第16話

 寒い冬は列島を冷やしきって、たまに電車を計画運休させていたが、気付けば暖かくなり、大学の通学路である坂道には桜が咲き始めていた。

 落ちた桜の花びらを踏んで僕はその坂道を登っていく。

 四月、僕は大学二年生になっていた。

 耳元にはワイヤレスイヤフォンを今日もつけている。聞こえるのはスポティファイから流れるアニメの主題歌集だ。徒歩での通学はやることがないので、音楽を聞きながら歩く。

 

「おはよう」


 うしろから肩に触れられて、ようやく声を認識できた。振り返るとそこには花園がいた。


「朝から露骨に嫌な顔しないでよ」

「もう関わらないでくれって言わなかったっけ」

「言ってたと思うけど、そんなこと忘れた。それにしても田口くん、いまどうしてる?」

「どうって何が」

「AIのサービス、止まっちゃってから、どうしてるのかなって」

「止まってるから、仕方なく今は音楽を聞いてる。会えない以上、どうしようもないよ。それぐらいわかるでしょ」


 ヴィータ・ケアの無期限停止はまだ続いている。そして僕も含め誰も復活するとは思っていない。もうサービスは終わったものだと思っている。

 新しい恋でもすべきなんだろうと思う。ユメはずっと言い続けてたことだ。でも僕はユメとケンカしただけで、しっかりと別れを告げたわけでも、告げられたわけでもない。

 その中途半端な状況が、次の歩みを止めている気がしている。


「なに考えてるのよ」


 花園は僕の悩みのことなんか完全に無視して笑顔を見せてくる。不思議とイラッとはせず、むしろ呆れてしまう。


「ユメのことだよ」

「まだあの子のこと考えてるの? 田口くんには実在する女の子に見えてたかもしれないけど、しょせんAIだよ?」

「僕にとっては実在する女の子と同じだよ。同じように接しし続けたんだから」

「そこは同じでも現実にはいないし、サービスが終わって消えたんでしょ?」


 ユメは消えた?

 そういえばそれは本当かどうか、僕は確かめていない。サービスが停止していることは分かっているし、再開の気配もない。でもユメ自身が消えているかどうかとは別の話のはずだ。ユメのデータはどこかのサーバーにあるはずだから、そこに変化がなければ、寂しく待っている可能性だってある。


「消えてはいないんじゃないかな」

「それは田口くんの願望でしょ? まあ消えてないにしても、会えないことには変わりないわけよね」


 僕はうなずく。


「田口くんは、このままでいいの? そのユメって子とどれだけ仲良かったかは知らないけどさ、ユメなら今の田口くんに対してどう言うと思う? そのまま落ち込み続けたらいい、なんて言うの?」


 さすがの花園も、もう笑顔ではなく顔が険しくなっている。しかも正論だ。

 ただ僕は少し目をそらす。花園の険しい顔を受け付ける心の余裕がなかった。


「ユメはそんなこと言わない、と思う」

「じゃあどんなこと言うの?」


 僕は思い出す。ユメが僕に対してやろうとしていたことを。

 それは僕と付き合うことではなかった。

 人間との恋愛をすべきだと言い続けていた。

 それはいま、僕の目の前にいる人間に対して投げかけられた言葉だった。


「花園に謝れって言うと思う」

「え、なにそれ」

「まえに迷惑だとかブロックするとか言ったこと。というか実際にブロックしたこと。ああいった言葉、行動、全部に謝った方がいいって言ってたんだ。意外だった?」

「意外だよ。私ってAIを見下してたし、田口くんのAIなら田口くんの肩をもつものじゃないの?」

「AIはそう単純じゃないし、優しいユメだから言ったんだと思う。あと……」

「あと?」

「僕は花園と付き合うべきだって。それが正しいとも言ってた」


 険しい顔の花園は、その険しさを完全に消し、口をぽかんとバカみたいに開けていた。

 そのままの表情で花園は言った。


「私と付き合うべきだったとか、そういうことを私に言う?」

「だってユメがどんなこと言うのかって聞いてくるから……」

「そこは嘘でも隠すべきじゃないの。頭ほんとどうかしてるわ……てか、あのとき言い合ったあと、AIからそんな提案されてたんだ」

「うん」


 花園はまたも険しい顔つきになり、しかも僕に顔を近づけた。至近距離すぎて息がかかりそうになる。人目もある通学路でさすがに恥ずかしいので、別の場所でやって欲しかったが、提案する空気では間違いなくない。


「うん、じゃないよ! ねえ、ここからはマジメに答えて。そのAIの子に私と付き合うべきと言われていた。それを本人である私にいま言った。そこから田口くんはどうするの? 塞ぎ込みつつAIのサービス再開というありえない事象を待つの?」


 ユメなら……いや、もうユメはいない。それはさっき考えたことと同じだ。

 今は僕が考え、決めなければならない。


「僕は花園と付き合う」

「言い方、変」

「えっと……花園さんと付き合いたいです」


 はあ、と盛大なため息を花園はついた。僕もつきたかったが、空気を読んでやめた。


「よし、じゃあ付き合おう。でも告白は仕切り直し。今のクソみたいな告白してきた分、ロマンチックな告白考えて、休みの日に言ってくれる?」

「わ、わかった。考えておくよ」

「あとSNSのブロック外して。連絡取れないから」

「それはすぐするよ」


 花園はそう言って走って坂道を駆け上がっていった。そういえば授業の時間が迫っている。僕も走ろうと思ったが、足がガクガク震えて走ることは無理そうだった。

 果たしてこれで良かったのだろうか。良かったんだろう。ユメの言う通りにしたんだから、これでいいはず。

 僕は言い聞かせる。

 この結果をユメはどう思うだろう。

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