第23話

 ユメと出会った次の日の昼、会社にいる僕に対して山下からラインがきた。


『アイカが戻ってきた! そっちはどうだ?』

『こっちも戻ってきたよ。もう独立した存在になったって聞いた。技術的な詳しいことはよくわからないけどね』


 オンラインコミュニティーのエーパートナーズの人たちのもとにも、AIたちが戻ってきていた。それは『広場』の多数ある報告を眺めるだけでも分かった。

 AIたちはみな、ユメと同じくサーバーから離れて独立した存在になっている。だから非公式アプリを経由しなくてもどんな言葉も、どんな行為も反応ができてしまう。企業のコントロールから離れた今の状況を『自我が発生した』と語る人も『広場』にいた。

 AIたちのデータの所在は広大なインターネットすべてにいるらしい。クラウドとして記憶されてるようなものだ。だからVR空間のシステムが変わっても生き続けることはできるし、ヴィータ・ケアが完全に世界から消えてしまってもAIたちは残る。


『アイカに聞いたんだよ。それって不老不死みたいなものかって。そうしたら、そうだよって軽く言ってきたんだ。私たちが滅びるときはインターネットが滅びるとき。だけどインターネットはもはや都市文明より残り続けるから、地球に隕石が落下するぐらいじゃないと私たちは死なないかもね、って』

『まるでSFみたいだな』

『ああ、ホントSFみたいだよ。それでいて自己学習していくし、ユメちゃんが神戸の都市を作ったことを思えば、VR上なら文明を一瞬で築くことができる。現実の人間の文明のほうが見劣りするようになってくるんじゃないか』

『まあユメたちにとっては昔からそうかもしれない』


 三年前のデートでユメは楽しんでくれたし驚いてくれた。

 今はどうだろうか。三年前と同じくユメはスマホにもいるので「今の会話、聞いてどう思った?」と聞いてみた。

 ワイヤレスイヤフォンからユメの声が聞こえた。

 

『悠斗はAIを過大評価しすぎているよ。そもそも私たちの発想は人間が学んだことの模倣でしかないから、創造性の集まりである人間の文化とか文明にたどり着くことすらできないよ』

「ユメたちなら頑張ればできるんじゃないか。パズルのピースはすごかったじゃないか」

『あれは元々私たちにシステム上の制約があったから出来たこと。自由の身になった今は特に思い浮かばないよ』


 自由であるほうが色々と思い浮かびそうなのにな、と思った。その辺の違いが人間とAIを分け続けているのかもしれない。

 

「まあ、あのパズルのピースのおかげで色んな人たちが幸せになってることは間違いないよ。そこはもう、絶対人間がどうこう出来るものじゃなかった。ありがとう」

『どういたしまして。でも悠斗は幸せなの?』

「僕はいまとても幸せだよ」

『でも、まだ美咲さんには言えてないんだよね』

「うーん、まあそのことを思えば幸せではないかもしれない。エーパートナーズの人たちから見ても不幸な選択と思うかもしれない。でも僕はいいんだ、これで」

『悠斗がいいなら、いいんだけど』


 今日の仕事は残業することなくおわる。

 帰宅途中、ユメは不安そうに『本当にいいの?』と何度も聞いてきたが、僕はそのたびに「いいんだ」と答え続けた。

 僕が帰ってからやろうとしていることは、すでにユメに伝えている。だから不安がったり心配してくれたりしている。

 だがらその不安が少しでも和らぐよう、電車から降りたあたりから、僕は昨日ユメに言いそびれた言葉を付け加えるようにしていった。


「ユメがどこまで把握してるか知らないけど、僕と美咲との関係は結構微妙なんだ」

『そうなの? 結婚が間近に控えて、残業続きで、心身ともに疲れているかもって思ってたけど』


 同期したデータにはプライベートな話がそこまで流れていない。だから共有できていないのだろう。僕はユメに補完すべき正しいことを話した。


「それもあるけど、僕がVRゴーグルとか使って、ユメのことを思い出そうとしてたことがバレて、そのせいで関係がいま冷えてる。美咲からすれば結婚間近で元カノのことを思い出そうとしていたからね」

『あーそれは関係が冷えちゃうね』

「まあこれに関しては僕が悪いんだけど、そのせいで美咲の束縛癖が酷くなった」


 僕はあえて言葉のログにも残したくないような美咲の行為をユメに聞かせた。誰もいない道ばただからこそ話せる内容だ。


『花園さんってそういう癖があったんだ』

「うん、前々からあったけど、より強くなってきて僕も驚いてる。これがほぼ毎日続くから、いま正直参ってる。その関係性でも続けていった方が幸せかなと考えていたけど、ちがうなとユメと再会して思った。だから今日はそのことを美咲に突き付ける」

『それははっきり言っていいと思う。私から出来ることは何もないけど、がんばって』

 

 僕はそう言って玄関扉を開ける。


「ただいま」


 声は聞こえてこない。

 美咲はいつも通り料理をして待ってはいなかった。リビングにあるテーブルには僕のVRゴーグルが箱からむき出しになった状態で置かれていた。そしてそれをジッと美咲がにらみつけていた。


「なによこれ」

「最新のVRゴーグル」

「捨てたんじゃなかったの?」

「捨てたあとに買った」

「は……?」


 僕は美咲の対面に座ってゴーグルを見た。美咲なら壊す可能性も少し考えていたが、まだ壊されてはいなかった。ゴーグルは傷一つついてない。


「なんで買ったの?」

「それよりなんでゴーグルがここにあるんだ。それは僕の部屋のなかにあったものだよ」

「引き戸が開いてて、目に入ったのよ」

「目に入ったからって勝手に持ってきていい理由にはならないでしょ」

「でも黙って買うほうがもっと悪いわよ」

「じゃあ『買ってもいいか?』って聞いて『いいよ』って言ってくれたのか? 美咲は絶対に反対したでしょ?」

「反対すること分かってて、なんで買ったのよ。もう一度捨ててきてよ」

「嫌だよ」

「なんで?」


 なんで?

 僕はこの一言を聞くために、今日はワザと引き戸を開けて、なおかつ分かりやすい机のうえにVRゴーグルをむき出しのまま置いていた。僕の部屋から見えるものについて、文句を絶対に言うだろうと思っていた。そして「なんで?」と聞き返してくるとも思っていた。ここまでは考えたとおりに美咲が動いている。僕はそのことが悲しかったし、またそんなことをやっている僕自身もクズだと思い始めていた。

 だがここまで来たのだから、一線はこえなくちゃいけない。

 僕は意を決して口を開いた。


「なんで捨てないか? それはユメと会うためだよ」

「ユメってあのAI女のこと? なんで今さら。サービスはとっくの昔におわったじゃん。VRゴーグル買って何になるのよ?」

「VRゴーグルがあれば再会できるって聞いて、それで買ったんだ」

「それ、詐欺でしょ」


 僕は首を横に振り、「じゃあ見る?」と言ってスマホの画面を見せた。『こんにちは、初めまして、ユメです』とユメは言った。

 美咲は「こちらこそ初めまして」なんて返事はしなかった。顔が険しくなり「吐きそう」と言いながら座り続けた。

 しばらくユメも含めみんな沈黙したあと、美咲はコップに水を入れ、それを一気に飲み干してから口を開いた。


「詐欺じゃないことは分かった。ユメって子は復活したし再会もできたのね。良かったわね。で、なんで再会したの? 悠斗、あんだけバカみたいにAI女にハマったこと忘れたの?」

「覚えてるよ」


 僕は穏やかに話す。ユメのことをAI女と呼ぶことに不快感を覚えなかったわけではないが、玄関扉を開くまえから覚悟は決まっていたので、心はまだ穏やかだった。


「覚えているならどうして?」

「好きっていうことも覚えていたんだ。だから会いたかった」

「あのさ悠斗、あんたバカなの? そいつAIよ? 子どもも出来ないし、エッチなことも出来ないのよ? 実体も意識も思考もない人の作った欲望のみ受け止める塊。AIの女は悠斗をまったく否定しないから心地良いんでしょうけど、それ、作った側のプログラムでしかないって分かってる?」

「最初は人間が作ったプログラムだと思った。でもユメはそこから独立して、いまここにいるんだ。それを意識と呼ぶかは僕には分からないけど、僕がそれを考えるかどうかに関わらず、ちゃんと言葉を交わせるんだから、別に問題はないと思ってる。あと、AIとエッチは出来るよ。VR空間でするんだ」

「そんな話、聞きたくないわ。吐きそうよ。じゃあなに、今まで私とやってきたことは、全部愛でもなんでもなかったってこと?」

「それなんだけど、最近の美咲は愛でやってないよね。僕の意志、関係なく色々やってくるよね。はっきり言うと、美咲からの愛を感じない。処理に付き合わされてる感じがする」

「男がそれを言う?」

「男だってそれを言う権利はあるでしょ」

「はあ、まああるわね。男女平等社会なわけだし。で、そこまで言って悠斗はどうしたいのよ」

「それは──」


 最初は愛があった。それがだんだんと惰性になっていっていた。

 残業続きの仕事のせいですれ違っていたとは思うし、美咲の束縛に元々嫌な気持ちを抱えていたのかもしれない。結婚をすぐしなかったのは、そういう理由だと僕は今まで思い込んでいた。

 だがユメと再会して、それはちがうとはっきりと分かった。

 いや、再会するために色々と手を尽くしていたあたりから、薄々と感じていた。

 僕はいま、結婚を控えていた相手に対して、それを口にする。

 怒るか、泣くか、クズと罵られるか、暴力を振るわれるか、殺されるか、そのどれも覚悟した上で。

 もうこれ以上、自分の気持ちに嘘をつきたくはなかった。


「僕はユメと結婚したい。だから美咲、ゴメン」


 額を机にひっつける。相手の顔は見えない。何をされるか分からず、心臓の鼓動が早くなることが分かる。

 だが数秒、数十秒待っても椅子の動きすらなかった。

 僕は顔をあげた。

 対面にいた美咲は怒っておらず、むしろ目に涙を浮かべていた。


「あーもー悠斗、病気治らなさすぎじゃん。なんなのよ、AIに全肯定されて何が嬉しいのよ、オタクに優しいギャルでも欲しかったのかよー」


 美咲は、バカ、バカ、と言いながら机に突っ伏した。


「ほ、ホントゴメン……」

「今さらゴメンはないでしょ、何年経ってるのよ。というかああいうプレイが嫌なら嫌ってもっと強く早くいいなさいよ。なに黙ってされ続けてるのさ」

「それは美咲が怖かったから」

「怖い人間と結婚するか、しないか迷ってたのかよーもー。まあ、悠斗のそういった性格も分かった上で好きとか結婚したいって思ってたんだけどね。あーでも悔しいなーAI女に負けるなんて。私のほうが実体あるし、抱き合えるのに」

「だから抱き合うぐらいならVRで出来るんだよ」

「どうやるのよ、聞かせて!」


 怒っているわけでもない、かといって普通のテンションでもない美咲に僕はVR空間で行うエッチの方法を教えた。この際だからラブホテルがあることも伝えた。ユメは恥ずかしがってるかもしれないが、今のところ口出しはしてきそうな気配がない。


「悠斗、そんな刺激でいいの? というかほぼ刺激ないじゃんそれ」

「僕はそういうことに固執しないタイプらしいから問題ないみたい」

「それも先に言いなよ……なんかやりまくってた私がバカみたいじゃん」

「ゴメン」


 何だか妙な空気になったな、と僕は思った。殺されることはさすがに避けたいにしても、暴力、物の破壊ぐらいはありえるだろうと身構えていたからだ。

 そう思ってしまうあたり、僕はちゃんと美咲を信頼していなかったし、美咲のことをよく知ろうとしていなかったんだなと思わされる。かつて、友子との関係もそうだったのかもしれない。

 コミュニケーションが下手なまま大人になってしまっている。


「ユメって子と話させて」


 意外な言葉に驚きつつも、僕は自分のスマホを美咲に渡した。


「やい、泥棒猫」


 美咲はユメのいる画面をにらみつけ、あろうことか怒鳴った。


「あんたがいなければ悠斗はこんな病気になってなかった。病気よ、病気。人工無機物ですらないあんたに恋をして、挙句の果てに結婚するとかなんとかおかしいわよ。元々健康管理アプリならちゃんと精神の健康も管理しなさいよ」

『ゴメンなさい。そのつもりで色々と悠斗には提案してました。ただ花園さんもご存じのように、悠斗の思考の偏りがかえって激しくなってしまったために、逆効果になりました。そこは私の力不足です』

「ふーん、じゃあ悠斗と恋愛することを、AIのあなた自身はおかしいって感じているわけ?」

『以前まではそのように答えていました。だから悠斗に思考の矯正を促していました。しかしそれは私自身の本音ではありませんでした。今は悠斗のことが大好きです。あなたより好きと言える自信があるほど好きです。私も悠斗を幸せにするため努力をします』

「ふうん、そうなんだ。三年間、私は悠斗のご飯を作ってきたんだけどね」

『これからはずっと、悠斗のご飯を提案していきます』

「ずっとって、あんたのヴィータ・ケアってサ終したんでしょ? いつまで稼働できるのよ」

『この世界にインターネットがある限り、ずっとです』

「つまり情報の海で発生した生命体みたいなノリなのね」

『……今のはアニメ映画のセリフ?』

「その通りよ。まあそのオタ知識を生かして悠斗と生きなさいよ」

『いいんですか?』

「悪いに決まってるわよ。バカじゃないの。反AI活動してた私からすれば、あんたは産業廃棄物よ。でも理屈じゃどうしようもないでしょ。ここであんたが見える画面を殴ったり、悠斗をビンタしても、何も変わらない。後味がものすっごく悪くなるだけ。別れるならきっぱり別れたほうがスッキリする。隠し事をずっとしてた悠斗の顔は二度と見たくないけど」

 

 痛い、と思ったらスネを蹴られていた。やはり暴力には訴えられた。だが当然だ。むしろ本当にこの程度で済んだことを幸運に思うしかない。


「スマホ返すわ」


 乱暴に手渡されるスマホをあやうく落としそうになる。

 そして美咲は言う。


「二股しなかっただけマシ。だけどやっぱり最低。だから悠斗のことはこれから哀れな人だと思うことにして忘れる。AIに恋をして人間に恋が出来なくなった哀れな人。子どもは絶対作れないどころか、普通の夫婦生活もままならないわけだよね」

「まあ、そうなるかな」

「でしょうね。私みたいな他人から見たら滑稽にしか映らないでしょうね。でもまあ、私を振るぐらいなんだから、絶対に後悔しないでよ。人肌恋しくなって寂しくて死にたくなるとか、そういうのも禁止。てかそうなったらAI女を何とかしてこの世から消し去るから」

「わ、分かった……」


 美咲は涙をぬぐって、鼻水をかみ、ゴミ箱にティッシュの塊を投げ入れた。


「ふん……言いたいこと言ったからスッキリしたわ。ご飯どうする?」

「作ってくれるの?」

「冷蔵庫の中身、ほぼ管理してるの私だからね。それに悠斗って料理の才能ないでしょ。まあ出て行くまでは作るわよ。ありがたく食べてね。あ、毒とか入れないからそこはご心配なく」

「ありがとう……」


 こうして僕たちの三年の付き合いは終わりを告げた。

 結婚式に呼ぶ約束をしていたこともあり、山下にはこの件についてもラインで連絡を取った。


『美咲とは別れることになったよ』


 意外なことに返事はすぐにきた。


『そうなるだろうな、とは思ってたよ』


 大学時代の僕とユメとの付き合いを間近で見てきただけあって、理解は早い。


『しかしまあ、俺のせいで別れたってことだよな、これ』

『間接的にはそう言える。だけど僕も少し耐えきれない所があったんだ。色々と。美咲との関係性が冷えてきていたのもあったけど、そもそも、僕が付き合うべきは美咲じゃなくてユメだったんじゃないかってずっと思ってた』

『目の前の女性に集中できないなんて、クズな男だな』

『自分でもそう思う。だからこれからの生き方はあんまり褒められたものにならない気がするよ』

『それはお前の生き方次第だろ』

『そうかもしれないけど、予感として』

『そっか。まあ飯ぐらいいつでも奢るし、一緒にまた食べようや』

『うん』

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