七曲坂七織の都市伝説 ~メリーさんVS白い仮面の男~

朽尾明核

バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!


「小暮先生、ちょっとよろしいですか?」


 二時間目。まだ授業の途中であるにも関わらず、教頭先生がノックもせずに扉を開けた。


 クラスメイト全員の視線が、一気に前の扉へと集まる。

 黒板に数式を書いていた担任の小暮先生が、驚いた表情を見せた。


「どうしました」小暮先生が、教頭の許へ向かう。


 教頭が、小暮先生の耳元で何事かを囁く。

 ――目が、見開かれる。なにか、衝撃的な内容だったらしい。


 ふたりは、そのあとも小声で話し合っていたが――小暮先生は、数学の授業を中断し、教室の生徒たちに自習を命じると、足早に教室をあとにした。


 俺たちは、降ってわいた自習じゆう時間に浮き足を立たせながらも、先程の先生ふたりのただ事ではない様子に、奇妙な気配を嗅ぎ取っていた。


「何、なに?」「え、事件?」「事故じゃない?」「誰か死んだとか?」「さっきトイレ行ったとき、パトカー来てたんだけど」


 ざわざわと、教室の中のそこかしこで憶測が飛び交う。不謹慎な予想も出てくるが、それほどまでに教師二人の様子が真剣で、差し迫っていたのである。


「なんなんだろう……」

 俺も、近くの席の友人たちに尋ねてみる。

 何か、答えが返ってくるのを期待しているわけではなかった。なんとなく、不安を共有したい、それだけの雑談のつもりだったのだが――。


「私、知ってるよ……」

 隣の席に座る、七曲坂ななまがりざか七織ななおりが、予想外の言葉を放った。


 七曲坂七織――。小学校の頃からの腐れ縁だ。小一のころから中二の今に至るまで、ずっと同じクラスで、今年で八年目になる。


 太陽とは無縁の、死人のような白い肌と、簡単に折れてしまいそうなほど細い身体。

 長く、腰の辺りまで伸ばされた黒い髪は、ぼさぼさと癖が付いていて、両目を覆い隠すほどの前髪が鬱陶しい。

 黒いセーラー服も相俟って、まるで幽霊か何かのような見た目だった。夜道でばったりと出会ったら、悲鳴をあげてしまうに違いない。


 しかし、なによりも厄介なのは――


 「『白い仮面の男』が、出たんだって……」七織が言った。


 彼女は、いわゆるオカルトマニアだった。怪しげな都市伝説や怪談、心霊現象に目がなく、そういった怖い話を蒐集することに、並々ならぬ情熱を燃やしているのである。


 まあ、どんな趣味を持っていようが、それは個人の自由だ。どうぞご勝手に、という奴である。しかしながら、マニアのサガなのかなんななのか、七織は常にその集めた怖い話を披露するタイミングを伺っている。


 それが厄介なのだ。


 俺は怖い話が苦手だ。聞きたくない。怖がりなのだ。クラスで流行ってるSCPとかも、うっかり怖い記事を読んでしまうとその日一日気分が落ち込むし、ホラー映画とかも、観てしまうと夜に寝られなくなってしまう。

 水と油。北風と太陽。犬と猿。オカルトマニアとホラー苦手人にがてんちゅ


 俺と七曲坂七織は、対極にして真逆。それぐらい相容れない存在だと言って良い。

 だというのに、七織はどうも俺をターゲッティングして怖い話を披露しようとする傾向にある。


 まったくもって信じられない話だが――この世界には怖い話が好きだという奴が結構な数居るし、クラスの中でもかなりの数がホラー好きだったりする。

 みんなこわい話が大すきだ。

 だったら、そのホラーが好きな連中に対して怖い話を披露してやればいい。そうすれば、七織は怖い話ができてwin、ホラー好きは怖い話が聞けてwin――win-winという奴だろう。


 だのに、わざわざホラーが苦手な俺に怖い話をするのはどういう了見なのだ。


紺野こんのくんはリアクションが良いから、話していて楽しいんだよ……」

 とは、以前抗議した俺に対する、七織の言だ。ホラーが好きな人間というのは、怖い話を聞いても怖がる前に楽しんでしまうのだそうだ。その点、俺のようなびびりな人間は、怖い話に対して心の底から怖がることができる。それを、楽しんでいるのだという。


 止めて欲しい。人が嫌がり、怖がる様子を楽しむなど、とんだドS女だ。


 俺は七織の方へ向き直る。

 口許が斜めになっており、心なしか頬が赤い。前髪に隠れていて目は見えないが、きっと爛々と輝いているに違いなかった。


「白い、なんだって――?」

「『白い仮面の男』だよ」七織が笑う。「紺野くん、知らないの?」

「知らない」俺は首を振った。「知らないが――おばけの話だろ? やめてくれ」

「お化けじゃないよ、都市伝説……」

「どっちでもいい。怖い話だろ? 俺は、こわい話が大嫌いなんだ」

「それは違うよ」七織が肩を揺らす。「紺野くんは、こわい話がこわいけど、嫌いじゃない」

「いーや、嫌いだね」俺は反論する。「胸を張って言えることじゃないが、お前は俺のびびり具合を舐めている。小学生の頃、『トイレの花子さん』の話を知ってから、学校でトイレが出来なくなった男だぞ?」

「でも、私の話を最後まで聞いてくれるじゃない。ホラー映画だって、『怖い、怖い』って言いながら、最後まで観るでしょう?」

「それは、中途半端なままにしていると、余計に怖いからだ。『いったいあの話はどんなオチになるんだろう?』『あの登場人物は悲惨な最期を遂げたんだろうか?』『どんな恐ろしいおばけが出てくるのか?』ああでもないこうでもないと想像が膨らんで、余計に寝られない。だから、しょうがなく、最後まで聞いているだけだ」

「ふうん」


 七織は信じていないようだったが――結局前を向いた。机の中から文庫本を取り出し、ぱらぱらとページをめくり始める。


 話は終わりだ――ということらしい。


「……おい」俺は呼びかける。

「え?」

「それで、『白い仮面の男』はなんなんだよ」

「興味あるの?」

「ないよ!」俺は大きな声を出した。「ないけど――タイトルだけ言われたら、気になるだろ!」


 七織は俺の言葉に、にたにたと気味の悪い笑みを浮かべる。

 文庫本を机にしまうと、再び俺に向き直る。そして、こほんとわざとらしく咳をしてから、話し始めた。


「『白い仮面の男』っていうのはね――昔、この街を恐怖のどん底に突き落とした、連続殺人鬼のことなんだよ」

「連続……殺人鬼?」

「そう。その名前の通り、真っ白なスーツと、白い仮面に身を包んだ男でね、童謡の『チューリップ』の鼻歌を歌っているんだ」

「チューリップって、あの、『さいた、さいた』って奴か?」

「そうそう。そして、現れるのはいつも夕方。日が暮れ始めたころ。帰宅が遅くなった小学生がひとりで帰っていると、その前に、ふらりと現れるんだって」

「不審者じゃん」

「それでね。子供に対して、するんだよ。質問を」

「質問?」

「そう、『何色が好き? 赤、白、黄色』って――童謡の歌詞になぞらえて、ね」

「ちょっと待て」俺は、七織の話を遮る。「その答えた色に対応した殺し方で、子供を殺すんじゃないだろうな――」

「なんだ、紺野くんも知ってるんじゃん」

「いや、似たような怪談を聞いたことがあるんだよ」

「そうなんだ。『赤』って答えると、その子供を八つ裂きにして、血まみれにして殺すんだって。『白』って答えると、全身の血を吸って、殺す。そして、『黄色』って答えると、高電圧の電流を流して殺すらしいよ……」


 七織の話し方は雰囲気たっぷりだったが、俺はそこまで怖がらずに済んでいた。理由はふたつ。まずは、既に似たような話を聞いたことがあったこと。そして、もうひとつは――、


「矛盾してるぞ、その話」

「矛盾……?」七織が首を傾げる。

「そうだ。ひとりきりの小学生の前に現れて、質問して、殺す。――どう答えても殺されるのに、なんで『白い仮面の男』の特徴や質問内容が、そんなに詳しく伝わっているんだ? 目撃者が全員死んでしまうなら、誰も『白い仮面の男』のことを知らないはずじゃないか」


 完全なる論破だ。伊達に怖い話を聞き続けてはいない。


「生き残る方法があるからだよ……」


 俺の完全なる論破が一瞬にして覆された。


「生き残る方法……?」

「そう。何も答えなければいいんだ。『赤、白、黄色、どの色が好き?』って訊かれても、何も答えずに、ひたすら無視をし続ければ、男は去って行くから――そうすれば、助かるってわけ……」

「へぇ――」


 確かにそれならば矛盾はない。生き残った小学生が、目撃証言を残したということだろう。だが、対処方法がわかっているのならば、さほど怖くはない。いや、もうほんと、全然怖くはないのである。


「まあいいや――それで、その『白い仮面の男』が、先生たちの慌てた様子と、なんの関係があるんだよ」

「それが……、今朝、職員室に言ったときに、ちょっと耳に挟んだんだ……。昨日、『白い仮面の男』が、目撃された――って!」


 七織が、ぐい――と身を乗り出してくる。どうどうと、彼女の肩を抑える。


「いやいや、そもそも、その『白い仮面の男』自体がフィクション存在だろ、嘘っこなんだから、いるわけないだろ。おばけなんて」

「都市伝説、だよ」

「どっちも同じだろ。現実には存在しない」


 七織は首を振る。


「いないとは言い切れない――信じるか信じないかは、紺野くん次第だから」

「じゃあ信じねえよ」


 そうだ。馬鹿馬鹿しい。いるわけがないのだ。そんなわけのわからない『もの』は。


 その後、戻ってきた小暮先生から連絡があり、午前中に放課となった。不審者が学区内にて目撃されたという話だった。


 集団での下校など、小学校の時以来だ。

 まだ陽が高い空の下――ずらりと並んだ生徒たちの列を、教師が引率する。

 物々しい雰囲気だった。下校中の通学路では、パトカーや制服を着た警官たちの姿も見えた。


 普段は騒がしい中学生の集団も、なにか――何事かが起きている気配に、息を殺したように静かだった。

 




 夕暮れの道を、家路に向かって急ぐ。

 あの後、何事もなく帰宅した俺は、午後から部活の練習に参加していた。

 全国大会にも出場している俺たちのサッカー部は、かなりのスパルタだ。不審者情報により集団で下校することになっても――練習は行われるということになったのだ。


 さすがに、学校のグラウンドを使うわけにも行かず、市営のグラウンドを借りてではあったが。

 だから俺も、自転車で運動場へ向かい、夕方まで練習に参加したのだ。家族は心配したが――それでも、レギュラー争いで遅れを取ることは避けたかった。


 ハードな練習でくたくたになった身体に鞭を打ち、自転車を飛ばす。

 風を切る。

 夕方のこの時間は、少し肌寒い。


 道の横の自動販売機が目に入る。

 喉も渇いたし、何かあたたかい飲み物でも買おうか。

 自転車を降り、自販機に近づくとバックパックから財布を取り出した。


 その時だ。


 ポケットに入れていた携帯端末が震えた。

 着信。表示名を確認する――非通知だった。


 無視をすることにした。非通知の着信にはろくなものがない。悪戯電話がせいぜいだろう。


 だが――しつこかった。


 ポケットにしまったまま、鳴り止む気配がない。

 一分以上経過したというのに、ずっと鳴りっぱなしである。留守電の設定をしていなかったのだ。


「しつけえなぁ!」

 怒りにまかせ、思わず出てしまった。


「もしもし?」


〈――メリーさん・・・・・


「……は?」


 電話口からは、幼い少女の声が聞こえてきた。聞き覚えはない。


 待て、いま、何と名乗った……?

 聞き間違えでなければ、『メリーさん』と名乗らなかったか?


 聞いたことがある、メリーさんの都市伝説について。

 七織ななおりから聞いたのだ。たしか、小学校低学年のころの話だったと思う。


 それは、メリーさんという名前の人形を、捨ててしまった少女の話だ。

 かわいがっていたメリーさんを捨てた少女。ある日、彼女の許へ一通の電話がかかってくる。


〈――私、メリーさん〉


 そして、メリーさんは名乗ったあとに場所を告げる。


〈今、駅の前に居るの〉


 聞き返そうとした少女を無視するように電話は切れ――そして、直ぐに再び電話が掛かってくる。


 何度も、何度も。

 だが、メリーさんの告げる場所は、掛かってくる度に、少しずつ近づいてくる・・・・・・のだ。


〈――私、メリーさん。今、学校にいるの〉


〈――私、メリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの〉


〈――私、メリーさん。今、あなたの家の前にいるの〉


 そして、電話に恐怖する少女の許に最後の着信が届く。



〈――私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの〉



 有名な都市伝説である。だが、当時はまだろくに怪談というものを知らなかった年齢であったため、たいそう恐怖したのを覚えている。夜中――家電にメリーさんから電話がかかってこないか、本気で心配していたものだ。


 考えてみれば、ある種の俺のホラーに対する原体験といえるかもしれない。

 だが、もう俺だって中学生だ。


「……イタズラ電話か?」

 そう言って電話を切ろうとしたとき、電話口の相手が話を続けた。


〈――今、〉




〈今、何色のパンツ履いてるの?〉




「……は?」

 思わず親指が止まる。聞き間違いか?

 そう思った俺の心を裏切るように、電話口からもう一度、同じフレーズが繰り返される。


〈私、メリーさん。今、何色のパンツ履いてるの?〉

「イタ電じゃねえか!」


 問答無用で切る。


 ほんの一瞬だけ本気でびびった自分がいやになる。完全なるイタズラ電話だ。しかも中学生男子にかけてきているのだから救いようがない。


 ――いや、もしかしたら七織の奴がやったのかもしれない。ボイスチェンジャーで声色を変えて、非通知設定にして電話を掛けてきたのかも……。


 きっと、そうだ。

 まったく迷惑な奴である。明日、学校に行ったら問い詰めなくてはならない。


 やれやれと溜め息を吐きながら、電話をポケットにしまった俺の目の前、自動販売機の側に――。



 ひとりの、男が立っていた。



 白い男だった。

 まるで、結婚式にでも出るかのような、白いスーツに身を包んでいる。

 夕日を背にしているため、表情は窺えない。


 いや、仮に逆光でなかったとしても、男の表情はわからなかっただろう。


 男は、まるでヴェネツィアの舞踏会で付けるような――、


 派手な装飾を施された――、


 白い仮面・・・・を付けていたからだ。


「――!」


 心臓が止まりかける。

 異様だ。

 異様な男だった。

 もちろん格好も尋常ではないが、それだけではない。

 一目見ただけで直感する。


 こいつは、人間ではない。


 信じられないが、そうだと思うしかなかった。

 今朝、七織が言っていた話を思い出す。


 『白い仮面の男』


 かつてこの町を恐怖の底に陥れた、連続殺人鬼。

 それがいま、俺の目の前にいる。


「るるる、るるる――」

 男が、鼻歌を歌っている。


『チューリップ』だ。


 さいた さいた チューリップのはなが

 ならんだ ならんだ あか しろ きいろ

 どのはなみても きれいだな


「君は、どの色が好きですか?」


 男が言った。話しかけてきたのだ。

 誰に? 俺にだ。

 周囲を見渡す。閑静な住宅街。誰も居ない。


 別に人通りが少ない道ではないのに、いま、この瞬間に――俺とこの男以外、誰もいなかった。


「赤、白、黄色――」男が続ける。近づきながら。「どの色が、好きかな?」


 俺は口を塞ぐ。

 答えてはならない。


 七織が言っていた。

 『白い仮面の男』の質問に、答えてはいけない。


 赤と答えれば八つ裂きにされ、殺される。

 白と答えれば、血を抜かれて、殺される。

 黄色と答えれば、電気を流されて、殺される。


 どう答えても、殺されるのだ。


 だから、答えない。

 質問を無視して、押し黙っていれば、生き残ることができる。

 それが、『攻略法』だ――。


「ふむ――」


 男が、顎に手を当てる。

 近い。

 手を伸ばせば届く距離。腰を屈めて、俺の顔を覗き込むようにしている。

 仮面越しに、男と目が合う。


「答えない、つもりですか」男が言った。

「……」

それならば・・・・・それでもかまわない・・・・・・・・・

「――?」



 次の瞬間だった。


 鈍い音。


 俺の腹に、凄まじい衝撃が走る。

 まるで、乗用車に激突されたときのような、そんな衝撃だ。


 俺の身体は、背後に十メートル近く吹き飛ばされた。


「が、あ――」


 肺の中の空気がすべて押し出される。呼吸ができなくなった。


 アスファルトの地面に転がる。


 痛み。


 固い地面を回転しながら転がったため、全身に痛みが走る。


 俺は、地面に這いつくばるような姿勢になった。


「お、ごえ――」


 吐き気。

 びしゃびしゃ、と。吐瀉物をまき散らす。ツンとした刺激臭が、鼻の奥を突いた。


 なにを、された――。

 いや、何をされたのかは、ぎりぎりでわかる。



 前蹴り――。



 白い仮面の男は、俺の腹に前蹴りを放ったのだ。

 何の変哲もない前蹴り。

 だが、威力が凄まじかった。


 まるで、破城鎚のような、鋭く、重い前蹴りだ。

 深刻なダメージ。意識が朦朧とする。

 まともに喰らえば・・・・・・・・、おそらく死んでいた。


「ほう――」蹴りを放った男が、感心するような声をあげる。「蹴りが当たる寸前に、自分で後に跳びましたか――そして、インパクトの際の衝撃を殺した。もちろん完全には殺し切れてはいませんが――それでも、ダメージは多少抑えられたみたいですね」


 サッカーをやっていてよかった。

 部活で鍛えられた反射神経により、ほんの一瞬だけ早く反応をすることができたのだ。


 それで、致命傷を避けることができた。

 サッカーをしていなければ、即死だった。


 だが――。


「どちらにせよ、無駄なことですが。ほんの数秒だけ、寿命が延びただけでしょう」男が言った。仮面で顔は見えないが、嗤っているのがわかった。「もう、動けないみたいですし」

「う、ううう……」


 男の言ったとおりだった。

 致命傷は避けられたが、それだけだ。

 痛みから、立ち上がることすらできない。


 男が、近づいてくる。

 悠々とした足取り。


 くそ、このまま、殺されるのか――。


「な、で……?」


 俺は、必死で声を絞り出す。なんとか、会話をして時間を稼がなければならない。でなければ、男は俺にトドメを刺すだろう。一切の躊躇無く。


「はい?」

「な、んで……?」

「なんでとは、何がですか?」

「答えてない、俺は、質問に……」

「ああ、そんなことですか」男が言った。「別に、質問に答えないならばいいんです。私が勝手に選びます。貴方は――『赤』。この手で引き裂いて、真っ赤に染め上げて差し上げますよォォォォ!!」


 男の高笑いが、夕暮れの空に響き渡る。

 なんて、理不尽な存在。


 これが、都市伝説か。


 こんなところで、俺は死ぬのか――。

 そう思った、その時。



 電話が、かかってきた。



「……?」

 震える手で、ジャージから携帯端末を取り出す。いったい、誰だ。


「おや」男が言った。「良いタイミングですね。お友達か、家族かな? 遺言を残すことを許可してあげましょう。最後に、大切な人に言いたいことはありますか?」


 画面を確認する。


 くそったれ。

 心の中で毒づく。


 着信画面には『非通知』の文字。

 最後の最後。


 人生の最後が、イタズラ電話かよ。

 俺は、画面をタップした。


「もしもし?」


〈私、メリーさん――〉


「また、イタズラか?」





「――あなたの後ろにいるの・・・・・・・・・・





 その声は、電話越しではない。

 後ろから聞こえた。


 俺の、背後から――。


「なっ――!」

 白い仮面の男が、驚いた声をあげる。


 その視線は、俺を通り越して、俺の後ろに何者かに向けられていた。


 俺は、男の視線を追って、振り返る。



 一体の、人形が立っていた。



 少女を模した人形だ。

 小さな、フランス人形。


 可愛らしい顔。青い瞳。金色の豊かな髪色は、夕日を反射してきらきらと輝いていた。

 小柄な体躯は、ゴシックドレスに包まれている。


「君、は……」

「私、メリーさん」


 少女の人形はそう言うと、すたすたと俺と男の間に割って入った。


 小さい。


 あくまで人形の彼女は、とても小柄だ。男の、膝の辺りまでしか高さがない。


 しかし、それでも彼女の背中が、俺にはとても大きく見えた。


「おや、おや、おや……」男が言った。「横取りするつもりですか? いけません、いけません。その少年は、私の獲物です」

「――」


 メリーさんは答えない。


 一瞬、身体を屈めたかと思うと、男へ向かって走り出していた。


「ちィ!」

 男が、向かってくるメリーさんに対してローキックを放つ。

 メリーさんはジャンプをする。

 鋭い跳び。

 放たれた男の脚を、逆に踏み台にするような跳躍。

 矢のように、男の顔面に飛ぶ。


 貫手。


 メリーさんは、四本の指伸ばし、揃える。そのまま、槍のように男の顔面を突いた。


 ――疾速はやい。


「くっ!」

 男が、ぎりぎりで首を傾け躱す。

 ぽたぽたと、赤い血が流れる。出血。


 仮面の横から露出していた、耳に掠ったらしかった。

 地面に着地したメリーさんが、男と向き合う。


 男が、歯をむき出しにした。


「どうやら、本気みたいですね――いいでしょう。私も、本気でお相手します」


 白い仮面の男が、構えた。

 腰を落とし、半身になる。


 右手を身体の前に置き、左手を腰の横へ置く。

 体幹に一切のブレはない。重心も低く、安定している。


 美しい構えだった。

 洗練された構えだった。


「掛かってきなさい、人形風情。決めましょう。何方どちら生存いきるか、死滅くたばるか――」


 戦いが、始まった。


 メリーさんが、目にもとまらぬ速度で近づく。その身体の小ささ、軽さを逆に活かして、人間では到底できないようなトリッキーな動きを魅せる。


 飛ぶ、駆ける。フェイントを入れる――。


 まるで、宙を舞う羽毛のように、彼女の動きを捉えることはできない。

 事実、男の放つ拳撃や蹴りは、ことごとく空を切る。ひらひらとしたゴシックドレスに掠らせることすらできなかった。


 そして、メリーさんは男の打撃の後隙を、正確に打ち抜く。カウンター気味に放つ彼女の攻撃が、何度も男の身体に吸い込まれる。


 一撃一撃は重くない。むしろ、体重差を考えればノーダメージといえるほど軽いだろう。


 だがそれでも、何度も何度も打撃を重ねることで、少しずつダメージを積み重ねていくことはできる。


 メリーさんの狙いは、消耗戦だ。

 蓄積したダメージが、男の動きを鈍らせるのを待っているのだ。


 一方的な試合展開だった。メリーさんのワンサイドゲームともいえる。


 一撃も攻撃を受けず、絶え間ない攻撃を浴びせ続けるメリーさんに対し、翻弄され動きも鈍く、ただの一発の打撃を当てることもできないまま、ダメージがただ蓄積していくだけの白い仮面の男。


 これって……、ああ――メリーさんの勝ちだ。


 そう確信したとき。


 ぐらり、と。

 男の上半身が傾いた。


 ついに、ダメージが無視できないほどになったのか。

 圧倒的な隙。


 好機。


 そこを逃すメリーさんではない。彼女は、倒れ込む男へ向かって最後の一撃を入れようと跳びかかる。


「――いけない!」

 俺は、思わず叫んでしまっていた。


 男は、倒れ込んだ上半身を軸に回転し脚を高く振り上げた――。蹴り脚の踵が、攻撃を入れようとしていたメリーさんの胴体を打ち抜く。


 胴回し回転蹴り。


 身体全体を大きく回転させ、遠心力で協力な踵蹴りを打ち込む、極真空手の技。


 ふらついてみせたのは、罠だったのだ。


 強烈な一撃を受けたメリーさんが弾き飛ばされ、建物の壁に叩きつけられた。


「ぐっ――」

 呻き声。


 体勢を立て直したメリーさんの足許がおぼつかない。

 たった一発で、戦況は逆転してしまった。


 こうなっては、体格差――特に、リーチの差が如実に出る。


 攻守逆転。


「行きますよォ!」

 男が、目にもとまらぬ連打を放つ。


 手、腕、肘、膝、足、頭突き。四肢だけではなく、頭も使った連続攻撃。

 胴回し回転蹴りのダメージにより、動きに精彩を欠いたメリーさんでは、男の打撃を躱しきれない。直撃こそしないものの、数発に一発は回避に失敗して体勢を崩してしまう。


 逆に、男の動きは先程よりも一層、激しく、鋭くなっていった。


「どういうことだ……?」

 先の攻防では、本気を出していなかったということか?


 いや、そうではない。むしろ、今の動きが、まるでドーピングをしたかのように、百パーセント以上のパフォーマンスを出しているのだ。


 だが、どうやって――。


 七織から聞いた『白い仮面の男』の話を思い出す。


 投げかけられた三択の質問。

 黄色、と答えると電気を流して殺されるという話。


 電気。

 動き。


 まさか――。


「――生体電流・・・・か!」

「ご名答!」

 俺の言葉に。男が戦いながら反応する。


 生体電流。身体を動かす信号というのは、脳より発せられた微弱な電気信号だ。

 もし、仮に、白い仮面の男が電流を自在に操る能力を持っていた場合、自分の身体に流れる生体電流も、自由に操作できることを意味する。


 男の動きが強化されたのは、生体電流の操作による身体能力のバフが掛かっているのが理由だったのである。


 こうなっては、メリーさんに打つ手はなかった。


「脆い脆い脆い脆い脆い脆い!」男が叫ぶ。「どうやら貴女は〈追跡〉や〈瞬間移動〉に呪術のリソースを割いているため、近接戦闘CQCは苦手みたいですねェ!!」


 みしり。

 男の放った強烈なフックが、メリーさんの脇腹に突き刺さる。


 再びのクリーンヒット。


 吹き飛ばされたメリーさんは――今度は、立ち上がれなかった。

 受け身に失敗したのか、脚のパーツが、折れてしまったのだ。

 こうなっては、物理的に立つことは難しい。


「んっ、んー!」男が、上機嫌そうに嗤った。「どうやら、決着みたいですね――お疲れ様でした。これ以上抵抗しないなら、苦しまずに葬って差し上げますが?」

「……私、メリーさん」

「知っていますよ」

「おじさん、今、何色のパンツを履いているの?」


 男が口許を歪める。やれやれと、肩を竦めた。


「答えませんよ。その質問は、投げかけた問いに回答させることで簡易的な儀式の役割を果たすのでしょう? 儀式の完遂により誓約呪力のブーストをかけ、一発逆転を図るつもりみたいですが、そんなことはさせません」


 男が、右手の指を伸ばす。


 貫手。


 初手、メリーさんの放った攻撃の、意趣返しだ。


「さようなら」


 速い。

 一直線にメリーさんの許へ近づいた男は、槍のような一撃を放つ。


 男の右手が、メリーさんの腹部を貫いた。


「が、ぁ――」

「安らかに眠りなさい」

「は、ぁぁ――」苦しそうな呻き声の中、メリーさんが最後の言葉を振り絞る。「何色の、パンツを履いているの――?」

「くどいっ」


 メリーさんの問いを、男が切り捨てる。

 そのまま、右手で貫いた腹部の穴に、左手も突っ込む。そして、一拍おいて力を入れると、メリーさんの身体をばらばらに引き裂いてしまった。


 鈍い音を立てて、メリーさんの身体が壊れる。


 手が、腕が、脚が、胸が、尻が、腹が――割かれたドレスと共に、アスファルトの地面にまき散らされた。最後に、ごろんとメリーさんの生首が転がり――それで、おしまいだった。


「さて――お待たせいたしました」

 男が、俺に向き直る。


 終わりだ。

 もう、俺を守るものは何もなかった。


 一歩、一歩、死神が近づいてくる。

 俺の目の前で、男が足を止めた。


「何か、言い残すことはありますか?」


 男が言った。右手を振り上げる。あれを、鉈のように俺の頭に叩きつけ、殺すつもりなのだ。


「――何色、なんだっけ?」

 俺は言った。


「何がですか?」

「俺の、色だよ――何色に染め上げるんだっけ」

「『赤色』ですよ」男が口の端をつり上げる。「あなたの身体をぐちゃぐちゃに押しつぶしてびりびりに引き裂いて、鮮やかに、真っ赤に染め上げるんです。綺麗ですよ、きっと。死体の第一発見者の心に、永遠にこびりついて拭えない、トラウマになるほど綺麗な色になります」

「ふうん、そっか――」





「――赤色・・なんだ・・・





 その声は、俺が発したものではなかった。

 男が発したものでもなかった。


 それは男の背後から聞こえた。


 死んだはずの。


 ばらばらになって、殺されたはずの――


 メリーさんの、声だった。


「莫迦なっ!」

 男が振り返る。道路に転がるメリーさんの身体。


 その転がった生首が、喋っている。


「赤い色、なんだね――」

 メリーさんが、嬉しそうに笑った。


「なんだ、何を言っている……?」男が動揺する。

質問・・のことだよ」俺が、教えてやる。「メリーさんが訊いてただろ、最後に、『何色のパンツを履いている?』ってな。アンタは、それに答えてしまったんだ。『赤色』っていう答えを、返してしまったんだよ」

「返してないっ!」男が悲痛な叫び声を上げる。「巫山戯ふざけるなよ、それはお前がした質問に答えただけだ。あの女の問いに答えを返したわけじゃあないッ!」

「そんな理屈を無視する、理不尽な存在が都市伝説あんたらだろ。アンタが、質問に答えない奴も殺すように、メリーさんもアンタの放った言葉を、回答だと定義したんだよ」

「認めん、そんな、そんなたわけた言いがかりは、認めん――!」

「認める、認めないの問題か? ほら――」


 ふわり、と。

 ばらばらになったメリーさんが、空中に浮き上がった。


 一目見てわかる。先程までとは違う、闇のエネルギーが彼女の身体に漲っている。体外に放出される闇エネルギーで、空間が澱んでいるようにすら感じられた。


 恐ろしい存在だった。

 今まで俺が目にした何よりも、恐ろしい存在が、そこに居た。


「私、メリーさん――」

 宙に浮いたメリーさんが、男の許へ飛んでいく。


 速度は、それほどでもない。つい今しがた行われた高速戦闘からすれば、欠伸が出るほどの遅さだ。


 だが――、


「う、おおおお、おおおおおおおおお!!!」

 白い仮面の男は恐怖している。恐怖を与えるはずの存在が、逆に恐怖に飲み込まれているのだ。男が我武者羅に腕を振るう。向かってくるメリーさんのパーツを、叩き落とそうとしたのである。


 しかし、男の手は空を切った。


「え――?」


 当たらなかったのではない。当たったのにも関わらず、手応えがないのだ。


「おい、どこだ……?」


 男が、きょろきょろと周囲を見渡す。

 消えた。


 メリーさんのパーツが、まるで煙のように消え去ったのである。傍から見ていても、何が起こったのかまったくわからなかった。


 まるで、はじめから存在していなかったかのように――。

 メリーさんは、消えてしまっていた。


「どこだ、どこにいる――!」


 男が叫ぶ。

 その声は、むなしく夕方の空に吸い込まれていった。


 どこからか、鴉の鳴き声だけが、響いている。


「どこだ、どこだ、どこだ、どこだ――」


 メリーさんを探し回る男の動きが、ぴたりと止まった。


「ん、ぐ」


 身を屈め、腹を押さえる。

 表情はわからないが、どうやら痛みを堪えているようだった。


「ぐ、まさか――」


 男がスーツを脱ぎ、ワイシャツを裂く。

 筋肉質な腹部が、晒された。


 その腹の中――何か・・が、内側からうごめいている。


「私、メリーさん――」


 声が聞こえた。

 どこからだ?

 男の、腹の中・・・からだ。



「――今、あなたのお腹の中にいるの」



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいい!!!!! ああっっがががががががががぐ、ぎいぎぎいいいいい!!!」


 男が痛みから地面に蹲り、のたうち回る。口の端から赤い血が流れる。


 腹を掻きむしる。爪が剥がれる。腹にも傷が付く。


「やめろ、やめろやめろやああああああ! やだああああああ!! ごめん、ごめんなさい。許して、許してええがががががががが」


 ばつん、と。

 男の腹部が爆発した。


 真っ赤な鮮血と、内臓がまき散らされた。


 破裂した男の腹から、メリーさんが姿を現す。


 ばらばらだった身体は完全に直っており――傷一つなかった。


 腹を裂かれた男は、しばらくひくひくと痙攣していたが、やがて動かなくなった。

 男の身体が、灰へと姿を変えた。流れた血も、内臓も、全て灰になる。


 一陣の風が吹くと、男の身体は崩れて、消えてしまった。文字通り、風の前の塵となったのだ。


「ふう――」メリーさんが、溜め息を吐いた。「疲れたぁ」

「ありがとう――ございます」


 俺は、頭を下げる。彼女が、俺を白い仮面の男から助けてくれたのは事実だ。

 もしかしたら、男が言っていたように、自分の手で俺を殺したいのかもしれないが――とにかく。


「あなた、あの子に感謝しなさいよね」

 メリーさんが言った。


「あの子?」

「七織よ。あの子が、あなたを守って欲しいって言ったから、助けてあげたんだからね」

「七織と、知り合いだったんですか」

「友達よ」


 俺は、大きく息を吐き出した。どうやら、本当に、生き残ることができたらしい。


「七織には、明日、学校で礼を言います」

「そうしなさい」


 メリーさんは、俺の方に向けて、手を差し出した。


「ん」

「なんですか?」

「あなた、何色のパンツを履いてるの?」


 メリーさんの質問に、背筋が寒くなる。この質問に答えた白い仮面の男の、壮絶な最期が脳裏に焼き付いてしまっている。


「ちがうわよ。これは、純粋な興味からの質問。まさか、命の恩人に対して、なんのお礼もしないつもり?」

「いや、そんなことは――」俺はたじたじになる。「もちろん、出来る限りのことは何でもしますが、いったい、何をすれば?」

「だから、パンツ」

「え」

「あなたのパンツを、寄越しなさい」

「――――」


 そういう訳で――。

 その後、俺は夕暮れの街の中を、すーすーとした感覚の中で帰宅することになったのである。


 まったく。

 もう、都市伝説はこりごりだ。



〈了〉

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七曲坂七織の都市伝説 ~メリーさんVS白い仮面の男~ 朽尾明核 @ersatz

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