私のサイテーな眼鏡の記憶

無雲律人

私のサイテーな眼鏡の記憶

 私は伊集院部長が苦手だ。だってあいつは眼鏡を掛けている。


 私は小学校二年生の頃から眼鏡っ子だった。クラスの男子たちは、私を指さして「やーい! めがねブス!」やら、「めがねかっこ悪いな、このめがね猿!」やらと盛んに揶揄ってきた。同じ眼鏡っ子でも、カースト上位の女子には決してそんな事はしなかった。


 中学校に上がると同時に、眼鏡からコンタクトに変えた。そうすると、私はからかわれなくなった。というより、中学生にもなると眼鏡をしている人間が増えて来ていたので、今更からかいの対象になるだなんて事はなかったのだ。


 初恋は中一の時だった。ひとつ上の学年の野球部のエースに恋をした。


 先輩は、野球部のエースだけど読書も好きらしく、図書館で良く顔を合わせる仲だった。先輩は読書のし過ぎで目を悪くしたらしく、眼鏡を掛けていた。


 整った顔に掛けている眼鏡は、先輩の魅力を数段アップさせていた。クールに見えるその容貌から、ファンになる女子は校内に沢山いた。


 私は、中一のバレンタインの時に先輩にチョコレートを渡した。手作りの生チョコだった。すると先輩は、「手作りなんて何が入っているか怖くて食べられない」と言って受け取ってくれなかった。私は傷付いた。


 その時のショックから、高校は女子校に行って恋愛とは程遠い生活をしようとした。


 女子校なら恋愛に惑わされないと思ったら、倫理の先生が私の事を気に入って盛んにモーションを掛けてきた。先生と生徒の恋はご法度だ。しかし、私が行った女子校では先生と生徒が隠れて恋愛する事案が多発していた。


 私は一回り年上の先生の魅力に負けて、お付き合いをする事にした。もちろん校内では一応その事は秘密にしていた。


 先生とドライブに出掛けたある日、海が見える広場で、急に先生が助手席の椅子を倒して私に乗っかって来た。


「いや! やめて!」


 私はをするつもりが無かったからとても驚いて先生を突っぱねた。突っぱねた拍子に、先生の眼鏡が吹っ飛んだ。


 先生は驚きと怒りの表情を見せながら、「だったら何で俺と付き合った?」と凄みを利かせて来た。とても怖かった。


 先生は一応私を家まで送り届けてくれたが、以来二度と口を利く事は無かった。


 先生と気まずいまま高校を卒業し、男女共学の大学に進学した。


 私は大学では目立たないように、誰からも声を掛けられないようにと息を殺して学生生活をした。そして図書館に入り浸って勉強三昧の日々を過ごした。


 すると、今度は図書館司書の男性に目を付けられた。彼もまた、眼鏡をしていた。


 彼はいつも私におススメの本を教えてくれた。「この人とだったら、上手くいくかもしれない」と私は心が躍った。だから、彼にヴァージンを捧げた。


 すると、翌日から彼は私を無視した。彼の眼鏡の奥の目は、とても冷たい目になっていて、私を寄せ付けないオーラを纏っているかのようだった。


 彼は、ただヴァージンであった私を弄びたかっただけの、最低な人間だったのだ。


 そういう経緯を経て、私は眼鏡が大嫌いになった。


 眼鏡を掛けていた自分も嫌いだし、眼鏡を掛けている男性も嫌いだ。もう二度と眼鏡を掛けている男性なんて私の傍に寄せ付けない。そう、思っていたのに、就職した会社の部署の部長が眼鏡だった。


 私は想像力という想像力を働かせてシミュレーションをした。


 伊集院部長は既婚者だが、私を弄ぼうとする悪魔。

 伊集院部長は彼女がいるのに、私をセフレにしようとする悪魔。

 伊集院部長はパワハラが酷い最低人間の悪魔。


 そうやってシミュレーションする事で、伊集院部長を遠ざけようとしていた。残念な事に、部長は三十代後半の色香が漂う、彫りが深い私好みのイケメンだった。しかも、パワハラとは程遠い、リーダーシップと包容力に溢れた素晴らしい上司だった。


 ある日、伊集院部長から食事に誘われた。嫌な予感は的中した。やはりこの男は私を狙っていたのだ。私は何故こうも眼鏡を掛けた男性を引き寄せるのだろうか。


 断ると業務に支障が出ると思って、食事に付いて行った。そこで、案の定口説かれた。


「揶揄わないで下さい。どうせ奥さんか彼女がいるんですよね?」


 私ははっきりとそう突っぱねた。


「奥さん? 彼女? 何の話だ。俺は独身だし、彼女もいないフリーの人間だよ。そもそも、パートナーがいるのに君を食事に誘うようなだらしのない男に見えているのかな?」


 ちょっと罪悪感が芽生えた。


 お酒も進んで、私は今までに起きた眼鏡にまつわる記憶について、ペラペラと伊集院部長に話していた。


 部長は、相槌を打ちながら真剣に聞いてくれた。そして……。


「そんなに眼鏡の男が憎いならば、俺はいっそコンタクトにしよう」


 と、事もなげに言った。


「え? そんなに簡単に眼鏡をやめちゃうんですか?」


 私は動じた。そんなにあっさりと眼鏡をやめてくれるだなんて。


「今度の土曜日に眼科に行ってコンタクトを作る手はずを整えて来るよ。そうしたら、今度は正式にデートに誘っても良いかな?」


 私は困惑した。こんなに思いやり深く想われた事が無かったからだ。


「あの……お願いがあります……」

「何だ? 何でも言ってみろ?」


 私は思い切ってこう言った。


「眼鏡を、やめないで下さい。私の中の眼鏡の記憶を、素晴らしいものにアップデートしていって下さい」


 私の中のサイテーな眼鏡の記憶は、これから素晴らしい記憶にアップデートされていくだろう。眼鏡の奥に潜む、その優しいまなざしを知ったのだから……。



────了


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