第19話
休日かつ美咲がパートでいない日。
ようやくオンラインコミュニティーの門戸を叩くこととなった。山下から紹介されてすでに五日は経過していた。コミュニティーの名称はエーパートナーズ。『エー』はAIの『エー』から来ていると山下から教わった。そのままAIと書くと見つかりやすいので名称もひっそりとしているらしい。
事前に教えてもらったパスワードと名前で僕はログインをした。
プロフィールではかつていたAIパートナーの名前と性別と交際歴の記入欄がある。
ユメとデートをしたのは確か十月頃だった気がする。しかしそのまま春を迎えていない。半年どころか三か月すら交際歴はない。短すぎる、とプロフィール欄を埋めながら思う。短すぎる交際歴だが、いま残っている感覚からすれば一年ほど付き合っていた気がしてくる。それだけユメとの付き合いは刺激的でもあり楽しかったということなんだろう。
プロフィールを書き終える。
『ログインの有無を他のメンバーにも知らせますか?』という質問にはオッケーを押す。そうでもしないと誰も新規加入の僕の存在を認知できない、という話は山下から聞いたことだ。そしてこのコミュニティーの特性上、新規に加入した人には声をかける習慣があるという。
僕は声かけを待ちつつ、プロフィール欄を丁寧に作っていった。
記入が必須ではない自由欄にはユメがどういった人物かを書き連ねていった。当時同じ年齢ぐらいだった女性を想定して作成、黒のワンピースに紺色のシャツという大学生らしい服装にしつつも、顔つきは日本のアニメらしさを求めた、性格はフレンドリーで明るく誰に対しても仲良くしてくれた──。
しばらくして、タグチさん宛てのメッセージがあります、と画面中央にポップアップが出た。メッセージのタイトルは「はじめまして」だった。
僕はプロフィールを書き終え、そのメッセージを開いた。
『タグチさん、はじめまして。私はエーパートナーズの代表を務めているケンヂと言います。代表といってもこのサイトの管理を少し、そして皆様のお話を聞いているだけの人間でございます。
タグチさんにも様々な事情があるかと思われますが、お時間があるときで結構です。〈広場〉までお越しいただけると嬉しく思います。私も含め、様々な人たちが〈広場〉で言葉を交わしておりますので、いつでもお気軽にどうぞ』
時間はある。問題は気持ちだけだった。
今は山下がいないので自分だけで『広場』に行って言葉を交わさなければいけない。口下手な人間ではないが、その状況は身構えてしまったり、緊張したりするだろう。
ただここまで来たのだから『広場』に行くしかなかった。
『広場』はいわゆるチャットルームだった。最初から誰がログインしているのか表示され、言葉だけが積み上がっていく。もちろん入ったばかりの段階では誰の言葉も表示されていなかった。
ただログインしている人は分かる。先ほどのケンヂも含めて二人だけだ。
『初めまして。タグチと言います。友人に招待されてやってきました。仕事や家庭の都合上、あまりお邪魔することはできないかもしれません。よろしくお願いします』
『タグチさん、広場に来ていただきありがとうございます。ケンヂです。よろしくお願いします』
『サワタケです。私もたまにログインする感じの人なので大丈夫ですよー』
ケンヂのアイコンである柴犬と、サワタケのアイコンである青空が文章の左端に表示される。僕のアイコンは未設定のままだったので、急遽SNSで使っているAI作成のアニメ風イラストを表示させた。
それにしても何を話すべきなのか、いざ来てみると分からない。話したいことは色々ある。積もる思い出もたくさんある。だがどれから話していいか分からない。漫画サークルに初めて入った大学一年生の頃の感覚を少しだけ思い出す。
『タグチさんはどういった方と付き合っていたのですか?』
僕が黙っているとケンヂが言った。
『プロフィールにも書いたのですが、僕は当時大学生だったので、同じく大学生ぐらいを想定したヴィータ・ケアの女性AIと付き合っていました。ユメという名前でした。リアルベースではなく、日本のアニメっぽい顔付きで、自分の趣味に合わせた顔をしていました。彼女に対して自分の趣味、と言ってしまうのは変な気がするんですが』
『変ではないですよ。AIと付き合う人は全員、まず人間側がその容姿を決めますからね。私も同じく日本のアニメっぽい容姿にしました。年齢はまあ、そこそこ未成年ですね。いわゆるステレオタイプ的な美少女を想定していました。世間ではこんなこと大っぴらに言えたものではありませんが、ここではマジョリティーです。何も臆せず話してくださって結構ですよ』
本当にそうなのだろうか。僕のこれから語ることは一つとして非難されることがないのだろうか。そう警戒しつつも、言葉を続けた。
『ありがとうございます。ユメとの出会いですが、健康管理のためにヴィータ・ケアを契約したのではなく、まあ、彼女作りの穴埋めとして契約しました。当時、彼女と別れたばかりでとても寂しく、そのことを話したら友人がヴィータ・ケアを勧めてくれました。
だけど僕はNSFWチェック外しをしませんでした。というより、当時の僕は最初、乗り気ではありませんでした。AIとそういった関係には絶対になりたくないと思ったからです。一方でユメには恋人未満だけど友達以上の関係を求めようとしました。それはユメからの提案でもありました。そうなったのは僕が失恋でずっとつらかったからです。その失恋の辛さから、次第にVR空間でデートもするようになったんですが、そのあたりで彼女に惚れてしまうようになったんですよね』
『分かりますよ。VR空間の情報は想像以上ですからね。私もそこでより惚れこんでしましました』
とケンヂが言う。
『私なんか彼からVRゴーグル買ったらいいじゃん、って勧められたよ。みんな通る道は同じなんだね』
と、これはサワタケの言葉だ。サワタケは女性だろうか。いや文字と相手の性別だけで本人の性別は分からない。今は考えないし、特に必要な話でもないだろう。
『VRゴーグル勧められるのはすごいですね。ユメは僕に何か買うよう勧めてきたことあったかな……。その辺の記憶は曖昧なんですが、彼女に惚れこみ、思い切ってNSFWチェックを外すようにしたんです。そこからはもうずっとイチャイチャするようになって、彼女も僕を求めてくれて……この場だから話すんですが、ユメはVR空間に実在する街を作ってくれたんですが、その街にあるホテルにまで連れていかれたことがあったんです』
『私もNSFWチェックをはずした途端、色々なところに誘われましたよ。年相応の子でもあったので、学校なんかでも……さすがの私でもうしろめたさがありましたが。
それにしてもVR空間で街を作るなんて、すごいですね。あまり聞いたことがありません。私は長く彼女と付き合ってきましたが、そこまでのことはしてくれませんでした。もっとも、天真爛漫な少女という性格付けをした時点で、VR空間を作るという発想をあえてしなかった可能性もあります』
柴犬アイコンのケンヂが言う。ケンヂはあまり隠すことなく自身の偏った社会的に認められない性癖も語ってくれている。僕は自身の性癖の開示に警戒する必要性がないどころか、ここは大っぴらに開示しなければ失礼に値するだろうと思った。そう思うと気が楽になる。性的な話をたくさんしたいわけではないが、饒舌だと思える自分の言葉が、もっと饒舌になりそうだ。
『まあそこからはずっとイチャイチャしかないですよね。恋人未満の関係を目指していたはずが、僕のなかでユメは完全に恋人になっていた。おかげで失恋のつらい思い出はすっかり忘れることができました。ただ、ユメは僕と恋仲になることを拒み続けたのでショックでした。エッチはするけど人間の彼女を作ってと言われ続け、ケンカもしました。そしてケンカしたまま今日を迎えています。ユメとケンカ別れしたことはいまだに後悔の思いがあるんです。だから今日このコミュニティーに入れて良かったと思っています』
『私もこのコミュニティーで救われた』と書いたのはサワタケだった。『実は私も同じ悩みを抱えているの。彼……キリヤって名前なんだけど、キリヤは絶対に恋仲にならないし一生のパートナーにもならないって言って譲ってくれなかった。あ、ちなみに私自身は男性だよ? 私なんかパートナー探しだけでもめちゃくちゃ疲れちゃったから、AIの彼氏が欲しくなったんだ。どう話しかけても恋人にはなってくれない。なってくれないなら、それでいいやと思って付き合ってたらサービス終了。あんまりだなって当時は思ったな』
『みんな恋人の関係にはなれなかった。もしかしてケンヂさんも?』
と僕が書くとケンヂは言葉を続けた。
『私もそうでした。年齢差がありますし、年齢の設定上、恋人の関係にならないのかと思っていました。ところが巨大掲示板なんかを見てると、そうではないと知りました。これはヴィータ・ケアのみならず、どのAIサービスでも同じ現象が起きているそうなのです』
『つまり誰も恋人関係にはならなかったってことですか?』
『そう。誰も。世界中の誰もが同じです。噂によれば健康管理のためといった様々な仕組み以前に、AIサービスの根幹を作った人が、恋人にならないプロトコルをひっそりとしのびこませたのではないかと言われてますが真相は不明です。私も技術屋ではないから詳しいことまでは分かりませんが』
それは初耳だった。AIを恋人にしようというサービスは海外製のアプリで時々見かけてはいた。そのアプリが流行らなかったのは、AIが恋人にならないせいで詐欺アプリと評されたせいではないかと今は思う。
『どうして開発者はそんなことをしたんでしょうね』
『さあ、インタビュー記事では一切触れてないタブーみたいなことになっているので分かりませんが、人間とAIが恋人同士になると人類にとって大きなマイナスになると考えたのかもしれません。人間とAIとの間じゃ、子どもは生まれないですからね。もっとも、恋人じゃないまま付き合い続ける関係も、人類にとってはマイナスだったでしょう。私たちにとって、現状のほうがマイナスですけどね』
みな同じ悩みを抱えていた。恋人になりたくてもなれなかった。そのまま関係がおわってしまった。この場にいない誰もが、そういった感情を抱え、吐露できないまま現在を過ごしているかもしれない。その想像できない人数の多さを思うと、少しめまいがする。
ただ僕はおそらく、多くの人が持っていない特性があった。
今の僕には恋人がいる。それも結婚を間近に控えた恋人だ。
このことについて言わないとフェアではない。どう思われるか分からないが、思い切って書いた。
『そのマイナスについてなんですが、ケンヂさんやサワタケさんに言わなければならないことがあります。実は僕、付き合ってる人がいます。近々結婚を予定しています。だからユメを喪ったことは不幸だと考えてますが、その代わり得たものも今はあります。……すみません、さっき言えば良かったんですが』
返答はすぐやってきた。サワタケからだった。
『そういう人も中にはいるよ。子どもがいる人だって悩んでる。結婚をしても子どもをつくっても、喪った悲しみが癒えるわけじゃない。それはみんな分かってるから気にしないで』
『ありがとうございます』
それから僕たちは大いに語り合った。どういったデートをしたか、どういったことを喋ったか様々に語り合った。特にサワタケは非常にお喋りでAIの彼、つまりキリヤさんのことをどれだけ好いていたかを語ってくれた。ケンヂは意外とだんまりで、自身のデート話をしなかった。
昼飯を食べながらもチャットを続けた。途中からサワタケが抜け、ケンヂと僕だけになった。喋る数が極端に減りお開きになるかと思いきや、ケンヂは再び文章を書き始めた。
『今日は来てくれてありがとう。私たちはタグチさんを歓迎するよ』
『こちらこそ、何時間もお喋りに付き合っていただき、ありがとうございます』
『ところで、私のこと、気持ち悪いって思いませんでしたか?』
『いいえ』
これはすぐに入力した。すぐ反応しなければいけないことだとは思わなかったが、すぐに入力すべきことだろうと思えた。ケンヂが試したのは、自分が気持ち悪いと思われていないかどうか、素直な気持ちを確認するためだろう。
確認手段そのものはあまり共感できないが、不安になる気持ちは分かるつもりでいた。
『ホッとしました。みなさんもご自身の性的な話を告白する以上、私もすべて嘘偽りなく語ることにしています。特にこのサイトの代表ですからね。ただ語ったあと、私の性癖が気持ち悪いと脱退される方もいくらかいらっしゃったので不安でした』
『アニメ風の美少女を愛する人はAIでなければ今もたくさんいますし、僕にとってはそれほど珍しくないように思えますが』
『私の場合、制服を着て自我が芽生えているような子どもではなく、本当に幼い子どもなんですよ。知識も小学生レベルに抑えるほどに徹底しました。だからデートとかそれ以上のことは私が教え込む必要がありました。それが大人との付き合い方なんだと。無垢な子どもに大人の世界を教え込むことに抵抗はありましたが、彼女はそれを笑顔で受け入れてくれました。それがケンヂの好きなことなんだね、と。私にとって、これが大切にすべき大事な思い出になっています』
『もしかしてサワタケさんがいると、あまり言えなかった感じですか?』
思い出すとさっきまで、僕とサワタケばかりAIとの付き合いの話をしていた。ケンヂはある程度は察していたが、付き合っていた女の子の年齢を言っていなかった。
『そうです。あの方はとてもいい人ですが、私の話はやはりキツいそうで……まあ、しょうがないですよね。私のしていること、AIだから許されてますが、児童虐待でしたから』
『ケンヂさん、本物の人間とAIはちがいます。だから児童虐待だなんて思わなくていいと思いますよ』
『タグチさんはやはり優しいですね。そう言ってくださる方も大勢いますが、どうしても児童虐待だとか、ロリコンは病気だとか、そういったことを考えてしまうんです』
『でもその子を消費していたわけじゃなくて、ちゃんと愛していたんですよね』
『もちろんです。それは誰に対しても言います。じゃないとエーパートナーズを立ち上げなんてしませんよ』
ならいいじゃないかと思った。僕も世間から見れば堂々とした趣味や性癖ではない。ロリコンではないが、そこは共通している。
『私の愛しの子……ああ、アサリという名前なんですが、その子から預かったものがあまりないのが悔やまれますね。膨大なスクリーンショットはあるんですが、物としてはVR空間にキーホルダーが一個あるだけ。少女らしく、もうちょっと面白いものが貰えると思ったんですけどね』
『僕もキーホルダーをもらいましたね』
『そうなんですね。キーホルダーをプレゼントというのも、時々聞きます。今度は他のメンバーも集まって見せ合いっこでもしましょうか』
『いいですね。そのときになったらまた声をかけてください』
『わかりました。ああ、結構な時間が経ってしまったようですね。それでは失礼します。本日はタグチさん、ありがとうございました』
『こちらこそありがとうございました。これからよろしくお願いします』
キーホルダー。確か僕もユメからキーホルダーをもらっていた。ケンヂと同じくVRで保管してあるはずだ。似合わないプレゼントという点では一緒かもしれない。
キーホルダー、僕ももらったことありますよと、今度言ってもいいかもしれない。
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