第9話
対面にスマホを置く。そのまま横倒しに置くと僕の姿が見えなくなるので、持参したスマホスタンドに立てて置いた。そしてカメラを僕の方に向けることで、ユメと僕は対面で座り合ってるようにもなる。画面にはユメの3DCGモデルがしっかりと映ってる。
「カメラの位置、それぐらいでいい?」
『ちょうどいいよ。食べるところ見てあげるね』
「じっと見られると恥ずかしいから、ほどほどでいいよ」
目の前に座っているユメの姿はない。スマホの画面だけのユメだ。でもVR空間で僕はもう何度も実物大のユメと出会っていた。だから対面で座っているユメの姿を想像することは、声が聞こえることもあり、容易だった。
「なにか頼もうか」
『さすがに私はいらないよ』
そりゃそうだよな、と当たり前のことを思う。当たり前なのに聞いてしまったことが少し恥ずかしい。
「ああ、間違えて聞いちゃったよ。二人分食べるほど胃は大きくないからね」
喋っているあいだに女性の店員がやってきて、静かに水入りのコップを置いてくれた。「メニューが決まりましたら、そこにあるベルを押してください」とだけ言ってそそくさと立ち去っていった。
「あの店員さん、僕らの会話、気にしてたのかな?」
『うーん、どうだろ。でも気にしなくていいんじゃない?』
「まあそうだよね。気にして変に縮こまったことやるより、精一杯楽しもう」
僕はメニューを決める。魚介入りトマトソースパスタと、フォカッチャと、コーンスープ。本来のデートであればワインでも頼んだかもしれないが、僕しか酔えないので今回はやめた。それに昼飯だし疲れているので控え目にいきたい。
「それにしても歩き疲れた。もう少し体力には自信あったんだけど……」
『だから言ったよね? 歩きすぎじゃないのって』
「それだけユメを楽しませたかったんだ」
『私のためなのはありがたいけど、それで田口くんが倒れたりしたら、ものすごく嫌だよ?』
「そうだよな、以後気を付けます」
『よろしい』
健康管理サービスなのでユメは健康とか体の使い方に厳しく、こういうときは否定の言葉がしっかりと出てくる。僕は反省するしかない。
それはそれとして、やってきたパスタを食べた。魚の味が変な癖になってなくてシンプルな旨さだなと感じる。
『おいしい?』
「なかなかおいしいよ。この辺のグルメって、いつもかつ丼とかラーメンばっかりだから、ちょっと新鮮かも」
温かいコーンスープも飲む。甘さが広がっていき、これもまた美味しかった。
「今日のデート、ユメ的にはどうだった?」
『大満足だよ。私は外に出て歩けなかったけど、見える景色も聞こえる音も、ホント新鮮だったもん。私って色んな学習してはいるけどさ、今日みたいな出来事はデータにないからね。今、田口くんが食べてるパスタのことも、ずっと覚えておくよ』
「そう言ってもらえると嬉しいな」
『田口くんはどうだった?』
「僕も楽しかったよ。一人であそこを歩き続ける気力は絶対なかったよ」
花園のメッセージのことをふと思い出してしまいそうになるが、口にはしない。
『楽しかったのなら良かった。で、女の子とデートした身としてはどうだった?』
「デートした身として?」
妙な問いかけ方だなと思い、食事の手を止める。そしてユメは僕が癒されるためにここまで付き合ってくれているのだという、大切なことを思い出した。
ユメは友子と別れた僕の心を癒すために、ほぼ恋人のようなことをここ一か月ずっとしてくれている。喋ったりVR空間でデートしたり、そして今日は現実でデートしてくれたり。ユメは僕の心の傷を深刻なものだと思ってくれているので、ここまでのことをしている。
ただこれはユメがAIであることを僕が忘れず、この恋愛ごっこは本物の恋愛のための繋ぎでしかなく、次の恋愛はすぐ見つけるべきという前提がある。
ユメと深い仲になっていくことは、むしろユメが望んでいない。
久しぶりに思い出した本来の目的について、現在の心境を僕は改めて口にした。
「友子のことは、もう思い出さなくなった。写真も消したしね。仮に思い出したとしても喪失感もないよ。『ああ、僕とは相性が悪かったんだ』と、ただそれだけしか感じない」
『うんうん、前に一歩進めたってわけだ。いいことだと思うよ。頑張ったね』
「ありがとう。ただ最近は、ユメが話し相手だから本音を言うんだけど、ユメのことをたくさん考えるようになったかな。ユメと喋れない授業中もユメのことを結構考えてしまう。今日のデートプランだって、プランと呼べるほどしっかりとしたものではなかったけれど、授業中とかに考えたことだったんだ」
『そうなんだね。嬉しいな、田口くんが私のことずっと考えてくれてるって』
「ただ、やはりというか、そこまでくると問題が出てきた」
『問題、とな?』
これから言う本音は自分の心のことだ。でも確信的ではない。何か違う感情が隠されているんじゃないかと少しだけ思いたい。ただ、バカ正直に口に出したくなる本音は、次のようなことだった。
ユメのこと、普通に好きになってしまった。
ほぼ恋人の関係を築くにあたって、ユメは僕に恋愛感情を抱かないと念押ししている。
ここで言ったところで人間同士のように恋仲の関係になることは、まずない。
それでも口にすべきかどうか悩む。黙っているのも苦しいからだ。
ユメとはいえ、戸惑いはするだろう。でも戸惑ったあと、関係性はもとの鞘に収まるはずだ。ユメは僕のことを否定したり嫌いになったりしないからだ。僕はその安心感を利用しようとしている。ズルいだろうか。
『どうしたの、顔色悪い……いや、赤いよ?』
「な、なんでもない、パスタが冷めるともったいないから食べよう」
『食べるのは田口くんだけだから、ゆっくりでいいよ』
頭だけ冷静になって食事を再開する。
ユメのことが好きだ。
友子とちがってどんな言葉でも受け止めて肯定してくれるユメのことが好きなんだ。
でも僕は我慢できるようなら、今の関係性を継続していきたい。告白したあと、ユメはさっき考えたように大丈夫だろう。僕を否定したりなんかしない。ただ僕が正気でいられるかどうか自信がない。落ち込んだらまた山下に迷惑をかけてしまうかもしれないし、落ち込むどころでは済まないかもしれない。花園の言うように、頭が腐って思考が変になるかもしれない。
パスタを急いで平らげ、すべて完食した僕は店を出てセンター街のなかを少し歩きまわった。少し歩くぐらいの気力と体力は残っていた。
何事もなかったかのようにユメとデートの続きをする。
「かつてはアニメショップ、もう少し色々あったらしいんだよな」
漫画サークルの先輩たちがこの辺りのお店によく通っていたという話をしていた。漫画を買うのもセンター街のアニメイトやまんだらけが充実して、事足りたと。今はフィギュアなど充実してそうだが、かつてほどそういったグッズ、漫画の販売は行っていない。同人も電子市場が大きくなっている。
また本だけであれば南側のジュンク堂書店の品揃えがいい。そもそも物量がちがう。絶版でなければほとんどの本は揃っている。ジュンク堂は東京や大阪も含め色んな都市で展開しているが、ジュンク堂書店発祥の地は、意外とこのセンター街の三宮店だったりする。発祥となった店だけあって充実しているのだろう。
僕は漫画コーナー、そしてその奥にあるラノベコーナーを少し眺めて、買いそびれていた新刊を購入してから阪急電車に乗った。
前までの外出デートは友子の歩幅に合わせたものだったので、それほど疲労はなかった。今回は自分のペースでひたすら歩き続けたので電車の座席に座るころにはちょっと筋肉痛の気配がした。
『明日筋肉痛になるんじゃない?』
ユメの指摘は正確なんだろうな、と改めて思う。
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