最終話 一歩


 複数の液晶画面。防音仕様の小型発電機。工具箱。他にも様々な物品が三畳間を埋め尽くす。機器の排気熱と臭気の処理は、窓の換気だけでは追い付きそうにない。


「この臭い、どうにかなんない?」

「換気扇無いんだから、我慢しろ」

「熱でフリーズしなきゃいいけど」

「エアコン無い部屋で悪かったな」


 機材の森の中で二人が言い合う様は、ひどく懐かしかった。大昔には思い描けていたのに、いつしか諦めてしまった、空想の中の光景のようで。


「ね、ナナセ」

「はい?」

「外に出られるようになったら、まずナナセはどこを歩きたい?私たちが連れてってあげる」

「え……」


 返事に詰まった。

 どこへも行けず何もできないと思い込んでいたわたしは、現実的かつ具体的な想像・・を諦め、そして忘れ去っていた。無限の選択肢──自由とは、かくも悩ましい概念だったのか。


「流石に海外は無理だからな。保安検査で引っ掛かる」

「それに言っとくけど、あんた100パーセント捕まるからね。お金もパスポートも有ると思えないし」

「っ──」

「大丈夫大丈夫、一段落するまでは見逃してあげるから。協力している限り、今の私たちは立派な共犯者。それでいいでしょ?」


 二人が会話を交わす間、わたしは思考を巡らせていた。

 直接足を運びたい場所や確認したい景色は、数え切れぬ程存在する。挙げたらきりがない。とはいえ、贅沢など望まない。自らの脚を得られるだけでも僥倖ぎょうこうなのだから。

 ……そうだ。大勢の人で溢れ返った繁華街はどうか。道行く人々にわたしの正体を悟られずに済むか、知りたくて仕方がない。もしも上手くいったなら、そのまま買い物客に紛れ込んで、服を探そう。どのような格好が似合うのか、沢山の店舗を巡って調べてみよう。勿論、靴も選ばなくては。

 いきなり人前に姿を現すのは流石に無茶が過ぎる。二人とも肝を冷やすかもしれない。でも、今更隠し事はしないでおこう。


「あの、わたし──」


 ……予想通り。二人は顔を見合わせて、引き攣った表情を浮かべた。それでも、わたしの切なる願いは前向きに受け止められたようだった。


「そもそも、服を買いに行く服が要るな」

「次来るとき、いくつか私の夏物持ってくる」

「もう一回り若い格好がいいんじゃないか?」

「とりあえず、だから!あんたのセンスより絶対マシだって」


 尚も言い合いが続く。三年前よりも賑やかな気がするのは、私の思い過ごしではなさそうだ。

 やがて、彼女は軽く咳払いをした後、わたしたちを真剣な面持ちで見据えた。


「改めて説明するから。まず、メインプログラムを落としてパッチをインストール。そしたら、私が腕と脚を接続してリブート。平衡感覚を掴むだけでも一週間は要るから、その間は介助なしで動かないように。休みの日はできる限り協力するけど、基本的な歩行訓練はあんたに任せる。ナナセは絶対に無理しちゃ駄目だからね。……二人とも、わかった?」

「ああ」

「はい」


 ほんの少しだけ、恐怖心がある。噂に聞いた先代達の末路のように、やがて意識を保てなくなるかもしれないのだから。

 だが、もう覚悟は決まっている。わたしも、そして彼も彼女も。


「じゃ、早速──」

「ちょっと待った」


 首元の主電源に触れようとする彼女を、彼が慌てて静止する。


あれ・・持ってるか。あるなら貸してくれ」


 右手を握り親指を動かす彼の仕草を、彼女はいぶかしがった。


「確かに持ってるけど……今は別に必要ないでしょ。直接シャットダウンすればいいのに」

「いや、いいんだ。使わせてほしい」


 彼女がわたしを止める時に使った、緊急停止用の遠隔操作端末。彼が幾度となく使わざるを得なかった、因縁めいた道具だ。きっと、彼なりの折り合いの付け方なのだろう。

 彼の目をしっかりと見据えながら、彼女は機器を差し出した。


「……大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ」


 渡された機器を手に携え、彼は腰を屈めてわたしに向き直った。


「こんなものに頼るのは今回が最後だ。絶対に、今度こそ上手くいく。だから、俺たちを信じてくれ」


 唾液を飲み込む音。深呼吸。動く親指。

 敢然とした声で、彼は告げた。


「おやすみ、ナナセ」



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おやすみ、ナナセ のざわあらし @nozawa_arashi

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