36 アデリナと王子の滞在初日 


 精霊祭でも何でもない普通の日、『おーじ』がお庭じゃなく家の中に来た……ううん、呼ばれた?の方が正しいかも。


 毎年、精霊祭の終わりに妖精達が帰っていく口にしていた『おうさま』がお母様の執務室に突然入ってきた。

 銀色の長い髪の毛を三つ編みにした背の高い『おうさま』は妖精や精霊の王様でウルツ様という名前だという。

 バルコニーを壊しながら現れた知らない人。最初は怖かったけど、その人の側に黄色い髪をふわふわ揺らす小さな友達が飛んでいるのに気付いた途端、怖い気持ちはすぐに吹き飛んで再び会えた嬉しい気持ちでいっぱいになった。


 しばらく黄色と遊んだ後にウルツ様が話した訪問理由は、私の育てたガーベラを貰うためだったようで、他の誰かにプレゼントする予定もなかったガーベラをあげたら、そのお礼みたいにおーじも呼んでくれて嬉しかったな。

 あ、それからお母様がウルツ様に聞いてくれた事で、おーじは、やっぱり王子様だというのもわかって、ずっと引っ掛かっていたものがスッキリした気分。


 それから、ウルツ様にガーベラをプレゼントしたせいで話の途中から突然お母様達にも見えるようになった王子は、私の頭の上や肩に乗れるくらいに小さかった王子とは違い透明の羽は見えなくなって、人間と同じ大きさへと変わった。

 妖精の時より温かいし私より背も高い。見上げるような身長に少し悔しく思ったのは何故だろう?

 でも、ほんのちょっと見上げるくらいだから、つまさき立ちでもすれば同じくらいになれるかもしれないし、きっと今よりたくさんご飯を食べたら、あっという間に追い付けると思う。

 


 小さくて、ふわふわと空を飛んでいた時の王子もお人形みたいで綺麗だったけど、大きくなった王子はもっと凄く凄く綺麗でキラキラ光っていた。

 濃く透きとおる紺色の瞳の色も、ツヤツヤの銀の糸みたいな髪の毛やまつげだって、小さかった時よりちゃんとくっきり見えるせいか、全部が宝石みたいに輝いている。

 初めて拡大して見た王子に、こんなに綺麗だなんて外で一緒に走ったりして転んじゃったら壊れてしまいそうだなと心配になった。


 王子がこんな迫力だということは、他の妖精達も大きくなったらすごいんだろう……、そう思うと『次に王子や妖精のみんなと庭で遊ぶ時は丁寧に接しなきゃ』と心に留めたアデリナは、ソファーの背にもたれた体勢のままで、王子の美しい横顔をまじまじと見つめた。


 どれくらいそうしていたのか、隣や前に座っている母アンナや精霊王ウルツの会話に、時折王子がウルツへと向けて抗議めいた声を投げ掛けるのが聞こえてきたが、声は聞こえても肝心の内容は次第に遠退き、アデリナの耳には届かなくなっていった。

 目の前の真剣なやり取りも、アデリナには大変心地よい子守唄のように響き始め、今朝は普段の早起きよりもずっと早く起きてしまった五歳児の双眸そうぼうを次第にウトウトと重くさせるものになっていく。


 そうしてアデリナの目が完全に閉じた数分後、どうやら『王子だけ帰らずに邸宅に残るらしい』という決定的な箇所が聞こえるやいなや、急にパチン!と目を開けたアデリナは歓喜と驚きの混じる声で母アンナに本当かと問い、そこからは思いもよらない『王子の滞在』の朗報に眠気など吹き飛び、夢よりも夢のような現実の始まりに、アデリナの胸は高鳴る事となる。

 



 ◇ ◇ ◇ ◇




 「では、常に私共のどちらかは隣の部屋に居りますので、ご用の際にはお呼び下さい」



 ウルツが去った後の夫人執務室では、立ち上がり踏み込もうと力を入れる度に上手くバランスを保てず、グラグラと左右に蹌踉よろけてしまう王子の姿があった。

 白く透き通るような肌と儚げにサラリと揺れる銀髪の相乗効果のせいか、足元の覚束おぼつかない王子にアンナを始めとした大人達は、まるで重傷人にでも出会でくわしたかのように慌てふためき、大急ぎで王子をアデリナの寝室へと運びベッドへと横たえた。


 それからは、アンナの言いつけにより夕食までアデリナの寝室で大人しく過ごしている二人の近くでは、王子の滞在ために急遽屋敷内から集められた衣類や日用品を次々に運び込むベルタとメル、比較的重い物を運ぶロベルトの姿がある。

 一通り運び終えたらしいロベルトは、ふと何かを思い出したような表情を浮かべアデリナ達に向かうと口を開く。


 「あ、そうそう!今日の夕食はいつもより少し遅くなる予定なので、何か他にも必要な物があったら言って下さいね。結構時間ありますし」

 「お夕食遅いの?」


 幼い年齢もあって決められた予定から外れたり、食事時間の変更を経験したことが少ないアデリナは首をかしげロベルトを見る。


 「今日はイレギュラーばかりですから」

 「いれぎゅらあ?」

 「はい、今から一時間半くらい後になると聞いております。奥様も同席なさって隣の部屋へご用意する予定ですが、王子様のお加減次第では寝室へお運びするようにとも申しつかっておりますが、如何されますか?」


 アデリナのポカンとした表情に、からからと笑いながら話を続けるロベルト。その背後ではメルが比較的軽く小さめなボードゲーム等の余暇時間を過ごせる道具を持ち込んでいる。


 扉一枚を隔てただけの隣室なら、ゆっくりと歩けば大丈夫だろう思った王子は『僕は隣室での食事で構わない』とアデリナを介して告げ、それを受け部屋を後にしたロベルトとメル。

 扉の閉まっていくのを見届けてから、ベッドのヘッドボードに再びもたれ直した体勢になり寝室に置かれていた本を捲りだした王子と、同じベッドの上でうつ伏せのまま日記に何やら熱心に書き記すアデリナ。

 ロベルト達が部屋を去り結構な時間が経つが、室内には本をめくる音と紙の上をペン先が走る音だけが響き、各々それぞれに集中している二人は、どちらも口を開くことはなかった。

 

 「何を書いているの?」


 そんな中で先に静寂の時間を終わらせたのは、意外にも読み終えた本を閉じ枕元のサイドテーブルに置いた王子の方だった。


 「………??王子は離れていても日記帳の中身わかるんじゃないの?それとも近くだとわからなくなるの?」


 どうやら、今書いているものが王子に共有されていると思いながら書き綴っていたアデリナは、ガバッと身を起こし意外そうな顔でに王子の顔を見る。

 まっすくに自身を見つめるアデリナから目を反らし、白い掛布の上に開かれたまま置かれている日記帳へチラリと視線を移す。


 「……この体だと分からないみたいだ。全く何も感じない」

 「そっか。そうなんだね。大きいとなんか違うのかな」

 「さあ?」


 書きかけらしい日記帳からも目線を外し、投げやりっぽい口調で告げた王子は溜め息を吐いた後、うつむき違和感のある自分の手を見つめたまま小さな声で呟くように溢した。


 「慣れれば元の姿と同じ力が戻るのか、人間の体だとこの状態のままなのか……王様は何も言わず帰ってしまったから……」


 弱音に近い言葉が出そうになった王子よりも、アデリナの嬉しそうな声の方がやや早く響いた。


 「でも、今みたいに隣で本を読んだり絵を描いたり、ご飯だって一緒に食べたり出きるんだよね?」

 「それは、そうだけど……飛ぶどころか、立つのもやっとだなんだよ?」

 「そうだよね。ねえ…王子は大きくなって、どこか痛い?」

 「痛みは…ないけど、この体じゃ鬼ごっこも出来ないよ?」

 「そっか…でも痛くないんだね、良かったぁ」


 若干の息苦しさはあるが肉体自体かを痛いわけでもなかった事と、アデリナに『ひ弱』だと思われるのではないかと若干の抵抗感を覚え首を振り答えると、心底嬉しげに笑顔を見せたアデリナは満足したように持ったままの万年筆を握り直し日記帳へと再び向く。



 「えへへ、これからずっと一緒なの嬉しいね王子」




 王様の去った後、階下夫人執務室から現在居る二階のアデリナの寝室まで、ロベルトにヒョイっと抱き上げられて運ばれた事実は、ついさっきまで自由に浮遊していた王子にとって、妖精としての沽券に関わるようで腑に落ちなかった。

 しかし、そんな王子のプライドとは対照的に日記帳に向かい記す手を動かしながら、相貌を崩し嬉しいと言うアデリナの横顔をじっと見つめる王子は、その表情に今まで味わったことのない不思議な満足感を覚え、何かが満たされる気分を味わう。



 (そっか…アデリナが喜んでいるなら、まあ、そこまで悪くはない、かな)



 互いに読書と書き物もキリの良いところで夕食の準備が整ったという知らせがあり、軽い気持ちでアデリナに手を引かれる形のまま隣の部屋に移動した王子は、目に映る多くの知らない事にアデリナと繋がれた手からも力が抜けテーブルの上を眺めるように歩き、その後も軽いパニックとカルチャーショックを受ける事になる。

 元から気位が高い方の王子は、食事後に戻った寝室で先程は軽く捲り眺めていただけの書物に併せ、夕食を取っている間に追加されていた本を、穴が空く程に見つめ驚くべき集中力で読破してみせた。




 因みに後日の事ではあるが、とうに過ぎ去った大昔に口にした『嬉しい発言』を王子から聞かされた時には、『五つの子供とはいえ不測の事態に身を置かれたばかりの彼に向け、心配より嬉しさを伝えるとは何てことを…当時からデリカシーがなかったのね私』と随分大人になったアデリナは、掘り起こされた過去の自身の言動を想像し、おでこに手を当て深く猛省することになる。



 

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水晶令嬢物語~妖精王子との平凡な日々を希う~ 莉冬 @rito_winter10

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