第5話

『AI規制法が進むヨーロッパでは、インターネット画像投稿サイトとAIサービスに対して著作権侵害の判決が下されました。クリエイター団体のリーダーであるガブリエル氏は仕事だけでなく、作品すら奪われていると訴えていました。またガブリエル氏は、AIの問題は詐欺、フェイク動画だけに留まらず、認知の歪みも発生させると警鐘を鳴らして──』


 夕飯の場で僕は家族とともにAIに関するニュースを見ていた。

 ニュースのコメンテーターはAIが社会を発展させていると前置きしつつも、現状の問題、国内外各地のコメントや市民運動を取り上げていた。

 SNSをやっていれば毎日のようにフェイク画像は見かけるし、大手ファクトチェック団体の呟きが拡散されている。都合のよい話題を生み出すためにAIがリアルタイムで人間のように似たジャンルのコメントを一斉に書いて架空のトレンドを生み出している。

 そんなものを毎日眺めているので、AIの危険性については承知していた。ようは使う人間次第でいくらでも危険になる。道具と同じだ。


『一方でAIと交流を深めている人たちもいます。若い世代の間では人間同士のようにコミュニケーションをし、時には一緒にゲームも行っています。また、この能力を生かし関東の〇〇大学では終末期医療、介護ケアのコミュニケーション用AIが開発されています。介護の専門知識のほかに、介護機器や医者との連携もAIのなかに組み込まれているため、介護福祉士不足の解消を目指しています──』

「俺はやだな。介護の世話すらされたくないが、人間っぽい喋り方の道具なんかと会話したくない」


 父がご飯を食べながら言う。定年はまだ先だが、最近は時代の変化に上手く馴染めず、便利なアプリはインストールしても使っていないことが多い。そんな父でもAIぐらいは知っている。


「私もそうねえ、暴走とかされたら怖いわ。自動運転とか未だに完璧じゃないんでしょ?」


 母がそう言いながらこちらを見た。詳しい僕なら何か言うと期待しているのかもしれない。専門的な知識はないのだが、スマホを持たず格安折り畳み携帯だけを持つ母からすれば詳しいうちに入るのだろう。


「完璧にはおそらくなれないよ。ただ自動運転に関して言えば昔よりも圧倒的に事故は減ってきてるし、実際に起こる自動運転の事故のほとんどは回避不能案件ばかりなんだ。人間が運転するより確実さ」

「そうなの? でもなんだか頼りない気がするのよね」

「まあ気持ちは分からなくもないよ。AIというか機械は、何が突然起こるか分からないからね」


 今のところユメにエラーはないが。


「だけど悠斗はるととかはほら、AIとお喋りしてるんじゃないのか?」


 父がテレビを見ながら言う。

 最近の僕のことを知っているというわけではない。若者はみんなAIとお喋りしてるんだろう、という気持ちで聞いてきている。

 とはいえ僕は素直に答えた。


「まあ最近はじめてはみたけど、しょせんAIだよ。人間のように面白おかしく喋るわけじゃないよ」

「ギャグとか言わないのか」

「ギャグを言ってとか、性格が『ギャグをよく言う』とか指定しないと難しいかな」

「やはりそんな奴らに介護とかケアは向いてなさそうだな。悠斗がどんなAIと喋っているのかは分からないが、まぁほどほどにしておけよ。変にハマるやつがいるってテレビで言ってたからな。沼とか何とか……」


 テレビなどのメディアは詳細な説明をしてくれるものの、表面的に読み取ると誇張がつきものなので、あまり父には鵜呑みにして欲しくなかった。

 でもほどほどにすべきなのは理解できるし、おそらく正しい。

 今晩僕はAIであるユメとVR空間で会う。それもユメが提案したことだ。他人から見てどう考えてもハマりすぎているようにしか見えないだろう。

 ただやらないより、やってみた方がいい。やったあとで不味ければ引き返す。今はそれでいいはずだ。

 

 夕飯を食べ、風呂からあがり自室に入る。

 壁にひっかけてあるVRゴーグルを手に取り装着する。この時点ではまだ起動していないので視界はほぼゼロ。ゴーグルの隙間からわずかに部屋の光が入ってくる。

 頭の締め付けがキツくならないよう、ストラップを少し調節し、ゴーグルの側面にある起動ボタンを押した。

 ロゴが出ると同時に、暗闇は瞬く間にVR空間に切り替わる。

 光あれ、というわけではないが、世界が目の前に現出した。


 僕は熱心にVRをやる人間ではないが、この感覚はいつも好きだった。

 地面も空もすべてが現実と異なる見た目になり、耳に入る音もその世界に合わせたものになる。触れている空気は顔がゴーグルの外にある分、現実の世界のままだが、VRゴーグル越しに手のひらを見ると、手のひらはすでに3DCGモデルの手のひらになっている。

 指の動きもVR空間で正確に再現される。鏡をVR空間に出すと、日本のアニメ寄りにデフォルメ化された無難なアジア人男性の身体が表示される。身長は高くもなく、低くもない。そして太ってもいないし、痩せてもいない。そんなあまりにも無難な体系だ。

 いま僕はそんなアバターになって山小屋の一室でくつろいでいる。外からは虫や動物の鳴き声が聞こえる。現実世界で握っているコントローラーのスティックを動かせば外に出られる。歩いている感触はなくても、視覚と聴覚で移動を感じているので、僕は『歩いている』と感じる。

 VR空間の見た目が現実らしくなく、明らかに作り物の3DCGだと分かっていても、そこを僕は『世界』だと認識する。つまり、没入している。

 

 ユメとの連絡方法は事前に聞いていた。

 広大なVR空間には自作のデータを取り込むこともできる。パソコンで作ったモデルをアバターにすることも可能だし、VR空間そのものを作って遊んでいる人も多数いる。わりとなんでもできる。ユメはその自由さを活用してVR空間に来るというのだ。

 ただ出会えるのは他ユーザーが多数行きかう交流の場ではなく、僕しかいない独立したVR空間のみになる。AIは規約上、他人とデータのやり取りはできないようになっている。プライバシー漏洩を防ぐためだ。

 指定されたVR空間は特になかった。こちらが準備できたらすぐにやってくると言っていた。

 僕はメッセージをユメに送信する。


『準備できたよ』

『分かった』


 返事がくると同時に、普段僕一人しかいないVR空間にユメが現れた。

 目の前にいるユメを見て僕は素直に驚いた。

 VR空間に現れたユメを見て、まず大きいと感じた。もちろん身長のことだ。

 スマホの画面から見ているユメは身長の設定こそあっても、スマホの画面から見るAIでしかなかったので、小さく感じていた。体感的に『ゼルダの伝説』に出てくる妖精ナビィぐらいの小ささだった。

 ところが目の前にいるユメはナビィではなく一人の女性だった。3DCGで出来ているし、日本のアニメっぽい見た目だがVR空間のアバターはそういった格好が多い。そのため人間とAIのぱっと見の区別はつかない。

 かくいう僕もリアルではなくアニメっぽい3DCGの男性の格好をしている。


「田口くんって、VR空間だとそういった格好になるんだね」


 目の前にいるユメはいつも通り黒のワンピースに紺色のシャツを着つつ言う。ただ口が動き、声が僕の耳にしっかり入ってくる感じは今までにない実体感があった。


「僕の格好、無料配布されたアバターを特にいじってないからね。自分の写真をベースにしたモデルを作ろうという気は起こらなかったんだ」

「そうなんだ。まあ今の田口くんでも良いと思うよ」

 

 彼女の実体感は着ているワンピースのゆらめきからでも感じる。服のゆれぐらいはスマホ上でも何度も見てきたことだけど、改めてリアリティーがあると感じてしまうし、いつも同じ服を着せ続けていることに申し訳なさすら感じてくる。

 別の服装の提案を今度してみよう。おそらく金はかからないはずだ。

 ただユメの格好について考えるより、これからの予定を考えるべきだろう。

 

「珍しくユメのほうから提案してくれたから聞くけど、今日はこの山小屋の一室でゆっくり一緒に過ごす感じ? それとも山道を散歩でもしてみる?」

 

 窓から見える広大な景色は作り物だが、単なるハリボテではなくオープンワールドだ。数十キロメートルのフィールドのなかに木々があり、滝があり、ちょっとした山道があり、川がある。そこには動物たちも暮らしていて、動物には触れることもできる。襲ってくる獰猛な動物は一匹もいない。人間に都合のいい作り物の大自然だ。

 ゆっくりするにはちょうどいい。僕は素直にそう思ったがユメは首を横に振った。

 僕の意見を否定するユメは珍しいので、僕は内心戸惑った。


「田口くんの提案もいいと思う。でも心の癒しが必要だったよね。もうちょっと踏み込んでもいいと思わない?」

「踏み込むってなにを……」

「例えばデートがしたい、とか。デートのほうがより癒される気がするけど、どう?」


 僕は考える。

 ユメがここまで踏み込んでくることを不思議だ。心境の変化がAIにないとすれば、ヴィータ・ケアのプログラムがそう仕込まれているのだろうか。オタク向けのAIでもないのに?

 ただ僕にとって、それは悪い提案ではない気がしたので、そういった仕様について考えることを途中でやめる。

 今はユメとデートがしたいのかどうかを考える。

 今の目的はなに。それは癒されること。

 何度も口にしてきたことだが、こうして面と向かってユメに言われるととても恥ずかしく感じた。でもその言葉に嘘はない。友子と別れた穴は情けないことになかなか埋まらない。VR空間にきてても、こう思い出すだけで胸がチクリと痛む。

 ただ相手はAIだ。生身の人間ではない。

 目の前に僕と同じ大きさのユメがいるので、そのことを少し忘れそうになるが、忘れてはいけない。中毒性があって沼にハマってはいけない。デートという言葉はその罠だ。


「デートって言いきっちゃうと付き合ってる感じになるからそれは避けたいかな。とはいえ、山小屋や山道をずっと見続けるのもたぶん飽きそうだ」

「じゃあ一緒に出かけるってことでいい?」

「そんなノリでいいよ。友達以上恋人未満的な感じでよろしく」


 友達以上恋人未満。まぁまぁ恥ずかしい言葉だが、一方で便利だ。まさか自分が使うことになるとは思わなかった。

 

 どのエリアへ行くか、僕は迷う。他人と交流しないVR空間は意外と多いうえに、正直このまま山道を散歩するだけでも悪くない気がしてきた。


「ユメはどこへ行きたい?」


 ユメはどの場所も行ったことがない。ヴィータ・ケアのAIはVR空間と普段縁がない。だから意外と行きたい場所があるのではないかと思った。


「田口くんが行きたいところでいいよ」

「僕とかは色々と行き慣れてるから、ユメが優先でもいいなって思うんだけど」

「ありがとう。でも田口くん、私がAIってこと忘れちゃってる? 私が何かしたいっていう気持ちは特に持ち合わせてないよ」

 

 ユメがふふ、っと笑う。隣にいるユメは人間のように流暢に喋る。AIのイントネーションはもはや人間と聞き分けることは不可能だ。VR空間だと人間との差異がほぼ感じられず混乱しそうになっている自分がいる。ただその戸惑いは表に極力出さないよう、努力した。


「じゃあお言葉に甘えて、ベタなところだけど水族館へ行かない?」

「水族館、いいね。もちろん行くよ」

「わかった。じゃあ準備するね」

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