眼鏡_4

 姿が映らないということは少し先の未来には自分は存在していないということだろうか。だが、今のところそれらしき予兆はない。体はいたって健康だし、周囲に危険はなさそうだ。

 何か別の要因があるのか?

 そこでSは考えた。もしこの先自分に何か危害が加わるのであれば、この眼鏡で予知できるのではないかと。


 Sは眼鏡を取り出した。ゆっくりとかけて、ヒンジについたボタンを押す。Sは大勢の人が通行している歩道に立っていた。眼鏡の中の世界も同じように人が流れている。Sが眼鏡を上にずらすと、歩道の中央で立ち止まっているSを怪訝な目で見ながら人々が通り過ぎていくのが視界に入る。眼鏡が見せる未来と大きな差はない。


 Sはとりあえず歩道の端によった。やはり、自分の身に危険が迫っているという感じはしない。ということは単純に僕が移動してしまい、少し先の未来ではあのビルの前にいないから映っていなかったのかもしれない。


 そう考えるとSは少し落ち着いた。

 もう、今日は帰ろう。そう思って眼鏡を外そうとする。


 その時、視界が乱れた。


「うわ!」


 思わず顔を反らそうとしてしまう。しかし、それはあくまで眼鏡の中での出来事。現実にはまだ起きていない未来だ。

 Sが眼鏡をかけたまま周囲を見渡すと、すぐ目の前に車が停車していた。交通事故だ。車は前方が大破しており、歩道に乗り上げ歩行者に衝突したようだ。周囲には数人の男女が倒れている。


「なんてこった!」


 眼鏡をかけたままレンズを少し持ち上げると、相変わらず賑わっている普段の街だ。

 少し混乱したが、これはじきにこの場所へ車が突っ込んでくるということなのだろうか。

 何にせよここにいるのは不味い。

 Sはその場を離れようとした。人混みの隙間を縫うように歩く。

 ふと、振り返ると歩道は相変わらず大勢の人が歩いている。このまま立ち去れば、自分は安全だろう。しかし、この結末を知った上で見殺しにして良いのだろうか。

 Sは悩んでいた。できればみんなを助けたい。しかし、方法がわからない。どうすればこの短時間で救える?もう三分もないはずだ。


 その時、遠くでエンジン音が聞こえた気がした。そちらの方を見ると見覚えのある車がチラリと見えた。


「うがああああああああああああ!!!」


 Sが大声で叫んだ。

 周囲にいた人が驚きSの方を見る。狙い通りだ。もうなりふり構っていられない。


「俺は自爆テロをするぞ!コートの下には爆弾を隠している!」


 一瞬の間の後、人々は後退り始める。まだ半信半疑なのだろう。


「クソ!早く何処かにいけ!ボタンを押すぞ!」


 そう言いながらSは眼鏡をかけた。眼鏡の中の世界ではSの周囲には誰もいなかった。ただ、一人を除いて。


 そこには一人の幼い男児がいた。地面に横たわっている。その先には大破した車。


 Sは眼鏡を乱暴に外した。周囲を見渡す。エンジン音は唸りを上げすぐそこまで来ている。


 みつけた!


 男児は人込みの最前列にいた。母親が手をつないでいるが、男児は状況がわかっていないようで、手に持っている車の玩具で遊んでいる。


「早く離れろ!!!」


 Sが怒鳴ると男児の母親は驚いたのか、思わず男児の手を放してしまった。自由になった男児が走り始める。すぐ近くに車のエンジン音、悲鳴も聞こえる。


 眼鏡で未来を見るまでもない。もう考えている時間はなかった。Sは男児を全速力で追いかけて、そして頭を守るように強く抱きしめた。


 直後に強い衝撃を感じ、視界が回る。

 終わったのだという実感。

 男児の無事を案じながら、Sは目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る