第3話 銀縁眼鏡と老眼鏡
ショッピングモールのパスタ屋でランチを摂ったあと、橙子と美春は都心へ向かう電車に揺られていた。
ちょうど昼休みのタイミングだったとかで、不動産屋の男もノコノコくっついてきて一緒に食事したのだが、自分の分より少し多めに出しただけでカッコつけて去って行ったので、橙子は心底うんざりした。
だが、それよりあの男だ。市川支部長とその部下が連れ立っているところに出くわしてしまった。いくら結果的に無事だったからって、自分を殺しかけた二人だ。二人セットで目の前に現れるなんて恐ろしすぎる。
一瞬、息の根を止めに来たんじゃないかと思ったほどだ。幸い、それは間違いだとわかったが。
「ねえ、橙子さん。さっきの人、橙子さんのこと意識してたね」
美春にそう言われて、ギクッとする。が、彼女が言っているのはさっきの不動産屋の男のことだと気づいた。
「金払いの悪い男にキョーミないし」
どうやら美春は気づいていないらしい。美春がかねてからストーカーしていた、鹿沼という男が居たことに。
先ほど連絡先を交換した鹿沼とのやり取りで、橙子は初めて美春があの二人と同じ会社に勤めていることを知った。まさか自分を殺しかけた二人と美春が、同じ会社の人間だったとは。
……こんな偶然はいらない。引っ越しを決めておいてよかった。今後あの街には近づかないでおこう……
「ねえねえ、橙子さん。今日、橙子さんにもらったネイルしてきたの。見て」
隣に座る美春がピッタリとくっつき、手を開いて見せてくる。要らないのをあげただけだし、数日前に出会ったばかりなのにやたらと懐かれており、実に鬱陶しい。
「あー、はいはい。上手く塗れてる」
「似合う?」
「似合う似合う」
「練習したもん」
「サロンでやって貰えばよくない?」
「えー、見放さないでよぉ」
……こいつ、やっぱり執着対象をアタシに変えただけだ。
「見放すも何も、会うのは今日で最後だからね」
「……」
美春は聞こえないふりをしている。
そもそも今日だって、「正しい内見の仕方を教えてほしい」と無理矢理ついてきたのだ。
前回の引っ越しでは「ストーカー相手の家を見張れる場所」という一点に絞って部屋を選んだために住み心地がイマイチで、彼女も転居を考えているらしい。
心機一転、服装からイメージチェンジして自分を変えたいという彼女に押され、買い物にも付き合わされる羽目になったのである。
「そういやアンタ、ストーカーはやめたんでしょうね」
「やめました!」
「盗聴器は?」
「外しました!」
元気よく答えてくる。内容が不穏なだけに、かえって不気味だ。
「なんかさぁ、趣味でも見つけたら? アンタ無駄に行動力あるし」
「趣味かぁ……昔はアイスショーとか見るの好きだったんですけどね。最近はチケット全然取れなくて。またチャレンジしてみようかな。もし取れたら、橙子さんもご一緒に?」
「ぜってーヤダ」
……執着を逸らしたいから言ってんのに、アタシが一緒にやってどうすんのよ。大体、アイスショーって何よ。
「ま、これからは住む場所も離れるし、会うこともないでしょ」
「連絡は、してもいい?」
「別にいいけど返さないよ。そもそも生活時間帯が違うし」
「じゃあせめて、服選びの時はこれからも相談に乗ってください。橙子さん詳しいし、センスいいから」
「はぁ? まぁ……それぐらいなら」
「やったぁ。今日は何を買おうかな」
話しているうちに、車窓からの雰囲気がすっかり変わっていた。ほんの数駅離れただけで、街は全く別の色合いになる。
前の街のしがらみは捨て去って、新しい生活を始めよう。また殺されかけちゃたまらないし、とりあえず護身術でも習ってみようかな…と橙子は考える。
(もちろん、美春には内緒でね……)
鹿沼のスマホ宛に『連絡先消しといてよ』と最後のメッセージを送り、橙子は鹿沼の連絡先を消去した。降りる駅はもうすぐだ。
👓
目印は、空色トラックに白いパラソル。
岡田が言っていた移動本屋はすぐに見つかった。
爽やかな青空の下、車の外に出したガーデンチェアに腰掛け、二人は店主と談笑している。
「らぶ♡まっちょんさん、憶えてますよ。もちろん」
店主は微笑みながら、骨ばった指で薄青い眼鏡をクイッと上げた。
「俺も憶えてる!」
運転席の窓から、白髪の美少年が顔を出す。先ほどコーヒーをすすめてくれた子だ。飲めないから、と断ったが。
「つーか、強烈すぎて忘れられるかあんなもん」
灰色がかった瞳を大きく見開いて、ぐるりと目を回してみせる。表情豊かで実に可愛らしいけれど、見かけによらず口が悪い。
「でもシミ、彼のファンじゃないですか」
「……まぁ、試合は面白いから」
シミと呼ばれた少年は、口元をモゴモゴさせて車の中に引っ込んでしまった。
可笑しそうに微笑みながら、店主は淹れたてのコーヒーを一口飲んだ。移動本屋の車が止めてあるのはショッピングモールの出入り口近くだが、人の流れから少し外れた場所なので、静かで落ち着く。
「私は痛いことが苦手なので、まっちょんさんの試合以外はあまり見ませんが、彼のファンなんです。なんというか、彼のプレイスタイルは時に舞踊を見ているようで、美しいと思います」
市川が、我が意を得たりという顔で頷いた。
「舞踊といえば、岡田さん、近いうちにダンスエクササイズを発信するらしいですよ。踊って筋肉をつけながら護身術も学べるんだとか」
「へえ、それは面白そうです。私は踊れませんが、見るのは好きです。楽しみですね」
たしかに運動はあまり得意そうに見えないな…と、鹿沼は密かに思った。ミステリアスなイケメンだけど、正直好みのタイプじゃない。それどころか、腹の底を見透かされそうで少し恐ろしかった。
そう思った瞬間、店主がこちらをチラリと見て微笑みかけてきた。薄青い眼鏡の下で細められた涼しげな瞳に、ゾクリとする。
店主は市川に視線を戻すと、腕を開いて車の後部を示した。
「よろしければ、中をご覧になりませんか? もちろん買わなくて構いません。色々取り揃えてますから、見るだけでも楽しいと思いますよ」
「そうだなぁ。このところ文字が見えづらくて本は敬遠していたんだが、せっかく老眼鏡も誂えたことだし、久々に見てみるかな」
買ったばかりの老眼鏡をいそいそと取り出し、市川はステップをのぼり開いた後部ドアから中へと消えていった。
先ほどの眼鏡店で、「最近じゃ、紙の文章でもこうやって拡大しようとしちゃうんだよ」とピンチアウトの仕草をして見せていたのを思い出す。さっさと老眼鏡を買えばいいのになんだかんだと抵抗し、ようやく同意したかと思えば「百均のでいい」とか言い出すし、ちゃんとした老眼鏡を作らせるのに苦労したのだ。
(買えば買ったで、嬉しそうじゃないか。全く、世話の焼けるオッサンだよ……)
頭の中でそうボヤキつつも、満更でもない。フフン、と小さく笑う鹿沼の隣で、店主がメモ帳を取り出し、銀色の万年筆で何事か書き付け始めた。
サラサラとペンを走らせ終えると、席を立って運転席の窓へ。
「シミ、頼むよ」
「おう」
ぼんやり眺めていたら、戻ってきた店主と目が合ってしまった。
「親戚の子で、店を手伝ってくれてるんです。あの白髪は生まれつきで」
「そうなんですね。詮索するつもりは無かったんですが」
「まぁでも、気になりますよね。よく聞かれます」
店主は柔らかに笑うと、また一口、コーヒーを飲んだ。芳香がこちらにも漂ってくる。
「本が好きな子でしてね。体質的に日光が苦手なのもあって、車の中で一日中本を読んでいます。時々、古い言葉を使ったりして驚かせてくれるんですよ」
「本好きな子供ですか。僕は読書自体は嫌いじゃないんですが、読むのは教科書や参考書ばかりだったなぁ」
時間潰しに世間話をしていたら、シミ少年が数冊の本を抱えて車から出てきた。
「はいよ、てんちょ」
テーブルの上にドサッと置かれた本を一瞥し、鹿沼は目顔で尋ねる。
「これは、あなたのための本です。お節介ではありますが、必要かと思いまして」
店主の言葉に、鹿沼は一番上に乗った本を手に取った。
『フィギュアスケート世界大会写真集』
「……これは?」
「写真集ですね」
……そりゃそうだろう。見ればわかる。そういえば市川支部長、フィギュア好きっぽかったな。こそこそとスポーツ雑誌を読んでいるのを何度か見かけた。
『彼の胃袋つかんじゃお! ガッツリ&ヘルシー漢飯』
「……なんですか、これ」
「料理本ですね」
……そういうことが聞きたいんじゃない。どういうつもりか、と聞いてるんだ。
頭に来たが怒るのも癪なので、憮然としたまま他の本を見てみる。
『食事で防ぐ生活習慣病』
『生薬と漢方薬辞典』
『大切な家族を守るための基礎知識』
「……なんですか、これ……」
再び尋ねるが、先ほどとは違った心境だった。胃袋の上部がカッと熱くなり、引き絞られる気がする。
「遠くない未来に、あなたに必要になるかと。まぁ、今はネットで色々読めますから、購入の必要はないかもしれませんが」
「僕、会社の健康診断では問題ありませんけど」
「あなたではなく……」
店主は車の方へ視線を向けた。市川はまだ車内で本を物色しているらしく、出てくる気配はない。
「私には、あなた方のご事情は分かりません。でも、あなたに必要な本ならわかります。ここは、そういう本屋ですから」
銀色のフレームがキラリと光る。薄青いレンズに鹿沼自身の呆けた面が映っていて、店主の目は見えない。
「……失礼しました。必要無いのであれば、戻しておきましょう」
「買います!」
反射的に答えていた。おまけに、両手で本を押さえてもいた。
「……僕が管理してあげなきゃ、近いうちに市川さんは病気になる。そういうことですね?」
「どうやら、そのようです」
先ほどまで胃の上部でチリチリしていた熱が、胸いっぱいに広がる。
─── 僕が。
バツイチ一人暮らし。自炊苦手のコンビニ飯。酒と女に弱い筋肉バカ。鈍感でギャグセン無し。おまけに図体でかいくせにクソビビリ。
仕事はできるけど、本当にしょーもないオッサンだ。
でも、しょーもないからこそ。
─── 僕が、守ってあげなきゃ。
「全部ください!」
店主はにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。9400円になります」
店主が丁寧な手つきで紙袋にそっと本を詰めてくれている。それを見つめながら、鹿沼は唇と幸せを噛み締めていた。
(守る? 違う、そうじゃないだろ? 僕は、市川さんの胃袋と健康を、掴むんだ。それは……そう、彼の未来を支配するってこと。オッサンの未来は僕の思うがままってことだ)
一度は醒めた筈の昏い欲望が、噴出する。甘い痺れを伴う熱がじわじわと体を満たし、火照らせていく。勝利の予感に胸が滾る。
─── うんと甘やかして、思いっきり依存させてやる。僕しか見えないぐらいに。僕なしでは生きられないほどに。今に見てろよ、市川宗介!
「……全く、もう。上司とはいえ、世話の焼けるオッサンですよ。あ、お釣りは結構です」
喜びを隠しきれない声に、店主は気づいただろうか。でも、構うもんか。だってほら、眼鏡の下に指を突っ込んで目をこすりながら、情けない苦笑いで市川さんが出てきた。
「いやぁ、面白そうな本ばかりで選べませんでした。時間かけてじっくり選んだほうがよさそうだ。せっかく見せてもらったのに、すみませんね」
「いえいえ。気になさらないでください。ほら、こんなにお買い上げいただいたんですよ」
「えっ、鹿沼くん、いつの間に」
中を覗こうとするので、鹿沼は紙袋を抱きしめた。
「いいから。ほら、早く帰りますよ。街案内のお礼に、晩ご飯作ります」
「いや、お礼ならさっきネクタイ貰ったし」
「晩御飯はどうせ食べるんだから、ついでです」
店主と少年に会釈して、二人は駅に向かう。
「市川さん、めがね、しまった方がいいですよ」
「めがね? ああ、かけっぱなしだったな。老眼鏡」
妙に優しい気持ちになっている鹿沼が、珍しく微笑んだ。
「老眼鏡より、リーディンググラスって呼びましょう。その方が素敵だ」
「それ、いいねえ。ところで、晩御飯は何をつくるのかな」
「筍ご飯なんてどうです? それに、菜の花サラダ。メインは……おろしハンバーグ」
「最高だな。ハンバーグには、『目がねえ』…なんつって」
「……」
「おーい、鹿沼くん。無視しないで」
「親父ギャグは無視します。寒すぎて体温下がるんで」
うららかな午後の陽射しの下、みずみずしい芝生の香りの中。
駅までのレンガ敷きの小道を二人仲良く並んで歩く。
だいぶ暖かくなったけれど、桜にはまだ遠い。
春はまだ、始まったばかり。
おしまい
KAC20248 キャラはちょっとくらいヤバめがいい。ヤバめが、ね☆ 霧野 @kirino
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