第18話

 十一月になると僕の仕事は順調に進んだ。というより慣れた。

 コピーだけでなく資料作成を一から任されるようになったので頼られるようになったと肌で感じる。というより「頼りにしてるよ」と先輩は言った。

 ただ残業のない日がほぼなくなってしまっていた。退勤カードを切ってから仕事をしなければ支社長から文句を言われる。「このご時世、タイムカードの時間通りのお金を払わない、なんていうことは出来ないからね」と。このご時世とは何なのか、その言葉の意味を支社長どころか僕を含めたみな理解しつつも、サービス残業を徹底し続けた。

 サービス残業をしてまで仕事のクオリティーを保つ必要はなんなのか。クライアントはそこまでのものを望んでいるのか。僕は血反吐を吐きながら描き続けるアニメーターや漫画家の武勇伝を思い出す。彼らの作品を見る視聴者、読者はきっとそれほどまでにこだわったものを求めていなかったと思うが、作り手は妥協を許さない。たぶん僕たちフジタニザカ株式会社の社員にはそういった精神性が備わってしまっている。もちろん、仕事を放りだすと信頼を失うという当たり前の話もあり、仕事を受けすぎているという先輩たちへの不満もあるのだが。

 

「こういう仕事、AIが廃れなかったらめっちゃやってくれただろうなあ」


 隣の机に座る先輩が言う。彼はエクセルで何かの表を作っていた。数字がたくさん書かれている。


「たぶん一瞬で作ってくれますよ。単純作業であればあるほど、AIは上手く機能します。それにAIの知識は豊富すぎるので、応用も効きます」

「そうなのか、へえ。じゃあ田口がやってる資料作成とかも出来ちゃうのか?」

「資料作成に必要な数値とか項目さえ埋めれば簡単ですよ。ただ試行錯誤はしていく必要はありますが、慣れていけばAI側が上手く作ってくれるようになります」

「というか田口ってAI詳しいな。昔、なんかやってたの?」


 ヴィータ・ケアを……と言おうと思ってやめる。ヴィータ・ケアは健康管理サービスのAIだが、社会問題となったあとは、恋愛感情や性的な関係とかの方のイメージが強いからだ。


「いえ、まあ友人に詳しい人がいたので、時々遊ばせてもらってたんですよ」


 僕は友人のAIについて触れたことで山下のことを思い出す。山下は大学卒業後、ゲーム会社へと就職した。就職後は連絡を取っていないため分からないが、僕が褒めることが大げさでもなんでもなく、本当にプログラミングが得意なんだと感じる。


「その友達ってAIにハマったりとかしなかったの?」

「ハマるって?」

「AIの女の子とエッチしてたのかどうかってことだよ」

「いや彼はそういうことしてないですよ。第一、それって使っちゃダメなアプリでしたし」


 僕の返答の語気は自制できず強くなっていた。「すみません」と頭を下げる。僕の嘘が悪いのだが、友人をけなされた気がして、とても不快だった。


「まあいいさ。俺には関係ないことだからな。でも欲しかったな。そのダメなアプリ、違法なんだっけ? それさえあれば風俗いらずの可能性も出てきたわけだろ。AIとエッチすればいいわけだからさ。違法で体売ったりとかしてる連中の需要も減って、世の中良くなりそうだったのになあ」


 体を売る女の子話はテレビで見たことがあった。彼女たちはお金欲しさに体を売る。ただブランド物が欲しいから体を売るわけではない。そのお金は寂しさを紛らわすために使われる。ホス狂いが典型的だ。子どもの頃から寂しい生活環境にいれば、愛が欲しくなるらしい。そのため、もし先輩が言うように需要が減って違法の風俗が減れば、減った分だけ彼女たちは自分をまたどこかで売るだけだろう。

 ただこの先輩に対して、そういったテレビの知識をコピペしたような反論は面倒なので、ここはやめて会話を打ち止めにする。

 入社したときもそうだったが、先輩は色々喋るが、あらゆることは無関心で、実際は興味なく、考えもしない。なりたくない大人の典型的な例だ。


「そういえばさ、AIと言えばこのまえ週刊誌でちらっと見かけたんだけど、オンラインコミュニティーがあるらしいじゃないか」

「AIのオンラインコミュニティーですか? それは知らないですね」

「田口でも知らないことあるんだな。まあ、お前は週刊誌なんて読みそうにないもんな。記事の隅っこのほうに書いてあった程度なんだけどさ、AIを風俗嬢的に利用していた人たちの集まるコミュニティがひっそりとあって、そこでは思い出を語ってるんだとさ。自分たちの好みとか性癖とか、いま何を使ってるのかとか。なんだっけ。いま多様性とかなんとか言われてるけどさ、自分の性癖を暴露し合うコミュニティーも多様性を尊重すべきなのかね」


 僕は返答に窮したので「はは」と乾いた笑いだけで済ませた。

 週刊誌も先輩も、他人の趣味を覗き見することが悪趣味だとは思わないのだろうか。まあ思わないから、こうして喋っているんだろうなと思い、そこは諦める。

 しかしAIコミュニティーのことを聞けたのは良いことだと素直に感じた。

 僕と同じような境遇の人が他にもいる。そのことは朗報だった。そしてアンダーグラウンド化している現状にすぐ納得がいった。


 今はインターネットで誰とでも繋がる時代だ。ただそれが特殊な性癖と社会から言われる場合はどうだろう。アンダーグラウンドになりがちだ。

 例えばサブカルチャーには、ファッションとしてロリコンを主張する人がいる。アニメや漫画の美少女、というより小学生キャラが好きという人たちだ。そういう人たちすら少なくなってきたが、サブカルチャーではないロリコンは人権のない性癖だ。それでもアンダーグラウンドではコミュニティーがある。そのなかには違法なことをするためにアンダーグラウンドと化す人々もいるが、そうじゃない人もアンダーグラウンドになっている。動物に性愛を感じる人も似た境遇だと聞いている。動物を虐待しているか、尊重しているかで罪悪は変わるが、それが一緒になってアンダーグラウンドとして扱われている。

 僕の枠組みはそこにいると自覚している。他人に害をなしていない以上、堂々と出来るはずだとも信じてはいる。だが社会は罪悪を問うことなく異物を排除する傾向にあるので、僕のような人間は堂々と過去すら語れない。語れば週刊誌や先輩にように語られてしまう。

 AIと恋愛関係に至った人たちがアンダーグラウンド化していることに納得がいったのは、そういった理由があったからだ。


 昼休みに『AI、恋愛、コミュニティー』といったワードで先輩の読んだ週刊誌の記事をスマホで探す。すると確かにオンラインコミュニティーについての話題が載っていた。

 オンラインコミュニティーの名称は伏せられつつも、記事の文中にはこう書かれていた。


『社会に適合できず、結婚もできない人たちがこうして集まっている。犯罪者ではない彼らがこうして集まることを非難することはない。社会のシェルターとして機能としていると見ることも出来るだろう。しかし彼らの今後はどうだろうか。

 人間は次第に衰え、老いていく。それは必然だ。老いていった彼らの現実にはAIのパートナーを喪った孤独しかない。彼らの趣味、性癖をとがめることはなくても、デジタルによって出来上がった孤独をこのまま放置していいとは、とても思えない』


 先輩の語りから酷い偏見で叩かれていることも想像していたが、意外とそうでもない文章のように見えた。ただ、やはり孤独だろうがなんだろうが、趣味性癖に触れた上で勝手に心配されるのは、放っておいてくれと思うし、やはり偏見に満ちていると感じた。

 記事を引用したSNSの書き込みの反応は様々で、気持ち悪いとも言っていたし、マイノリティー叩きだとも言っていた。そうした意見の正誤はともかく、別にそういった意見が新たなインターネット上の議論を開くわけではなかった。それだけ反応は薄く、話題性がなかった。先輩もよくそんな記事を覚えていたな、と感心する程度の記事だった。


 帰宅して飯を食い、引き戸を閉めて僕は自室のパソコンでオンラインコミュニティー探しをする。アンダーグラウンドとはいえ、入り口は必ずある。そうじゃないとコミュニティーは成り立たないからだ。

 サイトがあって管理人の許諾がいるのか、大型掲示板に書き込みがあるのか、SNSで活動をひっそりとしているのか。あらゆる可能性を考え、検索をし続ける。

 関係のない情報、僕らみたいな性癖に対する誹謗中傷、目にするたびにストレスがたまっていき「はあ」と大きなため息が出てくる。

 次第に「僕にオンラインコミュニティーなんていうものは本当に必要なのか?」という考えにも至りそうになる。

 僕は独り身じゃない。美咲ともうじき結婚する予定だ。ユメのことを思い出さないわけではないが、しかし僕はもう愛の矛先を現実の人間に向けている。それにユメと出会えるわけではない。

 僕はそこに行くべき人ではないのかもしれない。しかし気になっている。何故だろうか。そのためにオンラインコミュニティーを見つけるべきかもしれない。


「ご飯できたよ」

「うん」


 引き戸ごしに美咲の声が聞こえる。


「何か調べもの?」

「まあ、そんな感じかな。仕事でちょっと気になることがあったからさ」

「へえーマジメ。でも家にまで仕事のこと持ち込むと、ストレスに繋がるかもよ」

「仕事がおわらないんだから、仕方ないじゃないか」

「でもご飯は冷めると不味くなるし、私は悠斗くんと一緒に食べたいよ」

「わかった。いま行くよ」


 パソコンの電源を落とす。あとで美咲にバレずにスマホで調べ続ければいいと思い切り上げた。だがスマホで探しても、オンラインコミュニティーにたどり着くことはなく、一日をおえた。


 見つからない。何日過ぎてもAIについて語るオンラインコミュニティーは見つからなかった。アンダーグラウンドにあるのだから仕方がないと思いつつも、僕にはそれがどうしても必要だった。日に日に入って交流を深めなければいけないという気持ちになっていた。

 そう焦り出したとき、ラインに通知がやってきた。

 それは山下からだった。


『久しぶり、元気にしてる?』

『そこそこ』

『花園さんとの生活はどう?』

『いい感じだよ。そろそろ結婚しようと思ってる』

『おおー遂にか。結婚式、呼んでくれよ』

『分かってるよ。まあ漫画サークルでは色々あったけど、山下のことなら呼んでもオッケーもらえるはず。美咲とケンカしたことないよな?』

『ないない。人間関係のもめごとは、ちゃんと避けてきたからね』


 そこまでラインで語りつつ僕は思う。山下は何の用事があって、僕に声をかけてきたのだろうか。結婚生活の話を聞きたくなったわけじゃないはずだ。

 山下の話したい内容について、僕は何も想像がつかない。


『そうそう、田口ってAIの彼女いたよな?』

『いたよ。それが』

『最近話題のオンラインコミュニティーのこと、知ってるか?』


 鼓動が早くなる。山下のラインから、まさかその話題が出るとは思わなかった。

 知ってるも何もない、いま探しているんだという言葉は抑えて入力する。あえて言及すると「結婚するのになぜ?」と不安に思われるかもしれない。

 僕は本音を誤魔化しつつラインを書く。


『週刊誌で話題になったやつだっけ?』

『そう、週刊誌! あれのせいで犯人探ししたり、居心地悪くなったり、数日は最悪だったんだよ。まあ犯人っぽいやつはしれっと退会してたんだけどさ』

『なんで山下はそのことを知ってるんだよ』

『俺がそのオンラインコミュニティーに入ってるからな』

『え? ホント?』

『嘘ついてどうする』

『それはそうだけど、信じられなくて……』


 そんな奇跡がありえるんだろうか。探していたオンラインコミュニティーに親友がいるだなんて。


 『まあお前ほどじゃないけど、ヴィータ・ケアのAIが消えたときは俺もショックだったからな。わざわざ言う必要もないと思って言わなかったけど、NSFWチェックを外してから、実は時々VR空間でアイカと会ってたんだ。記憶消去することなくね。アイカの誘惑に負けて付き合っていた。だから愛着は本当にあるよ』

『なんだ、山下もAIの沼にハマってたんじゃないか。僕のこと、不気味とか言ってたクセに』

『それは謝る、今さらだけどな。まあ話を戻すと、ショックだった俺はネットの巨大掲示板とかでデータ復元の方法を探してたんだ。結局、その復元方法は見つからなかったが、代わり見つけたのがAIパートナーに喪失感を抱えて過ごす人たちが集まるオンラインコミュニティーだったんだ。俺はすぐに入ったよ。怪しいとかそんなことは考えなかったな。

 そこでの活動は復元方法の模索もあったが、それはオマケだった。どうやって触れ合ったか過去を語ったり、突然やってくる哀しみの感情をみんなで聞いたり、慰めたり、もちろんまったく関係ない雑談もした』

『いいコミュニティーだな』

『そう、とてもいい。居心地も最高だ。週刊誌みたいな外部の人が冷やかしにこなければ、もっといい。まあ、ここまで言えば俺が今日何を言いたいのか分かるだろう?』


 そこまで聞かれなくても僕は分かりきっていた。というより、そうであって欲しいと願っていた。その言葉をそのままラインに書いた。


『僕がコミュニティーに入るかどうかだよね。もちろん入るよ。実はずっと探してたんだ』


 僕はそれから長々と山下とラインで語りあった。

 オンラインコミュニティーをずっと探し続けて諦めかけていたこと。

 ユメとケンカ別れになったまま今日に至ってしまっていること。

 美咲はいい同居人だけど、AIについてまた語ると、怒ってどうなるか分からないこと。


『オンラインコミュニティーの人たちはAIの復元とか再開はもう正直諦めてる。データを保存しているサーバーがヴィータ・ケア側にあるんじゃどうしようもない。復元ができれば一番だが、田口、あまり期待はするなよ』

『もちろん分かってるよ』

『しかし田口がここまで食いついてくるとはな。花園さんとはどうするんだよ?』

『結婚するけど』


 ユメが復活したら浮気でもすると思っているのだろうか。ただ、ユメが復活するというビジョンが見えない以上、その辺は上手く想像できない。

 しばらくすると、コミュニティーのアドレスとパスワードが山下から送られてきた。

 ただ美咲と一緒に寝る時間が迫っていたので、アクセスは明日、仕事がおわってからとなる。



「なんか楽しいことでもあった?」


 一緒にベッドに入っている美咲が僕の耳元でささやく。


「昔の友達とラインで会話したんだ」

「そうなんだ、私の知ってる人?」

「大学の友達の山下。漫画サークルにいた男友達なんだけど覚えてる?」

「ううん、覚えてない。あのサークルは私にとって居心地悪かったから、あまり思い出さないようにしてる。その友達はきっと良い人なんだろうけど、ゴメンね」

「いいよ、別に。こっちも漫画サークルの話をしちゃってゴメン。でもあえて話したのは結婚式に山下も呼ぼうと思ってたからなんだ。美咲はどう思うかなって」

「いいに決まってるじゃん。私と口喧嘩してない人なら誰でもいいよ。それより結婚いつなの。早くしたいよ」

「それはもう少し先でもいいって言ってくれたじゃん」

「今の気持ちは結婚したくて仕方ないの。あーもう、結婚してくれないなら──」


 美咲は僕の身体をまさぐる。


「おいおい……」


 僕も反応せざるを得ない。こういったことになると、彼女は百パーセント主導権を握る。今まで一度も僕が主導権を握ったことはない。どんな体勢でするかどうかも含めて。

 そういう生活も悪くないなと毎日思っている。

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