眼鏡_2

「………なるほど、これは大したマジックだな」


 Sが言うとハットの男は笑った。


「まあ、タネも仕掛けもありはしませんが」


 ハットの男はグラスの酒を少し飲む。


「………待て。未来が見えると、どうしてアンタが見えなくなるんだ?」


「それは、私がもうすぐこの店から出ていくからでしょう。ああ、でも、私はこの時代ではまだ生まれていないので、それが原因かもしれないですね」


「……………」


 Sは沈黙した。頭の整理が追い付いていない。バーで酒を飲んでいたら、いきなり未来人にナンパされた。そんなことあり得るだろうか?だが、実際Sの手元には量子眼鏡と言われるガジェットが確かな重みを伴って存在している。

 考えた挙句、Sは一つの疑問を持った。


「………あんたの言うことが全部本当だったとしよう。そのうえで、どうしてこれを私に渡すんだ?」


 Sがそう尋ねると、ハットの男はちびりとグラスの酒を舐めた。


「多くを語ることはできません。しかし、上手くいけば未来が変わる。私は未来を変えるためにここに来たのです」


「………話が壮大になってきたな」


 Sが少々げんなりしながら言うと、ハットの男はまた笑う。


「まあ、そこまで思いつめなくても大丈夫ですよ。あなたと私が出会い、あなたがこの眼鏡を手にした瞬間、新たな世界線に接続された。一度動き出した世界線は必ず一か所に収束します。だからそれは好きに使っていただいてかまいません」


「うーん、途中の意味がさっぱり分からなかったが、この眼鏡はくれるってことか?」


 Sが尋ねると、ハットの男はポケットからライターのようなものを取り出した。


「はい。ですが、プレゼントするにあたっていくつか条件があります」


「なんだ?」


「まず、それはソーラー充電です。定期的に太陽光を当てないと動かなくなります。あと、絶対他人には使わせないでください。そして鏡の前では使わないでください。それが条件です」


「どうして駄目なんだ?」


矛盾パラドックスが起きてしまう。そうなるともう修正は困難ですから」


 ハットの男は肩をすくめて見せた。


「………よくわからないが、好きに使っていいんだな?」


 Sは言質を取るようにハットの男に聞いた。


「かまいません」


「返却の必要は?」


「ありません。差し上げます」


「料金は?」


「無料です」


「オーケイ。じゃあ、これは受け取ろう」


「その言葉を聞けて良かったです」


 ハットの男はライターを胸の高さに持ち上げた。しかしタバコは銜えていない。


「それじゃあ、幸運を祈ります」


 カシュっという音、そして少量の火花が飛び散ると、そこにはもう誰もいなかった。


 Sは周囲を見渡すが、やはりハットの男はいない。煙のように消えてしまった。


「おいおい、変な夢でも見たのか?」


 思わず口走るが、カウンターの上に置かれたままになっている眼鏡が、これが夢ではなかったことを物語っていた。




 男はバーを出た。

 あと少しで日付も変わる頃だが、このあたりはまだ活気がある。Sはメガネを取り出してかけてみた。一見何も変わらない景色が映る。しかしよく見ると遠くで何やら人だかりができていた。目を凝らすとどうやら喧嘩のようだ。しかし、眼鏡を外すと、喧嘩どころか人だかりすらない。


「まさか、これから喧嘩が起きるのか?」


 Sがしばらく観察していると、ちょうど喧嘩が起きていたあたりで若者同士がすれ違いざまにぶつかったようだ。すぐにつかみ合いの喧嘩が始まった。


 再び眼鏡をかけてみると、眼鏡の中の世界ではパトカーが現場に到着しており、喧嘩は収まったようだった。

 眼鏡をはずすと、ちょうどパトカーが到着したところだった。


「間違いない。これは本物だ」


 Sは自分が手にしているものがとんでもないものであることをようやく理解した。興奮すると同時に不安と恐怖も湧き上がる。

 自分は何かとんでもないことに巻き込まれたのではないか?

 だが、ハットの男の話では特に何もしなくても良いとのことだった。彼もこの眼鏡でSの未来を見た上でそう言ったのかもしれない。

 であれば、普段通りに生活するのが一番なのだろう。


 Sは深呼吸して眼鏡をケースにしまった。

 少し落ち着こうと自分に言い聞かせる。眼鏡をもらう条件の一つに、他人には使わせないというのがあった。まあ、こんなものが存在していると分かれば世界は混乱に陥るだろう。下手をすれば戦争が起きるかもしれない。そうならないためには、ほかの人にこの眼鏡の機能を知られてはいけない。

 Sはケースを懐にしまい、その日は家に帰った。




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