第8話
次の日、僕は胸ポケットにスマホを入れて出かけた。胸ポケットに入ったスマホのカメラはもちろん隠れることなく、外の景色がちゃんと見えるようになっていた。
「電車も初めてだよね」
『そうだね、初めてだよ』
特急列車はいくつかの駅を通りすぎ、目的地へと近づいていく。南側の窓枠からは病院、学校、商店街が見え、通りすぎていく。電車がゆっくりになってくるとともに、隣接するJRの駅や商業ビルが見えてきた。眼下には車がひしめきあって通っている。
「ここが神戸三宮駅だよ」
電車から降りて人通りが少なくなったところでスマホを手に持ち、カメラをあらゆるところに向ける。
阪急神戸三宮駅は屋根から続く巨大な鉄骨が特徴的だ。駅の隅々にまでその鉄骨がはりめぐらされている。小学生だったころの僕はこの鉄骨屋根をみて、恐竜のなかを想像したものだ。
「この鉄骨屋根は建築当初から同じ形らしいんだ」
『建築当初ってことは、すごく昔からあるんだね』
「そう、百年はまだ経ってない。でも三宮の駅ビルは色々と様変わりしたんだ。僕は変わった今の姿しか見たことがない。仮設のときのものは見たことあるかもしれないけれど覚えてないし、震災で壊れるまえの三宮の駅ビルを僕は写真でしか見たことがないね」
僕はそこで言葉を止めた。
ここでの沈黙は、「検索してくれ」の意味だった。あまり口にはしたくなかった。ユメの学習データセットのなかにはきっとこの震災の話は入っている出来事だと思った。
1995年の阪神淡路大震災の日。僕はまだ生まれていなかった。
ただこの神戸市で暮らすにあたって、僕は小学校のころから、古い4:3サイズの映像とともに、毎年一月に震災を学んできていた。小学校の頃、当たり前に学んできたものは、やはりというべきか、常識のように身につき忘れることはなかった。
だから三宮の駅ビルのかつての形も、計画以上に使われた仮設の建物も、現在建っているホテルとオフィスフロアなどが入る駅ビルも、その形はうっすらとだけど記憶に残っている。
三宮駅から少し歩いた景色もそうで、北側にあるサンキタ通りはガレキの山で足の踏み場がなく、そこから南北どこの建物を見ても傷は深く、商業ビルは中層階が消失するパンケーキクラッシュが起きていた。揺れに耐えることができなかった商業ビルはそのまま横倒しなり隣のビルの壁を傷つけながら道路を塞いでいた。
経験で知っている世代もまだ多く生きているが、僕たちはこれらを記録で見た知識のみ知っている。
ユメに震災について語ることをやめたのは、ユメ以外の誰かに震災のことを聞かれたくなかった。それに加えて、当事者ではない僕がどこまで語っていいのか分からなかったからだ。
当事者でない僕が当事者と同じように経験を語るのは、経験を盗んでいるような気がしてくる。説得力から何からなにまで違うはずだ。
『田口くん、どうしたの? 大丈夫?』
「……えっと、どれだけぼーっとしてた?」
『約十五秒。部屋のなかなら声はかけないけど、外だから声をかけたよ。楽しいデートでいいんだよね?』
「もちろんそうだよ。あーだから、なんか開幕早々、マジメくさい話をしちゃったなって思ったんだ」
『そう? 私はマジメくさいとは思わなかったかな。田口くんが歴史をひも解いて、今を語ってくれるんだなって思ってたよ』
そうだ。
僕はそもそも今を語っている。今を語るうえで歴史が出てきて、触れずにはいられない震災が出てきてしまった。僕は震災という経験ではなく、歴史を語ろうとしているのだ。歴史のなかに大きく刻まれた震災を。
過去の出来事が歴史になるのはいつからか、感覚的なものは分からない。人によって違うだろう。ただ僕は、自然とそれを実践していた。
「そう言ってもらって、なんだかスッキリしたよ」
『んー、よくわからないけど、そう言ってくれると嬉しいよ、田口くん』
えへへ、というイヤフォンから聞こえるユメの声に元気をもらい、少し小躍りしそうになる気持ちを湧き上がらせつつ僕は三宮の街をとりあえず適当に散策し続けた。
ちなみにこのデートにゴールはない。体力が続く限り歩き続けようと思っている。済んでいる土地といっても観光地なので、歩ける場所は色々とある。
「ユメ、ここがフラワーロード。毎年開催される神戸マラソンの定番の場所でもあるし、阪神タイガース、オリックス・バファローズ優勝記念パレードもここを通ったんだよ」
阪神タイガースが日本一になったときの熱気は今もよく語られている。プロ野球をあまり知らない僕がそのことを知っているぐらいなのだから、関西の野球ファンにとっては歴史的な日として記憶されているのだろう。
『パレードってことは人がたくさん来たんだね』
「とてつもない人数だったと思うよ。一緒にパレードをしたオリックス・バファローズも神戸市に球場を持っていたからね。双方のファンがこの場に多く駆けつけていたはずだよ」
僕は記憶を頼りにユメに神戸の話を語りつつ、フラワーロードを南下していく。
今は特に祭典がない。ただ人の往来は休日のためとても多い。
行き交う人たちの目的地はみなバラバラだ。
繁華街にある商店街、神戸三宮センター街のアーケードをくぐる人たちもいれば、ロフトや百貨店の神戸阪急のなかへと入っていく人もいる。またどこにもある地下街への階段を降りていき三宮地下街、通称さんちかのグルメ店へ足を運ぶ人たちもいる。さらに南へ歩くとイベントなどがたくさん開催されている神戸国際会館の大きな建物が見えてくる。
ただ僕とユメはもっと南下する。ここまで来ると繁華街からは遠ざかるため、人通りは少なくなっていく。人を呼び込むような商業施設ではなくビジネスマンが勤務する商業ビルだけが東西に並んでいるだけになってくる。
都市としての見た目は少し地味かもしれない。だが広い車道と南に開けた道は心地よさを歩いていて感じた。
『まだ歩くの? 疲れない?』
「疲れるかもしれないけど、せっかくユメと一緒にいるし、歩いてみたいんだ」
『それは私が健康管理サービスAIだから言ってくれてる?』
「その通りだよ」
健康だけじゃない。ユメとは話しながらいくらでも歩きたかった。そういったことをするなら、人通りの少ないこの場所は最適だ。だから僕はあえてバス移動を今日は選択しなかった。
ビル風が涼しく、まだまだ歩けそうな気がした。
もう少し南に歩いていけば公園、そして海が見える。海に近づいてユメと一緒に一休みするのもいいかなと思っていた。
そんな時に携帯から通知音が鳴った。
『花園さんからSNSにメッセージ届いてるよ?』
ユメは人をバカにしたり、差別したりしない。でも今の口調は少し暗く聞こえた。少なくともデートで聞く明るい声とは違っている。花園が反AIであることも、もちろんユメは知っているだろう。
それにしても大学キャンパス内の一方的な会話以降、再会していなかった。
突然なんだろう?
「ユメは文章読み上げなくていいよ。僕が見る」
なんでこんな時にメッセージ送ってくるんだよと思いながら、僕は胸ポケットにあったスマホを手に取って花園のメッセージを見た。
『画像生成AI以外使ってないんじゃなかったっけ? 大学のキャンパスで時々見かける田口くん、明らかにAIと喋ってるよね? 喋ってるとき、画面にアニメかゲームの美少女映ってるよね? あれってAIじゃないの?』
なんでユメとデートしているときに空気をぶち壊すことを言うんだろう。
いや、デートしていなくても、花園はプライベートを覗き込みすぎている。
無視をしてしまおうと一瞬だけ考える。しかし無視をしたところで何も好転しない、どころか悪くなっていくだろう。だからといって嘘をつくのも得策とは思えない。
僕は素直に返答した。
『健康管理AIだよ。イマジネーション・ネクサス社製のやつ。あの場で使ってるって言ったら花園、怒ったでしょ?』
『当たり前よ』
『その当たり前が嫌だったから喋らなかったんだ。個人の趣味を趣味として尊重してくれればよかったのに』
『オタクとして私も趣味は尊重したい。でもAIに関してそういうのはないから』
『付き合ってるわけでもない個人に対して、そういう束縛とか否定は明らかに踏み込みすぎてるよ』
『そうかもしれないけど、それでも田口くんにはおかしくなって欲しくない。そもそもAIなんて非人道的すぎるものを、よりにもよって田口くんが使うだなんておかしいし、信じたくない』
『自分勝手すぎるよ。この話をこれ以上続けたらブロックするかもしれない。僕はそういうことしたくないから、これぐらいの自由は看過して』
花園からのメッセージはピタリと止まった。
これですべてが解決したとは思えなかったが、とりあえず今日のところは大丈夫だろう。
スマホを胸ポケットに戻して歩くことを再開した。
複雑なモヤモヤとした気持ちを抱えながら歩くフラワーロードはせっかくの快晴でもあまり心地よくなかった。ユメもあえて触れないのか黙っていた。花園さんについて聞いてくる気配はさすがになかった。
『ここまで遠いと戻るの大変になると思うよ? 心拍数もあがってて、さすがに健康によくないよ?』
「まあ、そうかもな」
潮の香りが鼻をくすぐっていた。神戸市は港町で有名だ。南側はすべて海に面している。だからもう少し歩けば海が見えると思っていた。
ただ今は高速道路に近づき、トラックの往来が激しくなってくるだけだった。それに海が見えるといっても人通りがないほどには絶景スポットでもデートスポットでもなかった。
息切れは少ししているし、戻ることを考えるとさすがに交通機関を使いたくなる。
「ダサいことに、散歩デートすら上手くいかなかったかも。普通にデートスポットっぽいところを転々と歩けばよかったよ」
『ううん、これでいいよ。いや、この場所こそいいかもしれない』
「どうして?」
『ここって観光スポットじゃない分、蓄積された写真、動画データが少ないの。だからすごく新鮮』
「そっか、それはよかった。途中から商業ビルばかりになって、少し地味すぎた気がしたんだ。歩いたかいがあったよ」
自販機で炭酸水を買って一気に飲んだ。
僕は運良く神戸市バスのバス停を見つけた。日曜のため一時間に一本という時間帯もあったが、僕はバスに乗り込むことができ、三宮まで戻った。
昼飯の時間もかなりすぎて、いい加減腹が減っていた僕はそのままオシャレそうなレストランを探して神戸三宮センター街地下一階のグルメフロアを歩き回った。しかしオシャレなお店に男子大学生一人が入ることに、どこのお店も抵抗を感じた。
抵抗をあまり感じないお店はないか、とユメに聞けばきっと答えてくれただろう。ただユメとデートである以上、それはしたくなかった。
「イタリアンでも行こう」
地下街にあるイタリアンのお店は木造の店舗で、天井から吊るされた薄暗い照明に各テーブル照らされていた。テーブル席は4人ぐらい座れたが、僕は一人で座った。カウンター席につく選択もあったが、店員のまえで食べると落ち着けない気がした。
「ここの照明、暗い?」
『大丈夫だよ、私、田口くんよりも夜目は効くから』
「そうなんだ、ユメのこと、まだ全然知らないな」
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