ピッカピカ!

昼星石夢

第1話ピッカピカ!

「ちょっと、バイトの子が急に休むことになったから、ヘルプで行ってくる!」

 それまでリビングでゴロゴロしていた夫が、いそいそと着替えたパンツの後ろポケットにスマホを突っ込みながら、僅かに顔を覗かせ言ってきた。

「え! 今日は夕飯と美和の世話、あなたが当番でしょ!」

 五センチほど開いた扉からみえる廊下に怒鳴る。夫はもうそこにおらず、玄関のほうでガチャガチャと鍵を探す音がしている。

「仕方ないじゃん、ご指名だし! 他に入れる子いないっつってんだから!」

 その声とともに、靴をタッタ、と履いて逃げるように玄関扉を開ける音。

「ねえ、ヘルプはこっちなんだけど!」

 私の声は閉まる扉の音にかき消された。もう、他人にばっかりお人好しなんだから。

 舌打ちが出そうになったところで、美和が「お腹すいたーー」と部屋に入ってきたのでのみこむ。

「あーーちょっと待っててね。ママお仕事だから。もうちょっとあっちで遊んでて」

「えーー、お腹すいたーーお菓子食べてていい?」

「うーーん、お菓子は六時過ぎたら食べない約束でしょ? もうちょっとだから」

「やだやだあーー!」

 始まったよ、やだやだ攻撃。私の中では、これも六時以降の禁止事項に含まれるのだがやむを得ない。

「ほら、タブレットで動画見てていいから。あ、美和の好きなキャラクターがいるよお」

「ピッカピカだ!」

 最近の一番のお気に入りキャラクターを美和はそう呼ぶ。私の手からタブレットをひったくり、画面に映る黄色いネズミに首ったけで部屋を出る背中に罪悪感を覚えながら、パソコンに向き直る。今日までに終わらせたい分の執筆に戻る。

「更地を農地に転用し、出来た野菜をレストランで食材に使用する。新たな地産地消の取り組みが始まっている……」

 更地と農地にした際の固定資産税を比較した資料や、実際に足を運んだレストランのレポート、地産地消について書かれた論文を机に広げて、記事の下書きと睨めっこしながらキーボードで清書していく。

 書き写すだけでも、変更したい箇所や、別の言い回しにしたほうがいい部分が出てくる。記事の全体を確認して、正しい情報か、誤字脱字がないかの読み直しが終わったころには、すっかり日も暮れ、夕飯時も過ぎていた。

「ごめん、美和。遅くなった、もう近くへ食べに行こう」

「やったーー! お子様セット!」

 元気が有り余っている様子の美和にほっとしつつ、車で手頃な店を探す。平日の八時過ぎだと道はすいていた。一番近い回転寿司に行こうかと思ったが、さっきの美和の言葉を思い出し、もう少し距離のある、広場に近いファミレスへ行くことにした。美和はここの、おもちゃが付いたお子様セットが好きなのだ。ずいぶん待たせてしまったことだし、ご褒美としておこう。

 一階がくり抜かれた、ピロティタイプの駐車場に車を停め、垣根越しに見える広場に駆けていこうとする美和の手を引いて階段を上る。

 店内は混雑する時間を過ぎて、客はまばらだった。店員も一息ついていたところらしく、ゆったりと窓際へ案内された。

「お子様セットーー!」

 席に着くやいなや、美和が叫ぶので、私もついでにステーキセットを頼んだ。

「ママ、ステーキ食べるの? いいの? 今日はふつうの日だよお」

「いいの! ママもお腹すいたの!」

 美和は、先に店員が持ってきたおもちゃ箱の中をじっくり漁り、私が一番しょうもないと見ていた、分厚い黄色の光る眼鏡を選んだ。店員に笑顔で「これにする!」と言い、さっそく袋を破いて、装着した。

「ママ、見て! ピッカピカ!」

「あーー、だからそれにしたの? メモ帳もあったのに。それでいいの?」

「これがいいの! メモ帳いらない!」

「ええーー。ママ使うのに。どうせすぐにいらなくなって捨てるんでしょ?」

「捨てないもん! ずっと持ってるもん!」

「はいはい、わかったから大きな声出さない」

 美和は運ばれてきた、小さめのオムライスにブロッコリーとナゲットとゼリーが付いたお子様セットを満足気に見つめたあと、眼鏡をかけたままゼリーから食べ始めた。私にはデザートから食べる、という娘のこの感覚が理解できない。

 私がステーキを頬張っていると、さっき食べたはずの付け合わせのブロッコリーがつぼみにケチャップをつけて再誕していたので、美和を睨みつけ、お返しする。

 二人とも食べ終わったところで、トイレに行きたくなった私は、かたくなにトイレを拒否する美和に待っているよう言いつけ、席を立った。

 トイレから出て手を洗ったところで、スマホが振動した。見ると、クライアントからだった。

『あのーー、申し訳ないんだけど、もう一つキーワード増やせる? 道の駅についても書いといて欲しいんだけど。ほら、最近できたとこの』

 なんだと。冗談じゃない、明日納品するつもりだったのに! 後から条件を付け足すなんて!

 一段と疲れが出てきて、がっくり肩を落としテーブルに戻ると、美和がいなくなっていた。

 さっと血の気が引く。え、トイレにはいなかったはず――。

 テーブルの下を覗き、レストラン内をぐるりと回り、いないことがわかると焦りがつのった。レストランから出ようとすると「お客様!」と止められた。そうだ、お会計しないと……。店員にお金を払いながら事情を話すと、後ろを振り返ってから申し訳なさそうに子供は見ていない、と言う。店員は厨房のほうにいたらしい。

 外に出て美和を呼び、辺りを探す。

「美和ーー! 美和!」

 道路側を駆け足で見て回るが、それらしい姿はない。鼓動が強く感じられる。どこに行ったんだろう。あの馬鹿な電話のせいで! いや、やっぱりトイレまで連れていくべきだった……。

 駐車場で、私の両親ぐらいの夫婦が車へ乗りこもうとしていたので、思わず「あの、美和を知りませんか!」と声を掛けてしまった。その夫婦は驚いて目を丸くしたが、私の切迫した様子に首を振ったあと、車に乗るのをやめて探すのを手伝ってくれた。

「女の子ね? 何歳?」

 女性のほうが私と、さっきとは反対方向の道路側を探しながら尋ねる。

「はい、もうすぐ四歳です。でも背は低いほうで……私がトイレに行っている間にいなくなって」

「大丈夫よ、まだそんなに遠くへ行けないわ」

 母親に言われている気がして、泣きそうになりながら目を皿のようにして探していると、レストランのほうから「おーーい、おーーい!」と男性の声がした。

 女性と振り向くと、男性が駐車場の前で両手を振ってから奥の広場のほうを示していた。女性と顔を見合わせ、足早に戻ると、男性と合流して垣根を押しやり、無理やり広場へ出た。

 遠くのほうで黄色い二つの丸が光っている。耳をすますと無邪気な笑い声が聞こえる。

「こらーー! 美和ーー!」

 私の怒声にパタリと止まった光る二つの円盤がこちらを向いている。夫婦が両サイドから「まあまあ」となだめる。

 徐々に近づく美和に怒りながらも心の底からほっとする。不貞腐ふてくされている美和と私が礼を言うと、夫婦は「いえいえ」とニコニコ笑った。

「いい眼鏡してるな」

「ほんと。ぴかぴか光ってる。おかげで見つかってよかったわね」

 夫婦が言うと、美和はもう怒られたことを忘れたように、

「ピッカピカだよ!」

 と言った。

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