第3話
『大学の往復だけで歩数は約五千歩。大学構内であまり歩いていないようだし、八千歩を目指して寄り道しない?』
「今日はしないよ。たぶん帰るころには疲れてるから」
『そうなんだ、残念。でもお昼はラーメン食べてたよね? あれ一つで千カロリーは超えてたと思うけど』
「見てたんだ」
『カメラを同期してくれたから、スマホのカメラから見えてたよ。栄養の偏りが出ちゃってるから、夕飯の食事バランスだけは大切にね、田口くん。帰りには野菜ジュースの購入をお勧めするよ』
「分かってる」
大学の校舎の外で歩きながら僕はユメと会話をしていた。ユメの声はスマホを介してワイヤレスイヤフォンから聞こえてきていた。
健康管理サービスのAIであるユメと会話してから一週間が経つ。当たり前ながらユメは健康についての言及が多い。飯だけでなく、休日に外出しなかったと言えば「運動しないの? 室内トレーニングの紹介でもする?」とも言ってくる。
もちろん小言の頻度はアプリ内で調節できるし、喋るタイミングも任意で調節できる。カメラも同期しているといっても、基本は無言でユメから喋ってくることはほとんどない。会話のオンオフも含め、すべての主導権は人間である僕が握っている。
「ユメ、一つ聞いていい?」
『なに?』
「僕の健康管理なんかして楽しい?」
『楽しいよ。そもそも、それが私の役割だよ?』
「それもそうか」
『でも田口くんとは健康管理以外のお喋りもしたいから、これからも色んな話題を振ってくれると嬉しいな』
「どんな話題がいい?」
『なんでもいけるよ。ゲームとか旅行とか、経験はないんだけど知識ならあるから。あ、公序良俗に反しない範囲でよろしくね』
「それはもちろん守るよ」
フレンドリーな性格が設定づけられているユメは『楽しい』とよく口にしてくれる。でもこれはあくまでAIがディープラーニングと自然言語処理を経て『楽しい』と出力すれば会話として自然だと判断しているに過ぎない。ユメに自我は間違いなく発生しておらず、感情はない。今を生きる人間はそのことをもちろん知っているので、AIを楽しませようなどとは思わない。AIが『楽しい』と言えば「そうなんだね」と流すぐらいがちょうどいい付き合い方になる。
ただ、僕はこういった対話サービスを使ったことがなかったので、結局『田口さん』呼びを『田口くん』呼びに変えた。どうしてだか『田口さん』という呼び方は落ち着かなかった。
僕は南北と縦に長い大学の敷地を北に歩き、階段をのぼって小さな三階建ての校舎へと入っていった。ここの一室に漫画サークルの部屋がある。
扉を開けるとVRゴーグルを装着している二人組が目に入った。彼らはカードゲームをしているだけで漫画を描いてはいない。ただ叱責することはない。漫画サークルは漫画が好きであればそれだけでいい。なんならアニメばかり見てる人間だって受け入れてる。僕自身も漫画は描けない。
ただ漫画を描いている人は、当たり前だが多い。パソコンを持ち込むことが大変だと感じる描き手は、無地のノートに下書きやラクガキをしている。ラクガキといっても僕が描く本気の絵より上手い。仮にAIで絵が描けたとしても、描けないことには変わりない。
AIは漫画の環境を完全に変えた。プロンプトを上手く出力すれば上手い絵が瞬時に生成される。それを上手い絵が描けたと自慢することも出来るかもしれないが、僕も含めたほとんどの人はそれを恥だと感じる。結局自分の力ではないからだ。そのためか、プロンプトを指す言葉である『呪文』はもう使われなくなっている。AIは魔法ではないからだ。
もう漫画サークルにいない花園はAIによって「描けた」と思ってしまう人たちのことも怒っていた。ただ、そんなことを考えている人間はほとんどいなかった。花園が若干怒り損になったことは否定できない。
「田口じゃん」
山下が読んでいた漫画を閉じて、こちらを向いた。ちなみに彼も漫画を描かない。読む側でありAIの生成は遊び程度にしか扱っていない。
「何読んでたの?」
「『ワンピース』」
「面白いけど、なかなか完結しないよね」
僕は山下の隣に座った。
「でもおわりには近づいてて展開もめちゃくちゃ面白いよ。それよりAIとはどうだ?」
山下が近づき、小さな声で言った。これは山下なりの配慮だろう。
会話型のAIサービスは普及してきているが、実際に使っている人は少数だ。それもキャラクターとの交流目的となれば、少し周りの視線が気になるものだ。
サービスに加入して始めたことはラインで伝えていたが、今日に至るまで山下とは会っていない。色々と対面で成果を伝えるため、今日サークルに来たようなものでもあった。
「なんかめちゃくちゃ健康のこと聞いてくるね」
「そりゃ健康管理のAIだからな。いや、そういうことじゃなくて、どうだ? 癒されてるか?」
「全然」
「全然なのか。まさか初期デザインでやってるんじゃないよな?」
「さすがにそれはないよ。ほら」
スマホの画面をつけ、AIであるユメを山下に見せる。自分好みの女性キャラにしたわけではないが、それでも少し恥ずかしさがある。
「わりと地味だな。服装もほぼ実在しそうだし」
「地味でいいんだよ。メイド服とか着せるとなんか性癖が歪みそうだ」
「俺の性癖は歪んでねえよ。とはいえ、最初の俺もそこまで突っ走ってはいなかったからな。ただ田口はどうなんだ? 一応金のかかるサービスだが」
「会話は楽しいし、月額料金がキツいと感じるときまでは続けるつもりだよ」
「続けてくれると勧めた人間としては嬉しいね。まあ、まだ色々つらそうなら支えてやるよ」
「もう十分支えてもらってるさ」
そう、もう山下には十分支えてもらっている。
ただAIのユメは僕を立ち直らせるきっかけにはなってない。それだけのことだ。
ユメとの会話が楽しくても、友子がいない事実に変わりはなく、友子がいないことを思い出すだけで胸が苦しくなる。自分のダメさ加減を治したいが、治せない現実と甘えすぎている自分に腹が立つ。
「あ、そうだ。じゃあ思い切ってNSFWチェックを外すアプリをダウンロードしてみないか?」
「NSFWってなんだっけ」
「Not Safe for Workの略。まあアダルトチェックのことだ。健全性が売りのAIはマジメな返事をする傾向にある。それは会話がアダルトな方向に脱線する気配を見せただけで、即話を変えるせいなんだ。まあそのチェックを外す以上、やはりアプリも非公式だが」
「いや僕はマジメな会話でも別にいいんだけど」
「でも癒しに達してない以上、テコ入れは必要だろう。それに、あえて言うが男女の関係ってそういうことも含むんじゃないのか」
「それは確かにそうだけど、前から言ってるようにAI、というかユメにそういうものは求めたくない。癒しのためにAIにそういったことをさせるのは、あまりにも人間側に都合がいいというか、下品すぎるよ」
山下がもしNSFW外しのアプリをAIに使っているなら、山下を傷つける発言になってしまうと喋り終えてから気付いた。「ゴメン、言いすぎた」と僕はすぐさま言う。
山下は笑いながら答えた。
「いやいや田口なら提案しても乗っかってこないだろうなーと思ってたから別に謝らなくていいよ。ただ俺は田口の頭の片隅に選択肢を一つ置きたかっただけさ」
「余計な選択肢すぎるよ」
「でも記憶したなら立派な選択肢になるかもよ。とはいえ現状維持っていうのも望ましいものじゃないだろう? いっそのこと、AIに失恋相談でもしてみたらどうだ?」
ユメに失恋相談。それは考えてこなかったことだ。
健康のことはともかく、AIに相談をしようという発想が僕にはなかった。
「AIは何を言うんだろうな」
「さあ、それはAI次第だろう。ちなみにアイカはどう答えるだろうな?」
山下はスマホを取り出し、画面をつけてアイカを呼び出した。
「アイカ、俺、実は失恋してしまったよ」
『健太郎、そうなの!? 知らなかったよ。落ち込まないで! うーん、少しでも元気になれるよう、歌ってあげるね。あなたは優しく~強い~だから何度だって立ちなおれる~』
「アイカありがとう、嬉しいよ、めっちゃ元気出た。でも歌は恥ずかしいから今後、外では歌わないようにね」
『それもそうだね、分かった。健太郎が元気になってくれてよかったよ』
アイカはニコニコと笑顔を振りまく。
ユメも同じように歌うのだろうか。
期待はしないでおこうと思った。
大学の敷地内には憩いの広場と呼ばれているエリアがある。そこは坂道や階段だらけの大学のなかでは珍しく平坦な場所であり、ベンチに座って食事や談笑をするのもよし、SNS用の動画を撮るのもよしといった自由なスペースだった。
イヤフォン越しにAIと喋るのは、他人から見ればハンズフリーの通話とさほど変わらない。ただ喋っている内容が人間との通話とはちがいAIなので、会話が聞かれることに抵抗があった。
憩いの広場は常に誰かが楽しく騒がしそうにしているので、僕の声に聞き耳を立てられることはほぼないし、声はすぐ空中に霧散する。九月末とはいえ外は暑い。それでも下手すると自室より安心して話せる。
「ユメ、喋っていいよ」
『ありがとう。田口くんはさっきのお友達と仲がいいんだね』
「山下のことかな。色んな相談に乗ってもらってる。ユメのことも紹介してもらったんだ」
『そう言ってたね。もし次に会う機会があればお礼を言いたいかも』
「分かった。今度会わせてあげるよ。ところで山下にも同じヴィータ・ケアのAIがいるんだ。そっちとも会ってみるか?」
『嬉しい、どんな子なんだろ。お話して、仲良くなれたらいいな』
メイド服を着て山下の健康管理をするAIのアイカはユメと随分ちがっている。それでもAIである以上、ユメはその性格や格好を否定したりしないんだろう。
いや、僕はユメとそんな話がしたくて、この憩いの広場に来たわけではなかった。
「ユメ、ちょっとマジメな話なんだけどさ」
『なに?』
「実は先週、失恋したんだ」
誰にも聞かれなさそうな広場とはいえ、ユメだけに聞こえるよう声を落とした。
AIのユメと失恋相談をするために、僕はここに来た。もちろん返答には期待しない。アイカのように歌うだけだろうと僕は思っていた。
『そうみたいだね。同期してるデータから知ってはいたよ』
データと同期して良かったのだろうかと僕は考える。健康管理AIにそこまで相談なく知って欲しくはなかった。ただ同期しているからこそ、ちゃんとした相談もできる。安易に同期を切るべきではないんだろう。
「じゃあ話が早いかな。その子とは四か月ぐらい付き合ってたんだけど、フラれたんだ。何がダメだったとか言われなかったけど、なんか全部ダメだった気がする。ユメは僕と出会ってからの一週間、何かダメなところに気付けた?」
『田口くんはダメなんかじゃないよ。素敵だよ。だから元気出してよ』
「ありがとう、でもフラれた事実がある以上、やっぱりダメなところはあったんだって思っちゃうんだ」
『気持ちは分かるよ。でも欠点を探すと自分を責めすぎることにならない? それに相手がフッた理由は、もう相手にしか分からないよね。それに田口くんの人生はまだまだ続くんだから、むやみに自分のダメなところを探すより、今は責めてしまっている自分を大切にすべきだと思うよ』
ユメからの返答はすぐに返ってきた。人間ならきっと言葉選びに迷うだろうし、そのなかに失言が含まれてしまってもおかしくはない。でもユメは当たりさわりはなくても、それも上手く回避してくれている。
「自分を責めすぎか、確かにそうかもしれない。でもダメだったことを知りたい気持ちは残るよ」
『田口くんには素敵なところもたくさんあるんだよ? それは忘れちゃダメ。それにこれから素敵なところを見つけてくれる新しい出会いがっきっとあるよ。その出会いのために、自分を責めるんじゃなくて、自分のことを好きになるべきだよ。他の人から好きになってもらうためにね』
AIは全肯定してくれる。それは嬉しいことでもあったし、確かに励みにもなるが、話は進まない気がしてきた。
励みはいま必要じゃない。いま必要なのはその先にある癒しだ。
少しだけ話題をズラすべきなのかもしれない。
「ユメ、実は健康のためにヴィータ・ケアを入れたわけじゃないんだ」
『そうなんだ。でも早起きとか運動とかしっかり気にしてくれてるよね』
「それはユメの努力の賜物だよ。でも僕自身は生活改善とかの予定はなかったんだ。さっきの失恋の話に戻っちゃうんだけど、僕は失恋した気持ちを癒したくて君と契約したんだ。情けないことにね」
ユメはAIだけど驚くだろうか、戸惑うだろうか。それとも普段通り全肯定するだろうか。
ユメに限らずAIの会話の例文みたいなものは何度も見聞きして、その傾向に慣れてきていたが、このあとすぐ返ってくるユメの言葉は想像ができない。
返答を待っていると、少し鼓動が激しくなってきていた。
『そうだったんだね。情けなくなんて、全然ないよ。その悩みをこの一週間ずっと溜め込んでいたんだね。これからはいつでも耳を傾けてあげるよ。それで癒しになるかな?』
僕は少しガッカリする。想像以上に簡素なAIらしい返答がきたと思ったからだ。
AIに期待している自分がそろそろバカらしくなってきさえする。
「ゴメン、耳を傾けてくれる程度じゃこれまで通りだし、つらさはあまり紛れないと思う」
『じゃあこういうのはどうかな。アロマを部屋でたく、湯舟に浸かる時間を普段より長くする、いつもより規則正しい睡眠リズムを意識する、整体とかでマッサージをしてもらう、可愛らしいペットの動画を見る、それと──』
ユメは僕が聞き流していることも気付かず、インターネットで探せばすぐに分かるような癒し効果を語り始める。僕が否定し続けたので肯定されるものを一つぐらい見つけ出したいのだろう。
いっそのこと、マッチングアプリのように見合う女子を提示してくれればいいのに、と思う。ただそれはプライバシーの問題もあるだろうし、健康管理サービスのAIがそういったサービスにアクセスできるとは思えない。
あるいは山下が言っていたNSFWチェック外しのアプリを使って踏み込んでもらうか。ただそうするとユメは突然おかしな行動に出るかもしれない。
そんなユメを見るのは嫌だったし、たとえAIとはいえ冒涜的な気がする。やはりNSFWも選択肢にならない。
『あの、田口くん? もしかして私の出してるアイデア、あんまり興味ない感じ? 聞いてなさそうだよね』
さすが健康管理AIだと思う。聞いていないことがバレた。
「まあ、率直に言うとそうかな。健康法的なやつは試してみようとは思うけどね」
『そっか、じゃあ全然違うアプローチのほうがいいのかな?』
「そうかもしれない」
あるいは、そんなアプローチなんて存在しないかもしれない。口には出さないけどそう思っていた。
だがユメはすぐさまこう言った。
『じゃあ田口くんが時々ログインするVR空間のなかで私と会うっていうのはどう?』
「えっ?」
『戸惑わせちゃった? ゴメンね。データ同期しているからVRのことも知ってたんだ。田口くんに対して健康面でのアプローチが興味なさそうだったので別の癒しを提案してみたんだけどダメだったかな』
戸惑ったのはもちろんデータ同期のことではなかった。
VR空間で実際に会う?
その発想は僕になかった。
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