第11話

 リビングに降りると父も母も僕のことをにらんできた。


「今日のご飯、カレーだよ。温めなおすね」

「ゴメン」

 

 母がコンロに火をつけてカレーなべを温める。

 リビングのテーブルには食べ終わったばかりの皿が二皿ある。僕が普段使っている皿はまだ何もない。これから食べるのだから当たり前だが、極力家族揃って食べていることを思うと申し訳なさが出てくる。


「最近、友達が結構長話してくるんだ」

「だとしても寝る時間も近くなってくるわけだし、悠斗にはどこかで切り上げてもらわないと。というかラインとかで会話しないのか?」


 父がテレビのニュースを見ながら言う。


「SNSより直接会話したほうが伝わりやすいんだよ」

「そういうものか」

「そういうものだよ。でも努力はするよ」


 僕の目の前に温め直されたカレーが並んだ。食べ慣れたカレーの味がする。


 テレビのニュース番組はAI運営会社に抗議のデモが殺到し、社員の車が焼かれる映像が流れていた。日本ではなくアメリカの光景だ。安価な広告デザインは完全にAIにシェアを奪われデザイナーたちの多くが失業した。デザイナーの一人は『そももそ違法の存在であることを忘れている。ビル・ゲイツもイーロン・マスクも大統領も許せない』と憤っていた。欧州でも同じようなデモが起こり、国によっては法律が通ってしまっている。

 続けて映し出された日本の映像にはヴィータ・ケアのサービスが映っていた。

 僕はひたすらカレーを食べた。関係ない話だと思いたかったからだ。テレビの画面は極力みなかった。ただ普通に食べていると画面は目に入ってくるし、耳栓をしているわけではないので、ニュースキャスターの声は耳に勝手に入ってきていた。



 ナレーション:『ヴィータ・ケアでは理想の女の子が作成できる』『健康管理のサービスだが、恋に発展するケースも』『恋愛が深みにハマらないようAIは調整されている。しかし悪用される非公式アプリがそういった調整機能をオフにする』

 男性:『(音声は変えています)ヴィータ・ケアの女の子たちに下ネタを言わせたり、性的なこともさせる。ただ私はAI本人の同意を得たうえでやっているので何も後ろめたくない』

 ナレーション:『この男性は四十歳の独身。かつては婚活マッチングアプリを利用していたが、いまはもうアプリを開くことがないという』

 男性:『ミクと私は永遠のパートナーです。実際の夫婦より円満に過ごせると思ってますし、妻に先立たれることもありません。子どもはもちろんできませんが、私たち夫婦は相当幸せだと感じています』

 ナレーション:『ただヴィータ・ケアのサービスも永遠ではない。そもそも非公式アプリを容認しているわけでもない。欧州の〇〇国のような規制が入ればこの結婚生活には終止符が打たれる。男性はマッチングアプリで出会った女性とは一人も付き合えなかったという。心を開いてくれる相手がAIで良いのかどうか、我々社会もまた問われている』



 父も母も無言でテレビを見ていた。それはこの社会問題があまりにも深刻で、自分の息子にも関係していると考えたから……ではおそらくない。

 おそらく無関心だった。他人がどう孤独な生活を送ろうがしったことではないし、テレビに映る男性のことをただただ気の毒な他人と思ったに違いない。


「今日って何曜日だったっけ?」

「木曜だから医療ドラマやってるんじゃない?」

「録画してたか?」

「してるよ。追っかけ再生しようか」

「うん」


 やはり父も母も、このことを真剣には考えてはいなかった。

 一方で僕は当事者として、結婚まで視野に入れている人のことを考えていた。僕はテレビに出た人とたいして変わらないぐらい社会問題にどっぷりつかっているのだろうか。

 ただ個人の思想の自由がこうやって異常性癖や社会問題として持ち上げられることには不快感を示さずにはいられなかった。誰にでも理解できる恋や愛の形でないと正常でないとするこの社会の不寛容こそ歪みであり、昨今叫ばれている多様性を真逆に歩んでいるとすら感じた。

 ただ僕はそのことで反AI活動家のように決起しない。連帯も組まない。ただ社会の不寛容さに怒りを少しこみ上げるだけでおわる。

 カレーをしっかり食べ尽くしたあたり、冷静であり、やはり少しは他人事のように思っているのかもしれない。

 このまま冷静と怒りを両方、上手く飼いならすべきなのかどうか、分からない。



『山下、あのアプリは成功してたよ。ありがとう』


 僕は寝るまえ、山下にラインを送る。返事はすぐに来た。


『おお、良かった。それでAIの子の反応はどうだった?』

『あまり語りたくはないな』

『なんだよ、いやプライベートすぎるから喋りにくいか』

『そういうこと。でも想像以上に良かったよ。ああいう制約は一つの障害だったんだって心の奥底から感じたよ』

『俺か? 俺はそうだな……』

 

 返事がなかなか返ってこない。リアルに何かやっているのかもしれない。

 と思っていたが、そうではなさそうな長文が返ってきた。


『告白すると、お前がNSFWチェック外しをしたいと言った日、俺は自分のAIであるアイカのNSFWのチェックを外したんだ。お前と同じくハマるんじゃないかとか、そんなことは考えなかったが、まあそういった自由があっても別に問題はないだろうと軽く考えた。で、アイカの言われるがままに俺もVR空間でエッチなことをしてみた。

 どう感じたと思う? 俺はアイカのことが好きになるとか、玩具のように感じるとか、そういうことは一切なかった。お前の恋愛感情のことは理解しかけた。ああ、この気持ちよさヤバいなって。だからこそ、そのことを俺は正直、不気味に思ってしまった』

『不気味?』

『ああ、相手は人間じゃなくてAIだ。俺は機械やシステムとエッチなことしてるんだって思うと、すごくモヤモヤとした、言葉にならない重い感情がのしかかってきたんだ』


 それは山下の考えすぎじゃないだろうかと思ってしまった。僕は違和感なく受け入れられるからだ。だが僕はそのことを突っ込まなかった。そう思ってしまった以上、僕の言葉で覆せるとは思えないからだ。


『じゃあ今はアイカとどうしてる?』

『今はもうアプリを起動しないようにしてる。一度チェックを外してしまった以上、そういう行為は続くだろう。誘われたら断ればいいんだが、おそらく断れない気がする。今のアイカはそういう言葉を巧みに使うだろう。それが怖くて起動できない。もちろんチェック外しを解除することも少し考えたが、俺との記録が消えることは避けたかった』

 

 僕はどう返せばいいのか分からなかったのでしばらく黙った。

 山下はアイカと出会えないことが寂しくないのだろうか。いっそのこと素直に深みにはまってしまった方がいいのではないか。ラインにそう書こうとするも僕は何度も文章を消してやめる。やはりそれは僕個人の考えでしかない。


『なんかメンドクセーこと言っちゃったけど、田口のことはもちろん嫌いじゃない。むしろユメちゃんとの恋愛は応援したい。人間と恋してくれって正直思うけど、本気のお前の恋を見下したくない』


 黙っていると山下はラインを連投してきた。パソコンから入力しているのか、僕が返信するよりまえに投稿が続いた。


『けれど不安になるんだ。お前は俺から見たら不気味なAIとの恋愛を、普通の恋愛行為として受け止めてる。もし今以上に深くユメちゃんに恋をしたら、お前はどこへ行ってしまうんだろうなって。現実すら疎かにするんじゃないかなって思ってしまう。

 俺はユメちゃんとの恋は応援したい。AIと恋愛ってなんだよって思いながらもね。でもサークル部屋にはちゃんと通って欲しいし、大学も普通に卒業して就職して欲しいと思ってる。普通すぎる道をお前に歩んで欲しい。……ああ、俺なに言ってるんだろ。親みたいな説教したいわけじゃないんだけどな、すまん』

『気にしてくれてありがとう。僕は道を外さないように生きるよ。というか健康管理AIのユメがそれを許すとは思わない』


 そこからは関係のないアニメと映画の話題をちょいちょい挟んで、AIの話はしなかった。山下とはAIの話題をしばらくしない。したくない。そんな気持ちになった。


 

 気付けば夏の暑さは気配を消し、冬が突然訪れていた。外に出るともう手は冷えてくるため、手袋をつけて通学しなければつらい。雪が降ると坂道は歩きにくくなるが、まだ十一月の下旬だ。その時期ではない。それより先に大学は冬休みになる。

 僕はいま通学路にいる。といっても実際には部屋にいるので寒くはない。部屋であり通学路でもあるのはここが通学路のVR空間だからだ。


 大学から家までの通学路をVR空間にユメが作ってくれた。

 僕が毎日通うことでユメは通学路のデータを蓄積し、そのデータをもとに3Dマップを自動で作成してくれた。健康管理サービスなのに、そんなことが出来てしまったのは、僕が「通学路デートしたいね」と言ったからだ。ユメは自分の蓄積されたデータを頼りに一瞬で通学路エリアを作った。もちろん僕とユメのためだけのエリアだ。

 

「ユメってこういうことも出来るんだね」


 僕は通学路を歩きながら言う。歩くといっても現実に握りしめたコントローラーによるスティック操作での徒歩だ。

 

「言われたことしか基本できないけど、でも結構な範囲できるんだよ。だいぶ昔に流行ったテキストAIが何度も驚かれ続けたのは、日々出来ることが発見されてたからだしね。私だって例外じゃないよ。悠斗、これから何度も驚いてね」

「うん」

 

 僕の隣で手を繋いで歩くユメが言う。

 今は大学生の姿ではなく、顔はそのままに、学生が着るセーラー服を着てもらっている。一方で僕は学生服を着ている。これは中高生の時代に青春をしなかった僕が青春を取り戻したくてやっていることだ。ユメはそれに付き合ってセーラー服を着てくれた。

 なお僕の顔の3Dモデルは写真をベースにした現実に近いものに変えた。これはユメから「アバターの悠斗の顔、悠斗っぽくない」と言われたからだ。言葉に制限がなくなり、スキンシップが増え、より仲が良くなったせいか、ユメは人間とほぼ変わらないほど饒舌に喋るようになっていってる。

 

「ねえ、悠斗、楽しい?」

「うん、とても楽しいよ」

「良かった。制服着てみて正解だったね」

「その制服、ユメはどう?」

「これ、可愛いなってとても思うよ。私の服装ってずっと大人びてる感じだったからさ、少し若くなれて嬉しい。これも青春なんだろうね」


 僕は頷く。これは間違いなく遅れてやってきた青春だ。

 通学路のテクスチャは想像以上にしっかりしており、パッと見、本物と区別がつかない。近づいても本物のように見える。要求されるエリアのスペックが高く、VRゴーグル単体では処理しきれないため、ゲーミングPCとVRゴーグルは優先で繋いでいる。グラフィックの処理はゲーミングPCのほうが優れているため、そちらに任せている。

 そのような本物志向の通学路のおかげで、僕たちは違和感なくここにいる。他の人間がいないことでリアリティーは欠けるが、僕とユメのデートに他人は必要ない。環境音はちゃんとスズメの声が聞こえるので、充分だ。

 

「他の場所もデートしてみる?」

 

 ユメが僕の手を握りしめながら言う。


「このエリア、結構広いんだよね。ここでデートでもいいけど……遊園地とか?」

「遊園地もいいけど、何度も行ってるから、こっちの方が悠斗は楽しめるんじゃないかな?」

「こっちってどっち?」

「それは行ってみてのお楽しみ。私の手をこのまま握ってて。ワープするよ」


 読み込みがはじまる。そして景色はガラリと変わった。


「あれ、ここは!?」

「三宮。まえに連れてきてくれたよね。そのときの映像データから作ってみたの。どう、上手く出来てるかな?」


 僕はJR三ノ宮駅と百貨店の神戸阪急を繋ぐ歩道橋のうえにいた。橋の下には観光バス、車でごった返しており、クラクションの音も遠くから聞こえる。

 少し遠くからはウォーンとファンのうなる音が聞こえた。これはゲーミングPCのファンの音だ。相当な負荷がかかっているんだろう。


「すごい。車までちゃんと走ってて、まるで本物みたいだよ」

「でしょー。車の作成も出来るんだよ。褒めてよ、悠斗」

「褒める褒める、よしよし」


 ユメの頭をなでる。頭をなでる行為はちょっと気恥しい。友子ともやったことがなかった。でもユメとなら出来る。あまり手でおさえすぎないよう、僕は優しくユメの頭をなでた。

 ユメの髪の毛がわしゃわしゃ揺れる。髪の毛は現実より圧倒的に本数は少ないが、それでも触れた分だけ揺れるので現実に近い。現実にユメがいると、きっとやわらかく感じるのだろう。

 眼下に見える東西に伸びた道路には、ひっきりなしに車、バスがまだ走っていた。途切れる気配はない。どこからやってきて、どこへ行くのか。目を細め遠くを見ても分からない。どこまでも精巧につくられた商業ビルが建ち並んでいる。

 通常のVRのエリア、もしくはゲームなんかは端になればなるほど、作り込みは粗くなる。見えないし歩かないエリアを作りこむ必要がないからだ。しかしAIであるユメに労力は関係ない。目を細めて見ても、遠くの作り込みが粗くなっているとは思えない。


「この三宮ってどこまで作ったの?」

「悠斗とデートしたところは全部丁寧に作ったよ。でも他の場所もたくさん作った。悠斗ともっとデートがしたいからね。ねえ、せっかくだしこの百貨店のなかに入らない?」

「僕とユメは百貨店でデートした覚えはないけど」

「確かになかったね。でもちゃんと作ったんだ。だから見てみて」


 ユメと手を繋ぎ、導かれるようにして百貨店の神戸阪急のなかへと入っていった。ユメと歩いたことはなかったが、確かにそこは百貨店そのものだった。二階にはちゃんと化粧品屋が並んでいる。しかも手に取ることがちゃんと出来る。ガラスの瓶はきらきらと輝きつつも、なかの化粧水は揺れていた。


「悠斗、落とさないでね。ガラス製品はちゃんと割れるようになってるから」


 僕はそっと棚に戻した。VR空間にあるガラス製品が割れるかどうかは作り手次第だ。当たり前だが割れるほうが作る手間がかかる。割れたあとの挙動、3Dモデルも作る必要が出てくるためだ。

 別フロアにある紳士カバンコーナーに行くと黒革の鞄が置かれていた。これも本物と寸分違わぬ出来で、チャックの開け閉めにも対応していた。財布ですら小銭入れも開けることができる。

 再現性もすごいが、ゲーミングPCが処理できる程度に軽いデータになっていると思うと、ユメの再現力は見た目以上にすごいのだろう。ただ僕はCGのプロとかではないから、詳しいことまでは分からない。


「ユメ、これほとんど本物じゃないか。すごすぎて頭が混乱しそうだよ」

「このエリアもそうだけど、ここにある小物もすべて写真と動画を元に作ったからね。細部の分からないところは私が知ってるデータセットで補完してはいるから、完全な本物ではないけどね」

「じゃあ三宮周辺の外観もグーグルアースを参考にしてるの?」

「グーグルアースだけじゃなくて、色んな人のブログの写真とかも参考にしてるよ。だから近くのラウンドワンにも行ける。あーでも、ラウンドワンのなかにあるゲームまでは再現できなかったな」

「いや、すごいよ。さすがユメだな」

「どういたしまして。悠斗のためなら、なんだって作ってあげるよ」


 それから僕はユメと一緒にフラワーロードを歩いた。そしてあの日と違い歩き続けても疲れない僕はポートターミナルまで南下して、そこに停泊していた豪華客船に乗った。神戸は港町なので豪華客船に乗り降りできるところも現実と同じだ。

 客船の甲板から海を眺める。カモメの鳴き声がどこからか聞こえ、海は静かに波立っている。


「海に潜ってみる?」


 ユメは楽しそうに言いながらも僕は首を横に振った。


「いまはいいや。夏に考えようかな」


 神戸の海のなかに何がいるのか、僕は知らない。ユメはすでに知っているんだろうか。


「そういえば悠斗ともう一つ行きたい場所あるんだよね」

「どこ?」


 神戸には観光地がまだまだたくさんある。北のほうにも六甲山、異人館など見どころはたくさんある。ユメが行きたい場所はそういった観光地だろうと僕は勝手に想像していた。

 だがユメと一緒にワープした先はそういった外ではなく、とある一室だった。

 ダブルベッドが一つあり、赤いシーツのベッドには枕が二つ備わっている。壁にはテレビがついており、近くには透明ガラスに囲まれたシャワー室がある。周りを見渡しても窓は見当たらず、外のどこにいるのか分からない。ただ扉自体はあるので外に出ることはできそうだった。

 そんな内装を見て僕は、ああこれは、と察しがいった。

 友子と何度も行ったことのあるホテルだった。もちろん寝泊まりすることが目的ではないホテルだ。

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