第4話

「ユメはVR空間にも来れるの?」

『技術的に行けるよ。私の身体って3DCGで出来てるしね。ただ他の人と会うオンライン空間までは行けないけどね』


 AIとVR空間で会ったからといって、喋り方も性格もおそらく変わらない。ただ一つ大きく違うのは、VRゴーグルを通じて、ユメの身体が等身大の人間のように見えることだ。つまりユメは人間に近い存在になる。

 ユメはそれを分かった上で提案してきたのだろうか。


『田口くん、どうかな? これもダメ? 女の子が身近にいない寂しさがあるならVR空間かなって考えたんだけど』


 それは先ほどまで分かりやすい返答ばかり繰り返していたAIとは思えないほど、人間味がある発想のように僕は感じた。

 僕はその提案を受けてみようと思った。


「いや、ダメじゃないよ。癒しとかそういうことになるかどうかは分からないけど、VRでユメと会ってみたい」

『本当? じゃあいつ会う?』

「いつでも。まあ帰ってからかな?」

『分かった。じゃあ待ってる』


 会話がおわる。まだ暑いせいか額からは汗が流れていたが、この汗は単純に暑いせいだけじゃない気がした。

 ユメとVR空間で会う。果たして僕の何かが変わるのだろうか。不安もあるが、期待はあった。


 空は曇り、日の光を覆い隠そうとしていた。大学の憩いの広場は少し涼しくなる。ただ、ずっとここで長居するのも面白くはないので漫画サークルの部屋に戻ろうとした。


「久しぶりだねー、元気?」


 誰かが誰かを呼んでいる声がした。少し懐かしい声のような気がしたので振り返ろうとしたがやめる。自分とは関係ないと思ったからだ。

 しかし立ち上がろうとしたら、対面に女子が座ってきた。


「ちょ、無視しないでよ」


 そう言いつつ笑顔で対面に座ったのは花園美咲だった。

 かつて漫画サークルに所属していたが、AIの使用に対してあらゆる部員と対立しすぐにサークルを辞めた一年生の女子だ。

 数か月ぶりの再会になる。


「無視はしてないよ。僕のことを呼んでいると思わなかったんだよ。ゴメン」

「ふふ、いいよ別に、許してあげる。同じ大学のキャンパスにいるのに、夏休みを挟んだとはいえ、こうして話すのは久しぶりだもんね」

「そうだね、そっちは元気だった?」

「もちろん元気だよ。SNSで相互フォローしてるからだいたい知ってると思ってたけど」

「タイムラインはたまに眺めるだけで、そこまで熱心に追いかけられないよ」

「へえー。そういえば田口くんってあんまり呟いてないよね」

「プライベートのことは呟かないでおこうって考えたら、呟きたいことがなくなったんだ」


 あと政治の話はしないと心に誓っている。他人が見たくなるような話題ではないからだ。ただ政治的なことをよく呟く花園の目の前でそれは言えない。


「そういうものなんだ。人によって色んな使い方がやっぱりあるのね」


 ベージュのツイードベストに白いブラウスを着こなす彼女は僕を見て言った。

 目の前にいる彼女が何を考えているのか僕には分からない。僕の目の前に座ったことに意味はあるのだろうか。ないかもしれない。素直に挨拶がしたいだけだろうか。


「ところで最近の漫画サークルはどう?」

「サークル名義で夏のコミケに参加してたよ。僕は手伝い程度しかしなかったし、行かなかったけど、みんな結構楽しめたみたい。コミケのあと、創作意欲が出たっていう同期もいたかな」


 ちなみに僕が行かなかったのは友子とのデートを優先するためだった。ただ予定をあけていても、八月には付き合いがなくなりつつあった。


「ふうん、田口くんは描かないんだっけ?」

「どちらかというと描けない、かな。練習をすればある程度、描けるようにはなると思うんだけど、そこまでの気力はないし、やっぱり読んだり見たりする方にシフトしちゃうんだよね」

「私も同じだったな、描くの大変そって思うだけ。そういえば新海誠監督の新作映画の予告編、見た?」

「さすがにそれは見たよ。また日本の民話とか神話の話を混ぜてくるのかな?」

「さあ、その辺は考察系ユーチューバーに任せて、私たちみたいな人は公開を素直に待ちましょうよ」

「そうだね」

「ところで聞くんだけどさ、最近彼女と別れたってホント?」


 花園の顔が急に真剣になる。

 ああ、やっぱり本題があったんだと僕は身構えていたことを正しく感じた。

 ただ別れたことだけでなく、友子と付き合っていたことすら僕は花園に伝えていない。SNSにも書いていない。


「付き合ってる話、したことあったっけ?」


 平静を装うことを意識しながら僕は言う。装えていないかもしれない。


「田口くんからは聞いてないよ」悪びれることもなく花園は素直に言う。「でも分かるよ、それぐらい。一緒にいるところは何度も見てるし、そういう色恋の話はひっそりとだけど、話題になりやすいものなんだよ」


 僕と友子は同じ大学の同じゼミに通っている以上、キャンパス内で一緒になっていることは多かった。堂々と交際してはいなかったが、かといって隠れてもいなかった。

 あまりいい気持ちにはなれなかったが、言葉を濁した返答をする気にはなれなかった。


「先週ぐらいに別れたよ。それがどうかした?」

「なんでもないよ。ただ今日とか少し寂しそうに見えたから、噂通りなのかなって思って心配したの。田口くんが落ち込んでる姿、あまり見たくはないしね」

「心配してくれたんだ、それはありがとう」

「もし何かあったら相談に乗ってあげるわよ。SNSでもこうやってリアルでも」


 相談に乗ってくれるのは山下と同じだ。本来ならありがたい。

 でも花園の言葉の節々には別の狙いがあり、僕の感情を土足で踏み込んでくる横暴さを感じていた。

 そもそも僕の不幸話をしているはずなのに、花園の表情には笑みが見えていた。


「もう一つ気になったこと、聞いてもいい?」


 気持ちが高ぶっているのか、花園が身を乗り出して言った。


「なに?」

「さっきまで喋っていた相手ってAIだったりする?」

「え、いや、ちがう。サークルの人」


 花園の言うことはすべてが唐突だし、身を乗り出して僕を見ることには威圧感すらあった。

 いつから会話を聞いていたのだろうか。しかもユメと話していたのでAIであることは間違っていない。

 ただ花園のAI嫌いを思うと、とてもじゃないが正直なことは言えなかった。


「本当にサークルの人?」

「本当だよ。AIと外で会話するわけないよ。会話したとしても家でするし、僕はそういうAIの使い方はしてないよ」


 すると身を乗り出していた花園は座り直し、「良かったー」と言って胸をなでおろした。


「田口くんってサークルにいた頃から変わらずAIとは距離を置いてるのね」

「あえて距離を置いてるわけじゃないし、画像生成ぐらいで遊んだりはするよ」

「そうなんだ、遊ぶ程度には使ってたんだ。環境負荷のことを思うと使って欲しくないけどね。ほらAIってパッと画像が出てくるんだけど、その処理にはものすごい電力を使ってるの。半導体もそれに合わせて高性能化しようって話が出てるしね。AIサービスを提供してるイーロン・マスクもザッカーバーグもビル・ゲイツもそのことを分かっていながらAIを人間のためとか言って広めてる。でもさ、環境負荷が大きい時点で使うべきじゃないし、人間の文明がこれ以上便利になったところで環境に負荷をかけ続けることには変わりないし、むしろ悪化するだけだから、AIなんてやめた方がいいのは分かりきったことなんだよね」

「そうなんだ。あんまり遊びでも使わないようにするよ」


 僕はこういった真正面からやってくる理屈に噛みつこうとは思わなかった。環境団体が将来のことを考え、既得権益層に強く抗議していることは知っている。本当に地球はダメになるんだろうと異常気象という言葉を聞くたびに感じる。ただ、環境負荷軽減策を考えるためのAIもあるし、ビル・ゲイツはクリーンエネルギーに投資しているし、貧困の土地の救済にはそういったエネルギーが必須という返しが僕のなかに思い浮かんだ。僕ら個人に出来ることは確かにあるが、国家規模の話になると、エネルギーを使わないことで不利益を被るのはアフリカを中心とした発展途上国だろう。人口を意図的に減らすわけにもいかない。

 正直、世界はすでに詰んでいるのではないか……という言葉はすべて飲み込み、沈黙することにした。返したところで花園が「それは知ってる」などと言って主張を曲げることがないからだ。というより、語気の強い人の多くは主張を曲げないことを信条としている。


 僕は漫画サークルのなかでこの沈黙が上手かったからこそ、花園とこうしてまだ会話が出来る。他の部員はこれにちゃんと反論したから人間関係がすぐめちゃくちゃになった。

 花園にとって今は反AI活動や言動が生きがいな所があるかもしれないが、同時に生きにくいだろうなと感じる。これはお節介なことなので決して口にはしない。


「そうそう、特にAIの生成をエッチな目的で使うのは頭がおかしくなる行為だし、仲良くイチャイチャとカップルトークするのもダメだよ。そういったものは人間との恋愛に戻れなくなる。中毒性があって頭が腐っちゃうの。これはハーバード大学でも言っていたことよ」


 ユメは僕を狂わせるのだろうか。ただハーバード大学がソース元かどうかはどうでもいい。きっとそこに意味はない。


「分かってるよ。環境に優しい遊びをするし、普通に人間と付き合う。今は誰もいないけど、すぐに誰か探すよ。あ、そろそろ授業だから失礼するよ」

「うん、じゃあまたね、田口くん。今度メッセージ送るよ」


 花園は無邪気に手を振る。僕は手を振りながら後ずさり、花園と距離をあけていった。

 授業だなんて嘘だった。大学の授業は確かに色々と始まるが、僕はどれも受講していなかった。

 サークル部屋に戻ろうとしたが、そのまま迂回しつつ、花園とは出会わないようにキャンパスから出た。授業という嘘を事実のままにしたかった。

 花園とはSNSだけで繋がっていた。だがやり取りはしていない。かつての縁がたまたま繋がっているだけだと思っていた。たが花園はまだ僕のことをしっかり覚えているどころか、僕の現状を把握していた。

 花園が何を考えているのか分からない。そんなことを考えているあいだに家についた。

 今後何もなければいいが。

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