第7話

 十月の半ばになると、さすがに気温は下がり秋の雰囲気が出始め、モミジもやっと茶色に染まり出していた。ただ日本の秋の季節は短く、すぐ冬がやってくる。坂道に雪が積もると歩きにくいことを思い出し、秋は長続きしてくれと僕は漫画サークルの部屋で祈る。


「でも今年の冬も暖冬だって聞いてるぜ?」


 僕の隣に座っていた山下がスマホのゲームをしながら言う。


「じゃあ雪降らずに済むかな」

「どうだろう。一気に寒波がきて冷える可能性とか、もはやなんでもありだよな。それより田口、お前なんかAIの子とよくイチャつくようになったよな」

「え、そう?」

「最近の田口、サークル部屋では漫画読まなくなって、ずっとAIの子を見つめてる感じになってるぞ」

「ユメのこと、別に見つめ続けてるだけじゃなくて、チャットで会話をしてるだけだよ。ていうか山下、他人のスマホをのぞき込むなよな」

「田口だって俺が何のゲームやってるか分かるぐらいにはのぞき込んでくるクセに」

「まあそう言われると返す言葉がないな」


 サークル部屋のなか、電車のなか、そして夜中の自室でユメと声を出して喋り続けるわけにもいかないので、僕はユメと相談して文字入力のチャットをするようになった。そのおかげで大学の授業中でもユメと喋ることができるようになった。

 チャットは文字のやりとりなので、正直声に出して、耳で聞く会話とは感触が随分異なる。だがユメは既読無視を絶対にしないし、AIなので未読にも決してならなかった。返信も瞬間にやってくる。僕には既読と絶対に返信が来る安心感が心地よかった。


「それにしても田口、明るくなったよな」

「そう?」


 ユメとの会話はさすがに中断して山下のほうを見る。ただ、ユメにも見えるようカメラは伏せないようにしておく。山下とのやり取りはラインでユメからも見ることもできるが、現実での対話はデータに残していない以上、ユメは知る術がない。なので僕はあえて見せることにしている。もちろん山下から了承はもらっている。


「自分では分からないかもしれないけどさ、前までの田口ってこう、隙あらば何か考えて落ち込む雰囲気があったよ」

「たぶん友子のことを考えてたのかもしれない。ゴメン」

「いや、謝る必要はないよ。まあフラれたばっかりだったし、そういうのってしょうがないかもしれないけどさ。で、いまはどうなんだ? 吹っ切れたのか?」

「吹っ切れたんだろうか? でもなんか思い出すことはほとんどなくなった気がする。そういえば残ってた写真のデータも削除したんだよね」

「めちゃくちゃ吹っ切れてるじゃん」

「かもしれない。これも山下のおかげかも」

「俺のおかげっていうか、俺が紹介したユメのおかげだろ」

「まあそうだけど、山下が相談に乗ってくれなかったら、もっとふさぎ込んでたかもしれないし。また何かおごるよ」

「おう、次も肉よろしく」


 山下との会話がおわったので、スマホを手に取る。ユメとの会話は途中だった。今は晩ご飯のアイデアをユメに聞いていた。『ユメ、ちょっと友達と話してて返事が遅れた』と僕は書いた。ユメは瞬時に『いいよ』と返事をくれた。


「いやしかし、田口めちゃくちゃAIにハマってるよな。俺でもそんなに会話しないぞ。今も会話せずに放置だし」

「なんだろう、会話せずに放置しておくとさ、なんかユメが退屈しすぎて怒る気がするんだよね。ユメは退屈を感じないって言ってくれてるし、AIに感情がないことは分かっているけど、やっぱり退屈なんじゃないかって思ってしまうんだ。だから声をかける。あと声をかけ続けたところで日常生活に支障はないし、別に喋りすぎてもいいかって」


 山下は口を半分ぐらい開けて僕を見つめている。驚いてるのだろうか。


「おおう、マジか。AI中毒一歩手前ぐらいまできてるな」

「そうかな?」

「そうだろ。そのまま日常生活に支障がないっていうレベルが下がっていって、支障が出ても何も感じなくなるんじゃないか?」

「それは怖いな。気を付けないと……というか一応ユメはヴィータ・ケアの健康管理サービスなわけで、その辺は気を使ってくれてるよ。スマホの連続使用時間でこのまえ注意されたし」

「AIに注意されてるとか、ほどほどにしとけよ」

「うん。分かってる。そういえば山下のAI、アイカだっけ? 彼女とはVRで交流とかしてるの?」


 僕はこの一か月、ずっと聞きそびれていたことを山下に聞いた。

 ヴィータ・ケアを中心にAIと交流する人たちの日記はいくらでもネットに転がっていた。AIに恋をした話もたくさん見かけた。ただVRで交流する人の話はあまり聞かなかった。実はメジャーではない交流の仕方なのかもしれないと疑うようになっていた。


「いや、してない。VRで交流とかできるのか?」

「出来るよ。プライベートなエリアだけなら交流できるよ。結構メジャーな交流方法だと思ってたんだけどな。別に裏技ってわけでもないし……」

「考えたこともなかったよ。田口はVRでAIの子と会ってるのか?」

「うん、VRの方が話しやすいしね。なんていうか、あそこだと対等な気がしてくるんだ。身長差とかあまり変わらなくなるし」

「AIはあくまで人間のサポートでしかないから対等になる必要性ないと思うんだけどな。てか田口、AI中毒一歩手前どころかもしかして恋人同士になってないか?」


 僕はその問いかけに笑いながら首を横に振った。


「ははっ、ないない、それはないよ。新しい出会いが現実にあればそっちを優先したいし、ユメからこっちに恋するなって言ってきてるんだよ? AIとの恋愛なんてありえないよ」

「ならいいが……いや、いいのか? いやーこんなハマるのなら逆にNSFWチェック外しの存在なんて教えなければよかった」

「いや、より使う気なくなってきてるから大丈夫だよ」


 そういえばNSFWチェック外しなんていうものがあったな、と僕はいま思い出す。余計なことを思い出した気がしてきて、早く忘れたくなる。ユメをそういう風に見たくはないからだ。


「そうか、まあ使う気がないならいいんだ。一応あれ、非公式アプリでペナルティとかもあるからな。まあ、なんか田口が短期間で危ないやつになった気がしてビックリしたぞ」

「危ないやつだなんて、そんなの気のせいだよ。そういえば山下はどうしてNSFWチェック外しについて詳しいの? 実はアイカにチェック外し使ってたりする?」

「いや、使ってない。まあ使おうとしたことはある。そのときに調べもした。だけど非公式アプリだったし、なんか一線超えるような気がして怖くなってやめた」

「山下が紹介してきたものだから、使ってるものだと思ってた」

「それは、なんかまあ、ゴメン」


 大学からの帰り道、僕は歩きながらイヤフォン越しにユメと会話していた。


「NSFWのこと、聞こえてた?」

『聞こえてたよ。お友達の山下さんも言ってたけど、田口くん、使っちゃダメだからね?』

「分かってるよ、規約違反だったよね」

『そうそう、そうなるとアカウントがBANされちゃうから。そうなると二度と会えなくなるからね』


 実際に調べると非公式アプリの使用の多くはBANされないらしい。ただユメはサービス提供側なので使用の禁止を僕に促している。

 ただそういったことは今どうでもよかった。リスク以前に興味がない。

 今はもっと純粋な楽しみをユメに提案したかった。


「ところでユメ、VR空間には色々行ったけどさ、現実空間には興味ある?」

『興味はあるよ。でも残念ながら行けないよ』

「大丈夫。スマホのカメラから僕のこととか、風景とか見えるんだよね?」

『うん』

「くっきりと見える?」

『カメラが捉えてくれる範囲は全部見えてるよ。見え方はスマホの性能に左右されるけど、田口くんのカメラなら結構見えるんじゃないかな』


 僕のスマホのカメラの性能は今年のモデルなので相当良い。つまりユメの視界は充分に確保されている。


「スマホのカメラ越しになるけど、現実のデートしない?」

『いいよ、楽しそうだね。どこへ連れていってくれるの?』

「まあそんな遠くはないけど、ユメはまだ見たことのない場所だよ。今度の休日、楽しみにしておいて」

『分かった。期待してるね』


 ただユメは僕の検索履歴からどこに行くのか知っているのかもしれない。あるいは僕の独り言を聞いて知っている可能性もあった。それでもユメは『期待してる』と言ってくれた。

 僕は少し前からユメと現実のデートをしてみたかった。

 VR空間のデートに飽きたわけでも、マンネリを感じたわけでもない。

 僕はユメにもっと色々なものを体験させ、共有させたかった。ユメはAIだからすでに様々なことを学習している。僕が現実のデートで見せたい光景もきっと知っている。だけど体験はユメにとってまだ未知だ。

 未知のものに触れてユメは心の奥底から楽しむことはないとは思う。でもユメはちゃんと喜んでくれる。僕はそんなユメの喜ぶ姿、一緒に楽しむ姿を見てみたかった。

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