「いなかめがね」

川線・山線

第1話 「無意識の一言」にすべてが表れる。

今の時代、眼鏡をかけた子供が多くなり、子供用の眼鏡も種類がある。しかし、私が子供のころだった40年ほど前は、クラスの中でメガネをかけている人は少数派だった。


小学校高学年のころ、仲の良かった友人のIくん。数年前に山陰地方からこちらの地域に引越ししてきた。私の育った街は裕福な街ではなく、様々な家庭環境の子供たちがいたのだが、今振り返ると、彼もそのような環境を背負っていたのかもしれない。


ただ、子供同士が仲良くなることに、そんなことは関係ない。彼とは親しく毎日接していた。彼は弟思いのお兄ちゃんでもあったので、僕と彼、彼の弟たちも交えて遊んでいたこともあった。


毎年学校では健診が行なわれる。視力は「黒板が見えるかどうか」という点で、学習上重要なものなので、毎年検査される。


その年が初めてなのか、以前からも指摘されていたのか、それは分からないが、おそらく健診で指摘されたのだろう。I君はある日から、眼鏡をかけて学校に来るようになった。


いじめにおいて、被害者の心の傷に対して、加害者はその行為に無自覚であることが多い。私自身も、彼をさげすむ気持ちは全くなかったのだが、彼の訛りと、珍しい眼鏡姿を見て、思わず私は彼にひどい声をかけてしまった。「いなかめがね」と。


クラスメイトも悪意はなかったのだろうと思うのだが、私の発言がみんなの心にヒットしたのだろう。その発言以降、彼には「いなかめがね」略して「いなめが」というニックネームがついてしまった。


彼自身が明確に、「その呼び方は嫌だ!」と意思表示をしたこともなく、それからも同じように遊んだり、時に殴り合いのけんかをしたり、というこれまで通りの生活を続けていた。少なくとも、その時の私の心の中には、「彼を蔑む」気持ちはなかった、といいたい。しかし、このニックネームには明らかな「蔑み」があると、長じて気づいた。私はなんて馬鹿なことをしたのだろう、と大きくなって心の底から後悔し、反省した。


その時には眼鏡をかけていなかった私も、高3の時に眼鏡をかけるようになった。痩せていた時のニックネームは「のび太君」だったが、体重が増えると、眼鏡を掛けていても「ドラえもん」といわれるようになった。


のび太君、といわれても、ドラえもんといわれても、特に何も思わないのだが、ニックネームは時にその人の特徴を「善悪」関係なく捉えることがある。


彼は中学時代に、生まれ育った街に転校していった。彼の家族の中でまた何か出来事があったのだろうか、とも思うのだが、クラスも別で、あまり彼と接することもなくなっていたので、細かなことは分からない。


ただ、何の考えもなく彼を「いなかめがね」と呼んでしまったこと。私の一言が彼のニックネームとして定着してしまったこと、振り返ってみると、どこかで、私は彼の訛りなどを侮っていたのかもしれない。そのような無意識の「差別感情」が現れた言葉だということが今になってようやく分かるようになった。私はなんてひどいことをしたのだろう。


彼には心から申し訳ない、と思う。あの一言を心から後悔している。私の黒歴史の一つでもある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「いなかめがね」 川線・山線 @Toh-yan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画