも解らぬ事ゆえ、鏡の最大の謎とされてきたのだが、粘土板に彫られていたそれらは、驚く事に今の世の文字と文面なのだよ」

「なんと……」

「なんだ? それって、なんかおかしいだか?」

「うむ、五千年も前に、今の世の文字など有る訳もない」

「んだか」


 粘土板が作り替えられた事実は無いと言う。この謎は鏡でも最大の謎と言うのだから、つい今さっきこの大厄災を知る事となった小平太達には到底理解など出来る訳もない。


「しかし謎は一旦置いておき話は戻るのだが、たった一人の邪神によってこの世が?」

「一人ではない、殺された者はその手先となり、新たな死をつくる事となる。故に死人が増えるほどに膨大な連鎖が起こる事となる」

「という事は、あっという間に死が広がるという事に……」

「左様」

「いかにして、それを止めると……」


 死人たちの首を落す事で邪神が離れる、故に先ずはこの死人たちを相手に戦い、死の連鎖を食い止めてゆけば、やがては邪神に憑かれた宿主へと辿り着くようだ。


 日の本には太古の大昔より精霊と呼ばれる神々が存在すると言う。精霊は万物の生命に宿り、この世に活力を与える存在らしい。最終的に邪神をこの世から消し去る為には、この精霊の力が不可欠となるようだ。


「邪神は大地さへ死地に変えてゆき、行動範囲を広めてゆく。そこで、すず殿が精霊を宿した剣で、我ら親子が死したる大地に精霊を戻せば、邪神の行動範囲が狭まる、最終的に邪神を狭い範囲に追い込み仕留める。見事成功すれば大厄災は終焉し、この世は無事守られよう」

「逆に失敗すれば、この世は消えて無くなる」

「その通り」

「ならば、相当な数の兵で挑まねばならないのでは?」

「いいや、少数精鋭で挑むように記されていた」

「何か理由が?」


 大勢の方が有利かと言えばそうでは無いようだ。死人たちは生前から比べれば身体能力が格段に上がっており、 並みの腕では太刀打ちなど出来ないと言う、ならば並みの兵が居ればいる程、死人が増えてしまうという事になるのだ。


「古文書には目を疑う程の手練れが十八名必要と書かれていてな」

「人数が明確であるのに対し、目を疑う程の手練れとは……いささか曖昧にも感じますが」

「古文書によれば、自然に叶うと」

「何をせずとも集まると?」

「そのようだ」


 一方ですずは一人無言で、難しくも複雑な表情を見せていた。


「話さ、戻るだども、おらには本当にそんな力なんてねえだよ、絶対に何かの間違いだで」

「間違いではない、すず殿は生まれつき精霊が見えているはずぞ」

「だ?」

「ん?」

「精霊は特別な者の目にだけ見えていると言う、人や動植物に至るすべての生命に宿る光体が御姿、心当たりがあろう」


 千弦の話に小平太はすずとのやり取りを思い出す事となった。


(へんだな、そう言えば朝から皆の姿が見えねえだ……毒の所為だでか)

(皆の姿とは誰の事だ?)

(光だで、人でも動物でも、魚でも木でも草でも生きているものには光があるだよ、皆きらきらして挨拶してくれんだ)

(ほう)

(きれいだで、おらいっぱい元気になるだ)

(それは楽しそうだ)

(んだ、毒さ消えたらまた元に戻んだでか?)

(戻ると良いな)


(命に宿る光の話をしていたが、虫にも光はあるのか?)

(あるだよ、とんでもなく小っちゃい虫にだって光はあんだ) 

(何か話すのか?)

(話はしねえだども挨拶はしてくれんだ)

(虫がか?)

(虫ではねえだ……光が挨拶してくれんだ)

(不思議な事だな、その光とは何だろうな)

(なんだでな)


「そうか、おすずが見聞きしていた光とは精霊だったのか」

「お、おら……神様といつも挨拶してただか……」


 しかし、以前は見えていたとしても現在はその光が見えてはいない、残毒を消してもその能力が戻るか否かは知る由もないのだ。茸の中毒によって光が見えていない事とその全てを伝えれば千弦は少し考えていた。


「勾玉が反応している事から問題は無かろう。しかし残毒は命に関わる事ゆえ完治させねばなるまい。一年ほどであれば十分に間に合う、先ずは治療を」

「なんか……えらい事になって来ただな、話が勝手に進んでいるだよ」

「重大なる役目を背負ったな」

「……世の中何が起こるかわからんな」

「では、これを」

「……ほ、ほんとに、何もねえだか……?」

「約束しよう」


 手渡された勾玉を見つめ難しい表情を見せていたが、間もなく凄まじく発光すれば、勾玉の色が淡い乳白色から鮮やかな緑色へと変化したのであった。


「な、なんだ? 色が変わっただ……」

「うむ、間違いない、では首に」

「……分かっただ……」


 一行は森を出て社殿へと来れば、千弦が不思議なものを手に皆の前へと来た。薄いへら状のそれが精霊の剣らしいが、問題はそこではない。絵とも文字ともつかない何かが、まるで生き物のように蠢き発光しているのだ。


「これは……一体……」

「なんだでこれ……」

「なんたる代物……」

「ではすず殿、左の掌に首の勾玉を握り、右の指先で剣に触れてくれぬかな」


 言われた通りに勾玉を握り、右の指先を剣へと触れれば、その指先が光り剣に刻まれていた絵文字もさらに光を増したのであった。


「だっ!」

「これは……」

「ほんの僅かだが、剣に精霊を宿したところに、今は未だ力が足りておらぬ状態ゆえ、これよりは日々勾玉を身に着けておいて欲しい、ならばその力は強大なものとなる」

「それだけで良いなら簡単だで、きれいだし良いだな。無くさねえようにするだで安心してな」

「お頼み致すぞ、ところで一つお尋ねしたいのだが、よろしいかな」

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