彼は石部金吉

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石部金吉

 午後の陽光が大きな窓から差し込む教室。

 生徒たちの騒がしい話し声が反響する。

 昼休憩真っただ中の賑わいだ。

 その喧騒の中、一人の少女が黄昏れていた。

 元気な印象がする黒髪の少女だ。

 セミロングの髪、細い眉毛にぱっちりとした瞳。

 少し日に焼けた肌。

 痩せ型ではあるが胸もそれなりにある。

 少女の名前は倉本くらもと恵理えりと言った。

 恵理は、教室の窓から見える校庭の片隅を見ていた。

 いや、見ていたのは少年の姿だ。

 やせ形のオーバル型メガネをかけた少年だ。

 小ぶりで丸みのある形状のメガネをかけているためか、落ち着いた優しい印象がある。取り立ててカッコよくない目立たない男の子。

 アイドル似でもない、女の子に黄色い声を上げられる美少年でもない。

 これなら小太りな方が印象があって記憶に残りやすい。印象が薄いだけに、外面の採点はマイナスだ。

 酷な言い方をすれば、

 イモ。

 それは、決して明るく、良いイメージがない表現だ。

 ……でも、何だろう。

 イモは形が悪く土にまみれ汚れているが、この少年に当てはめると別の印象を受ける。

 素朴で温かく、日差しを受けて香る土の匂いが伝わってくる。

 そんな、少年だった。

 名前を佐京さきょう光希こうきと言った。

 光希は、学ランの上着を脱いだ状態で立ち尽くしていた。

 ゆっくりと息を吸い込んだ。

 樹木が呼吸する様な、深く長い呼吸をしている。

 そして、少年は目を閉じる。

 精神を集中させているようだ。

 そのまま数秒間動きを止めた後、彼は目をカッと見開く。

 突如、身体に圧倒的な力強さが宿る。

 右拳が放たれた途端、空気が波紋を描いた。

 まるで音の壁を打ち破るかのごとく、鋭く尖りながら進む空気の塊。

 大気を切り裂きながら進んだ拳は疾走する。

 拳に宿る力は並大抵のものではない。

 肉体から籠もる精神力が拳を呼吸させ、一瞬にして嵐のような咆哮と共に疾風怒涛の一撃となる。

 肩から先を使った突きではない。

 地を踏みしめる大地の反作用を脚から腰へ伝わらせ、腰の回転を利用しヒッティングマッスルと呼ばれる背中の筋肉群を使い上半身の力へと変換させる全身の連動を利用した突きだ。

 突きは右拳だけに終わらない。

 歩を進めながら左拳を放つ。

 左右両の手から放たれる無数の拳打。

 一呼吸の間に打ち出される無数の突きの応酬。

 それはあたかも、複数の人間が同時に放ったように錯覚してしまうほどのスピードと威力を持っていた。

 風を切る轟音が鳴り響き、次々と空気を裂く音が連なる。

 やがて、その拳は止まる。

 光希の呼気は乱れていない。

 むしろ、息一つ乱していないように見える程だ。

 しかし、額には汗が浮かんでいた。

 身体からは湯気が立ち上っている。

 それ程までに激しく動いた証拠である。

 恵理は自分の席に座ったまま、その様子をずっと眺めていた。

 光希の動作一つ一つに目を奪われていた。

 彼の動きを見ていると心が高揚してくる。

 胸が高鳴るのだ。

 理由は分かっている。自分が彼に恋をしているからだ。

 クラスが同じというだけで常に接点がある訳では無いが、それでも恵理は彼のことが好きになってしまった。以前から落ち着いた雰囲気と物静かな性格に惹かれていたが、決定的なのは不良に絡まれていた恵理を彼が助けてくれたことだ。

 光希は武術ウーシュー(中国武術)をしているというのは聞いていたが、あんなにも颯爽とした動きをすると思わなかった。普段の様子とは全く違うギャップがあり余計に格好良く見えてしまったのだろう。

 それに助けられて以来、彼を意識するようになったということもあるだろう。

(凄いなぁ……)

 恵理は感心するように呟く。

 だが、それで終わっていた。自分から積極的に話しかけることが出来ないため、それ以上は何も出来ずにいるのだった。

 もし告白すれば付き合えるかもしれない。

 それだけの好感度はあると思っているのだが、行動に移す勇気がなかった。自分の想いを打ち明けるという行為に対して抵抗感があるのだ。恥ずかしいという思いもあるのだろうが、それよりも今の関係を壊してしまうことに対する恐れの方が強いのである。

 そんな消極的な考えをする自分に嫌気が差しながらも、どうすることも出来ない状態だった。

「恵理。どうしたの?」

 その声は決して突然ではなかったが、思いにふけってしまっていたせいか反応するのが遅れてしまった。

 振り向くとそこには友人が立っていた。

 栗色のミディアムヘアをした美少女だった。

 色白の顔立ちで、整った目鼻立ちをしている。

 前髪を真ん中から分けており、童顔を大人っぽく見せ大きな目がはっきりと見えた。

 すらっとした体型をしている。

 名前ははやし響子きょうこという。

 響子は恵理が視線を向けていた先を見て、分かった様な表情をして恵理の顔を覗き込む。

「へえ~、佐京君を見ていたんだぁ」

 響子は、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 恵理は口をつぐんでしまう。頬が赤くなるのが分かった。分かりやすい反応に自分でも呆れてしまいそうだ。これでは肯定しているようなものだと思い誤魔化す様に言う。

「ち、違うわよ。私、陸上部だから校庭の状態が、ちょっと気になっただけよ」

 そう言いつつ顔を背けた。動揺しているのが丸わかりだ。そんな様子を見てさらに笑みを深くする響子であった。

「そうなんだ。だけど、こんな遠くから見てたって気持ちは伝わらないわよ。もっと近くで見てみたら? それとも見ているだけで満足しちゃうタイプなのかな?」

 からかうように言う響子に、少しむっとする恵理であったが言い返すことが出来なかった。実際、その通りなのだから仕方がない。

 でも、だからといって理由もないのに近くに行くなんて恥ずかしくて出来るはずがないではないか。そう思うと、やはり自分は臆病者なのだと再認識してしまう。情けない気持ちになり落ち込んでしまった。

「だって。私、男子と付き合ったことないし……」

 消え入りそうな声で呟いた言葉に、今度は逆に驚いた表情を見せる響子だったがすぐに優しい笑みを浮かべた。

「そう言われると、私もそうね。でも応援するよ! こう見えても私は恋愛経験豊富なんだから!」

 えっへんと胸を張る仕草をする響子に恵理は疑問を持った。

 発言に矛盾があるからだ。

「響子。経験豊富なのに、交際経験ないの?」

 恵理は思わず突っ込んでしまうが、響子は慌てた様子はない。

「少女漫画と恋愛小説はたくさん読んできたのよ。知識だけは豊富なんだからっ!」

 自慢げに話す響子の姿に苦笑するしかなかった。

 しかし、その明るさには救われている気がするのも事実だった。


 ◆


 体育館の女子トイレで、少女の奇声がこだましていた。

 個室から聞こえる声はとても楽しそうでもあるが、それは嬌声と言うべきものでもあった。

「ちょっと、何よこれ」

 そう言ったのは恵理だ。

 その表情は驚きに満ちており、赤面しながらも興奮を抑えきれない様子だった。

 なぜなら彼女のスカートは短くなっており、その丈はほぼ股の付け根までしかなかったからだ。陸上で鍛えた脚はしなやかで、滑らかな曲線を描いていた。スカートの丈が短くなることで、彼女の細い脚線が露わになり、そこから見える筋肉の発達ぶりは驚くほどだった。

「何って、これがスカートをウエストの所で折って短くする方法よ。基本は2つ折りで脚の付け根から膝の中間だけど、4つ折りにすると更に短くなるわね。ショーツ見えちゃいそう」

 そう言いながら響子はスマホを操作し画像を見せてきた。それはネット上にあるファッションサイトのブログ記事であり、そのページのトップでは制服をミニスカ風に改造した女子高生が写っている写真があった。

 2人は今、女子トイレの個室にいた。

 別に変な行為をするためにここにいるのではない。

 光希を誘惑するための作戦会議をしているのだ。

 内容は至ってシンプルである。

 スカートを限界まで短くすること。それによって下着が見えるギリギリまでスカートをたくし上げ太ももを露出させ、光希の目を引き付けさせるというものだ。

「色仕掛けなんて、私には無理よ」

 泣きそうな声を上げる恵理に対し、呆れたように溜息を吐く響子だが目は笑っていた。

 そして諭すように語りかける。

 その言葉には少しの怒りが含まれていた気がした。

「仕方ないでしょ。今までどれだけ作戦を考えて実行しても効果なかったんでしょ。朝の挨拶を頻繁にしてみたり、授業が分からないフリをして佐京君に訊く作戦も人を紹介されて駄目だったでしょ。佐京君は、恵理にまず関心そのものを持ってないの。だから少しでも興味を持たせるために手段を選ぶにはもう《色》しかないのよ。分かる?」

 厳しい言葉だったが、正論であるため反論できない。むしろその通りだと思う自分がいることにも気付いていた。意識して貰えなければ何も始まらないのだということを改めて実感させられた気分だ。

「男の子ってみんな、ちょっとエロい女の子が大好きなの。恥ずかしそうな顔をしながら短いスカートとか履いているだけでドキドキしてくれるものなのよ」

 響子のアドバイスを聞きながら恵理は想像してみる。

 光希が恵理の脚に見とれる姿を想像すると自然と笑みが浮かんだ。

「……確かに、悪くないかも」

 恵理は、思わず頬が緩みそうになったが慌てて引き締め直すことにした。


 ◆


 その日、恵理は光希と日直を務める日だった。

 必然的に二人で役割をすることが多くなるので、仲良くなれるチャンスだと思っていた。

 恵理は男子の視線をいつもより多く感じていた。丈の短くなったスカートからは綺麗な脚を覗かせており、そこから伸びる足はスラッとしていて魅力的に見えるのだ。

 恵理は陸上部でランナーとして活躍しているため脚は鍛えられており、無駄な脂肪は一切ついていない引き締まったものだったため男子生徒たちの注目を集めることになったのだろう。

 恵理の容姿もまた魅力的であった。

 彼女の清潔感あふれる美しい顔立ちには、ふとした表情の可愛らしさが溢れていた。髪は艶やかになびき、目は輝いているように見え、微笑むと口元からは素敵な笑顔が生まれていた。

(なんか恥ずかしいけど……)

 見られていることを自覚しつつも悪い気はしなかった。

 さすがにスカートの4つ折りは過激と思って3つ折りにしたが、それでも効果はあるようだ。

 光希と移動教室の窓を閉め照明を消す作業を行っていると、彼の視線が恵理の脚に向いていることに気付いたのだ。そう思うと顔が熱くなるのを感じた。心臓の音が激しくなっているのが分かるほどだ。緊張しているが、それ以上に嬉しかった。

(私、佐京君に見られてるんだ……)

 そんなことを考えている間に作業を終わらせることができた。ほっと一息つくと同時に、少しだけ残念な気持ちにもなる。もう少し長く見られていたかったという気持ちがあるのだ。

 移動教室の施錠をし、二人で廊下を歩いていると光希の方から恵理に話しかけてきた。

「倉本さんのスカート、いつもの丈と違うね。サイズを変えたの?」

 と聞いてきたのだ。予想外の質問だったので一瞬戸惑ったものの正直に答えることにする。どうせ隠すようなことでもないのだからと思ったのだ。

「これはウエストの所で折って短くしてるの。ファッションよ。丈が長いスカートだと野暮ったい感じになるから短めにしてるのよ」

 それを聞いた光希の反応は意外なものであった。目を丸くさせて驚いている様子だ。

「そうなんだ。通りで健康的だと思ったよ」

 そう笑顔で言われ、恵理の顔が真っ赤に染まるのが分かった。胸の鼓動が激しくなり息が苦しくなるような感覚に襲われる。恥ずかしさのあまり逃げ出したい気持ちになったが、ぐっと堪えることに成功した自分を褒めてやりたい気分だった。

「……それって、可愛い。ってこと?」

 恵理は恐る恐る聞いてみる。

 が光希は返事をしない。その代わりに恵理の脚に視線を注いでいる。まるで吸い込まれてしまいそうなほど真剣な眼差しだ。その視線を感じ取ってしまいさらに恥ずかしくなるが同時に嬉しさもこみ上げてくるのだった。

「良い筋肉だね」

 光希は呟いた。

「え?」

 という声が出てしまうのも無理はないだろう。まさかそんなことを言われるとは思っていなかったからだ。しかし彼は特に気にする様子もなく言葉を続けた。

「蹴り技で重要な筋肉は大腿四頭筋、ハムストリングス、大腿二頭筋、臀筋群、腓腹筋。これらの筋肉が体を安定させ、連動することによって力強い蹴りを繰り出すことができるんだ。僕が使う三皇炮捶拳は手技が中心で蹴り技は、あくまでも補助として用いるんだけど、陸上をしている倉本さんの脚をみていたらやはり上半身を支える下半身の強さも必要なんだって再確認したよ」

 光希は、いきなり早口になったかと思うと今度は興奮した様子で語り始めたのである。その姿はいつも冷静沈着な彼とは思えない姿であった。

 恵理は、光希が武術ウーシューをしていることは分かったのだがそれにしても熱が入りすぎではないかと思った程だ。しかも言っていることの半分くらいは理解できなかったし、何より勢いに押されて圧倒されてしまったというのが正直なところだった。

 光希は正面を見据えトレーニングと蹴り技の鍛錬を考え始めていた。彼は、もう恵理の方を見ていなかった。


 ◆


 放課後の教室で、その話しを聞いた響子は、げんなりとした顔をしていた。

「色仕掛けが通用しないなんて……」

 響子は頭を抱える。

石部金吉いしべきんきちって本当に存在するのね」

 恵理は自分に女としての魅力がないのかと落ち込む。


【石部金吉】

 石と金の二つの硬いものを並べて人名のようにした語。

 非常にきまじめで物堅い人。

 特に、女色じょしょくに迷わされない人。


 光希は、脚線で誘惑しようとしていた恵理の脚ではなく、その筋肉の発達ぶりにしか目がいっていなかったのだ。

 それなのに効かないということはよほど好みから外れているのか、それとも別の理由があるのかのどちらかということになる。

「やっぱり私の魅力が足りないのかな……」

 落ち込む様子を見せた彼女に、響子は前途多難な恋をした友人に対して同情の気持ちを抱いていた。

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