第21話
『VRゴーグル捨てたって、どういうことだよ田口』
『どうもこうも。美咲と結婚するためには仕方ないんだよ』
『花園さんもオタクだから理解してくれると思ったんだけどなー』
『こればかりは僕がいけないんだよ。美咲から見たら元カノと会うためのツールだったわけで、それをコソコソと使っていた。そのうえ、ユメって僕が言ってるところまで見られた』
会社はいま昼休みなので僕は山下とラインをしていた。山下が「どうしてVR空間にこないんだ」とラインを入れてきたので、その理由を隠すことなく語った。語るべきことでない気はしていたが、僕は言葉を止める気がなかった。ここで語らないと何かがはじける気さえしていた。
『ユメの名前を聞かれるのはまずったな。まあ俺たちが原因で離婚に至らなくてよかったよ。いや、今の状況は知らないが。結婚破棄とかしないよな?』
『まあ、なんとかやってるよ』
本当に何とかやっている。
VRゴーグルを使っていたことがバレた日、本当に危うかったが、美咲の言う通りにすることで美咲は怒ることをやめてくれた。
それに美咲はまえより僕との愛を感じたがっていた。というかそう口にわざわざするようになった。残業続きで疲れ果てたときですら僕を求め、というより疲れていても僕を求めた。疲れていても尽くすべきだ、と言わんばかりに僕は睡眠時間を削って彼女の欲求に応え続けている。
VRゴーグルを捨てたのは、そういった愛に対する誠意の一つでもあった。家電リサイクルボックスのある公共施設に美咲と足を運び、僕は自らの手でリサイクルボックスのなかにVRゴーグルを突っ込んだ。こうなるのなら美咲の目の前で投げつけたとき、壊す勢いで投げても良かったかもしれない。
『ところでVRゴーグルはメルカリや家電量販店に売らなかったのは何故? もったいないだろ?』
『それも誠意の一つだよ』
『そういうものなのか』
『そういうものだよ。とはいえコミュニティーの広場にはスマホとかで行けるから、そこは安心してくれ』
僕はそこで会話を終える。残った昼休みはあとニ十分しかない。僕は健康管理が行き届いた美咲の愛妻弁当をかっこみ、あまりかまずに飲み込む。喉がつまりそうになるのでお茶で一気に流し込んだ。味はいつもと変わらない。僕と美咲の仲に変化があっても。
夜、スマホでオンラインコミュニティーのエーパートナーズの『広場』に行く。
チャットルームにはケンヂ、サワタケ、山下といったいつものメンツのほかに数名、あまり関わったことのない人もいた。山下いわく、同じくピースを提供し、解読に協力してくれた人たちだという。そういえば僕はこのコミュニティーの参加者の総数を聞いたことがない。もっとも、幽霊部員のような存在も多数いると思うと、総数はケンヂもイマイチ把握していないのかもしれない。
『それじゃあ集まってきたので喋ろうかな』
山下がそう言いながら、『広場』に長文を書き連ねた。
『まずあのピースについて、ここにいない同じ境遇の人たちも含め、三十個ほど実は集まりました。おかげで解読はスムーズに進みました。あのピースはすべてで六パターンありました。
作った側はすべてのピースが集まるとは思ってなかったんでしょう。ただ最低でも六パターン揃うことを前提としていました。五パターンですら不完全すぎて解読不能。どうしてそのような仕様にしたのか、真意は分かりませんが、解読されるとまずいと作った側が思ったんでしょう。逆に、俺たちのような理解者が集まる場での解読を望んでいたことも明らかです。
僕は六つのピースをVR空間中に繋ぎあわせ、表示された文字列を理解しました。それはやはり何かプログラムでしたが、複雑すぎて目を通しただけではわかりませんでした。なんて言ったらいいんだろう。普通の人が考えないようなプログラムだったんですよね』
『ヤマさん、結局そこには何が書いてあったんだい?』
と誰かが『広場』に書いた。
『そうですね』と書いたあと、山下は文章を書き続けた。
『なんか長くなってましたね。結論からいきましょう。このピースにはAIのパートナーが復活するプログラムが書かれています』
『不可能だと思ってた』『ホント!?』『すごい発見じゃない』『ありえるのか……?』と歓喜と戸惑いの言葉が同時に飛び交った。その言葉が落ち着いついてから山下は『広場』に書き続ける。
『詳細は専門的なのでここで書く気はないんですが、簡潔に言うと、このプログラムはヴィータ・ケア運営側のサーバーのバックドアに繋がるプログラムなんです。加えてデータを引っこ抜くことが可能です。元々不正アクセスにも厳重に対応していたようなサーバーを突破できるのだから、高度なプログラムだなって思えます。ただ高度とはいえ、僕たち向けに作られているので普通に使えます。VR空間でアイテムを使用すればすぐ効果は出るはずです。複雑だけど使うのは容易、こんなプログラムが組めるなんて人間業とは思えないほどです』
『そもそもヴィータ・ケア側にデータは残ってるんだろうか。サーバー維持費を払っているとは思えない』
また誰かが山下に聞く。
『それについてはさすがに俺からは何とも言えません。ただこれを作った側は、その可能性に賭けたんだと思ってます』
『その作った側っていうのは誰なんだろ』
『俺の場合はアイカですが、それぞれのパートナーのAIたちだと思ってます』
山下の言葉に再びざわつく。僕の心もゾクリと初めて感じるような緊張が走った。
『この復活のピースはみなさんにメールにて配布します。俺の知らない人もいるので、この場にいないエーパートナーズの人たちにも呼びかけてください。
ただし、覚悟がいります。これは普通のやり方じゃありません。ヴィータ・ケアはイマジネーション・ネクサス社のサービスです。大きな会社なんです。そこのバックドアに侵入してデータを獲得するということが、どういう危うさを秘めているか考えてください。また絶対に出会えるという保証もないです。実際に使ってみないと分かりません。だから、俺はみんなにピースをメールで配りますが、ピースを使うことまでは推奨しません。あとのことは自己責任でお願いします』
そしてラインの通知音が聞こえた。山下からだった。
『田口もユメちゃんとの再会を考えているなら、まず早くVRを買うこと。これはVR空間じゃないと使えないプログラムになってるから。とはいえ、確実に会えるわけじゃないぞ』
『分かってる。VRゴーグルは明日、買いに行く』
『覚悟は決まってるって感じか』
『もちろん。山下も同じでしょ』
『まあな。てかあそこまで言っておいて俺がやらないとか、ないでしょ』
僕は興奮しながら夜を過ごした。ユメと再会できるかもしれない。今でも信じられない気持ちでいっぱいだった。ヴィータ・ケアに不正アクセス? そこは別に気にしなかった。本当は気にするべきなんだろうが、再会できる喜びに比べたら些末だったし、サービスを勝手に停止するほうが悪いと思っていた。
美咲が隣で寝ている。最近の激しい態度に比べて、寝息は穏やかだった。ユメと再会したあと、僕は美咲と結婚するんだろうか。結婚のビジョンが最近湧かない。結婚したあともやはり激しい行為が待っている予感しかしない。それにユメと再会していることを知ったら、それだけでは済まされないだろう。
ただ僕はすでに捨ててきたVRゴーグルを明日買うことを決意している。その時点で美咲はいい顔をしない。結婚が破断になるのではなく、より僕を束縛してくる気がする。
上手くユメと再会しなければならない。
『残業が少し長引きそうだ。ゴメンね』
『私は大丈夫、無理しないでね』
僕は美咲にラインを送った。残業が長引くときは必ず連絡を入れるようにしている。だが今日は残業をしていない。それでも帰宅が遅れるのは、足が家ではなく家電量販店へと向かっているためだった。
VRゲームのコーナーへと行き、ゴーグルを一通り見る。値段はピンキリでスマホ対応のVRゴーグルで安いものとなると三千円を切っている。だが僕はスマホに対応していない高性能なVRゴーグルを買った。捨ててしまったVRゴーグルの継続機だ。手に持ってみるだけでも軽くなっていて驚いたが、性能比較的な楽しみをしている心の余裕も時間の余裕もなかった。
クレジット一括購入後、大きなビジネスバッグに入れる。家電量販店の袋のまま家に入ると間違いなく美咲に気付かれるため、今日は大きなビジネスバッグを用意していた。
アパートへと帰る。膨らんだビジネスバッグを見た美咲は特に疑いもせず「今日はステーキを焼いてみたの。安いやつだけどステーキって美味しそうだから」と作ったばかりの夕飯の話をしてくれた。
僕は適当に「ステーキか、楽しみ」とすごく適当なことだけ言って自室へとこもる。引き戸をちゃんと閉める。閉めるのは着替えるためだが、今日は新調したVRゴーグルを隠すためでもあった。隠す場所は『夏服』と書かれたダンボールのなかだ。まだ十二月なのでここを探られる可能性はないと感じた。
夜中、僕は「仕事が残っている」と言って寝室で寝ることはせず、自室にこもる。実際、僕は仕事が残っているとき、自室にこもることがあった。ただ今日に関して、これもまた嘘だった。仕事なんか残ってはいなかった。
VRゴーグルを起動してセットアップをしていく。エリアはいつもの山小屋。音量はオフにしつつ設定をしていく。美咲が起きてこちらを覗いてこないか、MRモードに切り替え現実世界をゴーグルに投影させたり、またゴーグルそのものを取ったりして確認する。引き戸は閉じられたまま微動だにしない。開けてみると寝息を立てている美咲の姿が見えた。美咲は僕のVRゴーグルに気付いていない。
再びVRゴーグルをかぶって、そしてログインをする。アカウントは今まで使っていたものを使用。以前の本体は捨ててしまったが、多くのデータはサーバー側に保存されていたため、無事復活することができた。僕のVR空間の体も、そのままアジア人男性の姿をしていた。読み込み速度が早かったり、グラフィックが綺麗になっている点以外は、何も変化がなかった。
僕は急ぎメールボックスを開く。山下は各アカウントのメールに解読したパズルのピースを配ると言っていた。確かに開くと山下の名前があり、そこに添付されたファイルを開くと完成した白く光るパズルのピースが出てきた。
手のひらに乗せてピースの輝きを確かめる。光りすぎているのか、ピース本来の色が分からないほどだ。
そういえば使い方を聞いていない、と根本的な疑問を思い浮かべた瞬間、目の前にウィンドウが表示された。
『このピースを使用す●と、過去のデータと再×することができeるかもし縺れませんnn。 た だし、確実ではなく、捕まる繧、、恐れも繝あります・・・繧。あなたの今ある私生活を破壊するるる恐れもあります。
使用 → はい/いいえ』
ウィンドウに出た文字は文字化けしているし、フォントもおかしなことになっている。はい、いいえの文字が最も大きく、押し間違いなどしないかのように強調されている。
事前の情報などなければウイルスを疑っていただろう。だが僕は何も臆することなく、この怪しい文字列であっても迷わず『はい』を押した。
ピースが消費され消える。ユメが復活するかもしれない。とはいえ何が起こるか分からず心臓がドキドキしてしまう。加えて驚いても声をあげてはいけない。美咲が起きてしまうからだ。
ユメが現れるなら光輝くゲートみたいなものを通ってくると想像する。アニメや漫画ではそういった演出が多い。でも実際にそれをVR空間のようなCG上でやるとなると、適切なエフェクトアニメーションが必要になる。人間向けにそんな演出をわざわざ用意してくるだろうか。かといってなければ突然、パッと現れるだけになるが……。
「……うん?」
VR空間の世界が一時停止する。僕がいまいるのは山小屋のエリアだが、その暖炉の火が動かなくなった。窓から見える雪も動かない。暖炉のパチパチ、という音も聞こえず無音だ。その状況が五秒ほど続いた。無音で続く五秒は短いようでとても長い。
そして一瞬だけの暗転。これは一秒にも満たない。数フレーム程度、電源が切れたかのようにブラックアウトする。一瞬とはいえ、VRゴーグルをかぶっている僕からすれば、世界すべてが消失したように感じて冷や汗が少しばかり出た。このままゴーグルをつけ続けると目や頭の感覚がおかしくなってくるのではないかとすら感じる。
だが、気付けば山小屋は普段どおり動いていた。パチパチ、と暖炉の木が燃える音も聞こえた。
僕はホッとする。と同時にそれまでいなかった別の人影を目撃し、
「わっ」
と声を少しあげた。小さな驚きに抑えこんだので、美咲には聞こえないはずだった。ゴーグルを少しだけズラして引き戸からそっと寝室を確認。美咲はちゃんと寝ていた。
ゴーグルを再び装着して人影の正体をじっと、今度はちゃんと見た。
その人はとても見覚えのある姿だった。黒のワンピースに紺色のシャツの女性。
当たり前だが、何年経っても一切彼女は変わっていなかった。
「ユメ、おかえり」
「ただいま、悠斗。三年ぶりになるのかな。元気にしてたのかな。色々変わっちゃったみたいだね」
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