第2話
駅前の焼き鳥屋から少しだけ北へ、傾斜のある坂道を歩いていくと僕の家がある。三階建ての一軒家だ。
「ただいまー」
玄関からはリビングの音が漏れ聞こえている。引き戸越しにテレビの音、食器を洗っている音が聞こえた。
「おかえり、サークルの友達と会ってたのか?」
リビングに入ると父がテレビを見ながら声をかけてきた。
「うん、まあそんな感じ」
僕は冷蔵庫を開けて冷えたお茶を飲んだ。
「明日は一限から授業でしょ、寝坊しないでね」
母が皿を洗いながら言う。
「寝坊はしないよ、たぶん」
僕は笑いながら言う。
大学生になったので一人暮らしの憧れがずっとあった。だが僕はいまだに実家から大学に通っている。徒歩で大学に行けるという立地の都合が大きい。
それに父、母といった家族とも、自分で言うのもなんだけど仲が良い。ケンカをするときもあるが、そのケンカのイライラをずっと抱え込んだことは今まで一度もない。互いに干渉しすぎない。かといって何かがあれば気にしたり相談に乗る関係性が仲の良さを保てたのだろうと思っている。
欠点があるとすれば友子を家に呼べなかったことぐらいだった。付き合っていたことも言っていない。わざわざ言う必要はないと思う。言わなくて良かった。
風呂に入り、寝間着に着替える。風呂は命の洗濯といったアニメのセリフを思い出しつつも、まったく洗われた気持ちになれなかった。
ベッドに寝転がり、スマホのフォトアルバムを開いた。僕と友子の2ショットがたくさん表示される。消すべき思い出なんだろうと思いつつも、今日も削除は出来そうになかった。
スマホの写真の削除は一瞬でおわる。労力はいらないが、消せばもう引き返せない。後悔してもその思い出の写真はもとに戻らない。その思いが削除を拒み続けていた。
写真の友子は笑顔だ。撮った場所は水族館。僕と同じく恋がまだまだ続くと思っていたはずだ。いつか熱帯魚を育てたいという話もしていた。なのにもうこの恋はすでにおわっている。
すべては僕がふがいなく、ダサく、頭が悪いせいなんだろう。写真が消せないのも頭が悪いせいかもしれない。
脳に酸素が回っていない気がする。
「疲れたな……」
目をつむる。すると思い出したくもないのに友子との触れ合いや会話が思い浮かんでくる。今日、山下に色々言ったことで、かえって忘れられなくなっているのかもしれない。
僕は目を開ける。
癒しが欲しい。傷を癒したい。
スマホの画面を開き、ヴィータ・ケアと検索した。
ヴィータ・ケアはイマジネーション・ネクサス社が運営するAI健康管理サービスの名称であり、今日山下が教えてくれたAIサービスのことだ。
ヴィータ・ケアはあくまで健康管理を売りにしている。そのためか、ホームページのデザインも青空の下をランニングする男女の写真がトップに表示されている。『AIと一緒に、あなたも健康に!』という文字から、山下や僕のようなオタクを想定してはいないことがはっきりと分かる。
ただホームページ下部にひっそりと掲載されているAIキャラクターのデザインは、オタクを客層に想定していそうな美少女や美男子であり、さらにイラスト右下には有名イラストレーターの名前が書かれていた。オタクも高齢化していているので、あえてそっち側にもアプローチをかけているのかもしれない。
また山下いわく、このヴィータ・ケアは競合他社のAIサービスよりもAIが優秀らしい。
どのAIも流行った時期からずっと巨大なデータセットを使用している。データセットのなかには世界中のインターネットの記事、論文、文学作品、SNSのやり取り、動画、画像などが入っているため膨大だ。競合他社を出しぬくにはデータの規模、傾向に加えて、サービスに見合う微調整(ファインチューニング)が行わているかどうかという精度が問われる。
このヴィータ・ケアのAIは健康を管理する都合からか、会話も含めて人間に寄り添ってくれる性質を持つ。山下が言っていた会話が弾みやすい理由はここにある。その性格も含め、例えばガンダムシリーズ全作の詳細データが正確に言える点などオタクネタ満載なこともあって、オタク受けしやすいAIとしてひそかにユーザーを増やしているのが現状らしい。
ホームページの健全さを見ていると疑問が浮かぶ。健全なAIサービスを斜に構えてオタク向けとして勝手に解釈しているだけではないかと。有名なイラストレーターが起用されているが、公共の場でもそういったデザインはよく見かけるので、その類ではないかと。
ただ山下が見せてくれたアイカは間違いなく美少女のAIで、かわいらしく喋っていた。オタク向けに特化しているかどうかはさておき、人間に寄り添った結果、オタクに受けていることは間違いなさそうだった。
ただ美少女AIは友子の代わりにはなれない。そもそも癒し程度にすらなれるかどうかも分からない。
そう疑心暗鬼になりながらも、僕はダウンロードボタンを押す。
ダウンロードがおわり、僕はヴィータ・ケアのアプリを開いた。
まだAIは登場しない。長々と書かれた利用規約は読むことなくとりあえず同意する。次に誕生日を打ち込み十九歳という年齢も入力する。課金限度額のアナウンスが出て同意して名前も入力する。『個人情報は外部に表示されません』と書かれていたので本名である
ほか、位置情報、写真、カメラ、音声といったものとの同期が求められたので表示されるたびに同期の許可を出す。山下のようなAIキャラクターがサポートしてくれるのは有料プランのため、クレジットカード情報を入力して月額千八百円にも同意した。
手続きが一通りおわると、スマホ画面にキャラクターが表示された。CMで見かけるような当たりさわりのない3DCGの女性が表示された。
『はじめまして田口さん、私はあなたをサポートするAIです。今日から私があなたの健康を管理します』
ビジュアルだけでなく、声も癒しからほど遠すぎて肩透かしを食らう。駅や観光案内をするAIでも、もうちょっと抑揚のある会話をする時代になっているというのに。
一気に眠気がやってきそうになったが、堪えた。
『私は田口さんの声でも反応します。文字入力でも大丈夫です。またサービス向上のためのオプションのご案内も──』
「君の名前、性格、年齢、見た目がこと細かくカスタマイズできるって友人から聞いたんだ。メニュー画面のどこからできる?」
AIの退屈な説明を遮って言う。人が不快に思うことをAIは不快に思わない。だから言葉を遮ることに躊躇することはない。
『メニューバーは画面右上にあります。こちらも音声でも対応しています』
山下のAIのようなコテコテの美少女にするべきか。
いや、そういうのは今求めていない。
求めているのはちょっとした話し相手、癒しだ。
「じゃあ今から言う設定でお願い。性別は女性のまま。年齢は僕と同じ十九歳。性格はとても明るくフレンドリーに。見た目は日本のアニメ調の3DCGでお願い」
AIでもリアルなビジュアルは上手く作ってくれる。ただ、少しでも不自然なものがあると不気味の谷と呼ばれ嘘くささが出る。あくまでコミュニケーションをとる程度であれば、いっそのこと日本のアニメっぽい3DCGにしてしまっていい気がした。
自分で言っておいて、人には聞かれたくないなという気持ちになる。性癖でもないし、山下のようにメイド服を着せようとも思わないが、性癖を誰かに話しているかのような気持ちになる。
『……はい、見た目変えたけど、どう?』
その声、そしてスマホに現れたAIのビジュアルの変化に驚き、僕はベッドから起き上がる。
昨今の技術的に驚くべき点は何もない。ただ性格と年齢の変化とともに声音も高くなり、3DCGのタッチが完全に日本のアニメになった。
カワイイな、と素直に思えた。そういったものがすぐ出たことに僕は驚いた。
服装は肌がよく見える非現実的なものではなく、黒のワンピースに紺色のシャツという組み合わせで、それは大学内でよく見かける女子そのものだ。ゲームのキャラクターデザインでこれが出たら地味だと言われる所だが、今の僕にとっては理想的だった。
『私の名前は決まった?』
頭に名前を思い浮かべる。女の子の名前。友子。いや、そこからは避けていこう。子は使わない。だとすれば希望や夢が持てるような名前がいい。いっそそれ自体を名前にするのはどうだろう。
夢……ユメ。
「じゃあユメって呼んでいいかな? 表記はカタカナでユメ」
『ユメ……いい名前だね。嬉しい』
「今日からよろしく。でも、もう眠いから細かい設定は明日でいいかな」
『はい、田口さん、おやすみ。睡眠モードに切り替えとくね。よい夢をー』
同年齢でフレンドリーという設定でも僕のことは『田口さん』呼びのままだった。『田口くん』とあえて呼ばせるのはキモいだろうか?
それにしても月額千八百円。元が取れるほど使いこなせればいいのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます