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精霊王から王子を預かってから十数時間が経った朝のルラント家では、二階にあるアデリナの自室居間で母アンナと娘アデリナ、そして妖精の王子という
昨夜の王子を交えた初めての食事に続き、二度目の食事が始まった直後、前日とは違う奇妙な違和感に気付いたアンナはの昨夜の食事の様子を思い起こす。
昨日の夕食時、寝室の扉前からアデリナの後を追うように辿々しくテーブルへと向かい歩く王子は、目の高さに整然と並べられたナイフやフォークを物珍しげに見つめていた。
目線の先に気付いたアンナ達は『あら?もしかして…』と王子の表情を窺いつつ、それを悟られないよう一瞬だけベルタ達とアイコンタクトを交わし、テーブルの近くで立ち上がり二人を待っていたアンナが、王子への声掛けをしたついでのように自然な流れで聞いてみる。
「王子様、もし御加減が優れないようでしたら、お食事は寝室にご用意させましょうか?」
アンナの何気無い声色と申し出に、立ち止まった王子は無言で首を振る。それを受けて多少のふらつきが見られる王子を、ロベルトがゆっくりと持ち上げて椅子の上へ静かに下ろし座らせた。
腰かけた後も、次々と食事の乗った皿がテーブルへと運ばれてくる度にまじまじと観察しては、小さく目を見張るような顔を何度も繰り返す王子。
その様子を穴が空いてしまう程に見つめる大人達の胸中といえば、精霊様や妖精様ってカトラリーを使うのですか?等と訊ねるのは不敬なのか?もし不敬に当たったとしたら、嵐が巻き起こったり雷がおちてくるのだろうか?等と考えていた。
アンナに至っては、前日に大岩が自身の執務室のバルコニーを破壊した様子が浮かび、現在は破壊前の姿に戻っているとはいえ衝撃度は凄まじかった。
あの精霊王のウルツは、笑顔を浮かべていたとて畏怖や威圧感が駄々漏れだったと思う。
(私、あの状況でよく言葉を発せたわね)
他人事のように昨日の自分を思い起こし、目の前の王子を見る。
何せ相手は前日に初めて対面したばかりの未知の存在。妖精達については、両親と側近達の前でだけ語られるアデリナの妖精話や絵に描きながらの説明によって知っていたものの、ある意味では半信半疑……とも少し違う、なんというか別世界の物語のようなものとして受け止めていた節が皆の中であったのだと思う。
しかも、アデリナの話の中には一度も精霊王などという存在は出てこなかった。
昨日は夕食までの時間、子供達を二人だけで過ごさせている間に執務室で溜まった仕事をしていると、一気に現実感が戻り頭を抱えた。
見た目は幼くとも相手は精霊や妖精世界の王子様なんだと冷静な頭で再認識する。精霊王ウルツが王子の側に居た時は、王の存在や不思議な威圧感が圧倒的だったのと、余りの現実離れし過ぎた状況のせいか、その場にいる全員どこかふわふわと地に足が着いていないといった、異様な時間と空気感だったように思う。
落ち着かないながらも側近達はそれなりにキチンと対処はしていたように見えたし、アンナも自分は冷静に向かい合い対応していると思っていた。
しかし執務室の窓から見える日が傾いてくると徐々に正気に戻り、ただ現実味がなかっただけなのでは?とも考えだし『ああ…これからどうしよう…』と人知れず溜め息を吐いたのだった。
そんな一人での反省時間を挟み始まった、王子と共にする初めての夕食の開始前に思いも寄らなかった『妖精の食事作法問題』に直面し、どう対応すれば不敬にならないだろうかとヒヤヒヤするアンナや側近達。
しかし、そんな大人達の心配の元を木っ端微塵に打ち砕く、無邪気とも無神経とも取れるアデリナの声が室内に響いた。
「王子!フォークはこうやって持つんだよ!こう!分かる?」
まるで弟にでも教えてやるような、姉然とした遠慮ない物言いで王子に手本を見せるアデリナ。それを
それを見終え満足そうなアデリナは、次にフォークでサラダを刺すと口に運びパクンと食べ再び王子に視線を移した。
手つきこそ
そうして、互いがパンに手を伸ばし千切って口に放り込むと、目を合わせどちらからともなくクスクスと楽しげに笑い出す。
アデリナの丁寧とは言い
『どうやら今のは不敬にも天罰にも当たらなそうだ…』
そして王子の食事を進める様子からは、歩いてる時の不安定さとは違い、座っている状態であれば十分しっかりとしていて体調の悪さなどは全く窺えないと認識し、先程精霊王が口にしていた『人間の体は重い』という文言が改めて浮かぶ。
次々に運ばれてくる食事も、アデリナと共に全て平らげモグモグと小さく口を動かす幼い男の子の姿に思わず笑みが
(突然人間の体になって、それが重いという以外お加減に不調がないのなら、病人のようにベッドの上にずっといるのは数時間程度とはいえ退屈だったかもしれないわね……)
執務室では立ち上がるのも一苦労に見えた王子を気遣い、アデリナを話し相手としてベッドの上で過ごさせていたけれど、適切だったのかと考えを巡らせる。
そうやって子供達を前に、様々な事を脳裏に浮かべながらの夕食は、残念なことに何を食べたのか思い出せないものになってしまったまま夜は更けていった。
あれから一夜が明けた現在、やや緊張はしているものの昨日の夕食ほどの緊迫感はない。
そんな中で昨夜の夕食時との決定的な違いに気付いたアンナや側近達は、まるで吸い込まれるように自然と王子の手元へ視線が奪われた。何故ならば王子の動きや目線は、滑らかとはいえないまでも確実にマナーを学び理解している者の所作として成り立っていたから。
昨日アンナ自ら王子のために選び、ロベルトに運ぶように指示した書物の中には、自国と隣の帝国の王公貴族に関するマナーや様式の本も幾つか含んでいた。
しかし、それは決して記された内容を理解して貰おうという意図ではなく、選んだ本の挿し絵の精巧さは時間潰しに眺めるだけでも見応えがあるのと、絵によって両国の文化の違いが少しでも感じ取れたら良いとの軽い考えしかなかった。
ルラント領は国境ゆえ複雑なので図解が解りやすいと思っただけだったのに、まさか昨日の今日で読破されるだなんて想像だにしていなかった。
王子の朝の身支度を終え、直ぐにアンナの元へと飛び込み報告してきたベルタの興奮気味な様子を思い出し、フッと口元が緩む。
どうやらベルタは、読んだであろう本の内容を確かめるように『王子様はどちらの国の様式がお気に召しましたか?』といった簡単な問い掛けを、着替えながらのお喋り程度に幾つか言葉を交わしたという。
その結果、ベルタですら知らない隣国の数世代前と思われる皇家の人物にまで話は及んだという。
『アンナお嬢様!あのお方!王子様は凄い方です!』
朝食までの時間、視察で不在な夫の書類に目を通そうと自分で淹れたお茶を飲み寛いでいる所に駆け込んできたベルタは、今では馴染んでしまっている『奥様』ではなく、随分前の呼び名を口にしながら興奮混じりに、今しがた交わされた会話を説明し始めた。
まさか、滞在予定である
そして読破の結果が、多分目の前で食事をしている王子の手元で行われている『コレ』であろう。
食べる事よりカトラリーの動きを気に掛けながら食事を進める様子は、本からの知識として得たテーブルマナーを今まさに実践しているような動きである。併せて時折アンナの方を見ては再び自身の皿に向き合うのも、同じように出来ているかの確認作業をしているように思えた。
(妖精王ウルツ様は何て存在を置いていかれたのかしら)
容姿だけでも規格外なのに…と、考えながらチラリと向かいの席を見たアンナの目に、
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