浪漫

「主任ってさぁ……いいよね」

「わかる。瓶底眼鏡を外すとさ、めっちゃ可愛いし」

「ギャップ、萌えー」


 ある眼鏡会社の開発室で二人の研究員の男性がくだをまいていた。

 話題はどうやら彼らの上司である研究主任についてのようだった。


「小柄ながらも白衣の下に隠しきれないあのたわわ……」

「ロリ巨乳、サイコー」


 本人が席を外しているのをいいことに下世話な話は続いていく。


「いいといえば、最近主任とつるんでるバイヤーさんな」

「彼女のおかげで“レンズレス”は産まれたといっても過言じゃない。変なレンズの開発に予算を食い潰していた我が社の救世主だ」

「そうそう、そのバイヤーさんな……いいよね。長身、クール、銀縁眼鏡、まさにできる女って感じで」

「眼鏡クイっが似合う女性、サイコー」

「スタイルも抜群だし。スレンダーっていうの?」

「甘いな……」

「何がだ」

「彼女のタイトスカートから覗く太ももが、意外とムチっとしているのに気がつかないとはな」

「まさか」

「あぁ」

「「着痩せするタイプ」」


 余りにもくだらない会話。

 しかし、そこに水を差す男がいた。

 もっとも、その男に限っては水を差すというよりは……。


「キミ達!いつまでアブラを売っているつもりだい?アブラは注ぐものだろう!!」


「「お前は……江呂井!!」」


「そうだ!私が!江呂井助平だ!」


 その白衣の下にアロハシャツを着た男、名を江呂井 助平という。


「キミ達ぃ!そんな妄想を垂れ流して恥ずかしくないのかい?妄想は、形にしてこそだろう?そう!私の様に!」

「「まさか……!」」

「そう!そのまさかだ!入社してから苦節3か月!幾多の失敗を重ねて遂に完成したのだ!見たまえ!」

「「3か月?えっ?もっと前からいたと思ってた」」


 入社3か月の男、江呂井がパラパラを踊るようにして取り出したのは、金縁に赤いハート型レンズというパーティーグッズのような眼鏡だった。


「シースルー128号……遂に服だけを透過させることに成功した」

「「おぉ!!」」

「しかもだ……」

「「ゴクリ……」」

「下着は……透過させない」

「「うぉおおおおお!!凄いぜ!江呂井!」」

「さぁ!キミ達の分も用意した!すぐに行こうじゃないか!」

「「何処に?」」

「浪漫を探しに、さ」


 ▽


「いいかね?諸々の機能を実現させる為にどうしても射程を犠牲にせざるを得なかった」

「どのくらいだ?」

「4.5m」

「短いね」


 3人の白衣の男が金縁赤レンズのハート型眼鏡をかけてそれぞれ別のトイレの個室に入って神妙な面持ちで打ち合わせをしている。


「予定通りなら主任はまもなくあのバイヤーと共にやってくる。二人を同時に視界に納めるまたとないチャンスだ」

「あぁ」

「だが……」

「エントランスからエレベーターまではすぐだ。正面から視界に納めるにはエレベーターを降りた後、応接室に入るまでが勝負になる」

「エレベーターの前で待ち伏せするのは?」

「いや……もし部長なんかが乗っていたら……」

「あぁ、興ざめだ。その場で吐くかもしれん」

「ということは」

「あぁ、さっき設置してもらった眼鏡型カメラで主任達の姿を確認した後、エレベーターと応接室の間にあるこのトイレから飛び出すのが最善策だ」


 個室越しに真剣に打ち合わせする様子は、はたから見れば間抜けに過ぎる姿だが、本人達はいたって真面目であった。

 幸いなことにトイレに他の利用者がくることもなかった。


「……エレベーターが上がってきたぞ!主任達だ!」

「よし!!行くぞ!!」

「「「うぉおおおおお!!」」」


 三人は勢いよくトイレの個室から飛び出すと、互いを視界に入れないように綺麗に並んで走りだした。


 ▽


「「「うぉおおおおお!!浪漫は何処だああああ!! 」」」


 研究主任とバイヤーの女性がエレベーターを降りると、トイレから三人の男が勢いよく飛び出してきた。

 白衣に金縁ハート型眼鏡をかけた男が並走する姿は完全に狂気そのものだ。


「やはり来ましたね!江呂井!貴方が私の予定を確認していたと受付さんに聞いていましたよ!!」

「主任!!今日こそはその白衣の下!拝ませてもらう!」

「うぉおおおおお!!しゅにーん!!」

「俺はバイヤーさん派だあああ!!踏んでくれぇええ!」


 トイレからエレベーターまでは約10m。

 数歩で眼鏡の有効視界のはずだった。


 しかし……!


「こんなこともあろうかと!喰らいなさい私の自信作!駄作滅殺ビーーーム!!だいたいデザインがダサ過ぎるんですよぉ!!ハート眼鏡って!!」


 主任の瓶底眼鏡から放たれた蒼い閃光が寸分違わず三人のハート眼鏡を撃ち抜いた。


「「「ぐわあああああ!!目があああああ!?」」」


 不可視フィルターだけを破壊する特殊な光線が、ハート眼鏡の機能を完全に破壊し、フィルターが放つ断末魔の光が三人の目を襲ったのだった。

 後にはレンズの消滅した金縁ハート眼鏡をかけた三人の馬鹿が転げ回りながら目を押さえているだけだった。


「さぁ、悪は滅びました!行きましょうバイヤーさん!」

「え、えぇ」


 のたうち回る三馬鹿を尻目に、研究主任は応接室に向かっていく。

 バイヤーの女性はやや顔を引きつらせて、踏まないように慎重に三馬鹿を跨いでその後を追いかけた。


 ▽


「大丈夫かね?ほら、目薬だよ」


 研究主任とバイヤーが応接室に消えたすぐ後。

 一人の男性が三馬鹿のもとにやってきた。


「「「社長……!有り難うございます!」」」

「いやいや、そう畏まらなくてもいいからね」


 そのグレーの髪にグレーのスーツの優しげな初老の男性は、この会社の社長だった。


「またしてもやられたようだね。江呂井君」

「はい……主任は……美伊夢さんは常に私の上を行きます」


「君が3ヶ月前、「服だけを透過させる眼鏡が造りたいのです」と、我が社の門を叩いたように。彼女もまた「眼からビームを出したいんですよ!!」と3年前に入社した。どちらも我が社に……この『グラス浪漫』社に相応しい人材だ。しっかり精進してくれたまえ。そして、二人も負けないように追い求めたまえ、浪漫をね」

「「「はい!!社長!!」」」


 良いこと言った、という雰囲気を出して社長は去っていったとが、ふいに振り向いて戻ってきた。


「ときに江呂井君。例の眼鏡……当然、残してあるだろうね」

「はい!!こちらを!!」


 江呂井が白衣の下のアロハシャツの胸ポケットから取り出した金縁ハート眼鏡を受け取り、社長は満足気に再び去っていった。

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【KAC20248】見えない眼鏡 雪月 @Yutuki4324

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